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2025年8月8日 16:52

キノコ雲2度見た祖父たち 日米の孫同士が継承 戦後80年を迎える中「核廃絶」への思い

キノコ雲2度見た祖父たち 日米の孫同士が継承 戦後80年を迎える中「核廃絶」への思い
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 広島と長崎の両方で被爆した「二重被爆者」と呼ばれる人たちがいる。番組では「二重被爆者」の孫として遺志を継ぐ家族を取材。戦後80年を迎えるなか、次世代につなぐ平和への思いを聞いた。

9日、原爆投下から80年を迎える長崎

 6日、広島では80回目の「原爆の日」を迎えた。

平和への誓い
「私たちが被爆者の方々の思いを語り継ぎ」
「ひとりひとりの声を紡ぎながら」
「平和をつくりあげていきます」

 また、長崎でも9日、原爆投下から80年を迎える。

 その広島と長崎、両方の地で被爆した人たちがいる。

 3日、被爆地の広島を訪れたのは、長崎市在住の「被爆3世」原田小鈴さん(50)だ。

原田小鈴さん
「祖父は今から80年前の広島で、仕事の出張先なんですが、広島に来まして被爆して。それから長崎に戻りました。長崎でも被爆をしたという『二重被爆者』という存在です」

 原田さんの祖父・山口彊さんは80年前、広島・長崎とで2度被爆した「二重被爆者」だ。

原田さんの祖父・山口彊さんは、広島・長崎とで被爆した
原田さんの祖父・山口彊さんは、広島・長崎で被爆した
山口彊さん(2006年・当時90歳)
「広島というのは、私にとっては地獄なんです。『第1の地獄』。『第2の地獄』は長崎」

 2010年、93歳で亡くなった山口彊さん。80年前に、何があったのか。

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広島で被爆後 妻子の待つ長崎へ向かい…

長崎市在住の「被爆3世」原田小鈴さん(50)
長崎市在住の「被爆3世」原田小鈴さん(50)
「二重被爆者」山口彊さんの孫 原田小鈴さん
「(祖父は)原爆は憎いけれども、人としてアメリカ人を憎むことができない。そのはざまというか、葛藤し続けた人」

 原田さんが、祖父・山口彊さんが広島で被爆した地を訪れた。

祖父が広島で被爆した地を訪れた
祖父が広島で被爆した地を訪れた
原田さん
「こっち側でしょうね。こっちから見た時に被爆をした。やけどを負いながら、必死でこの道を暑い中戻っていったと思ったら『生きよう』という祖父の“覚悟”とか“気持ち”が伝わります」
故郷・長崎から広島に出張
故郷・長崎から広島に出張

 山口さんは80年前、造船設計技師として故郷・長崎から広島に出張していた。

祖父のたどった道や歴史を知ったり感じたりすることが…
祖父のたどった道や歴史を知ったり感じたりすることが…
原田さん
「この広島に来ることで、祖父のたどった道とか歴史を知ったり感じたりすることが、つらくはあるが知らなければいけない」
山口さんは力の限り、妻子の待つ長崎へ向かった
山口さんは力の限り、妻子の待つ長崎へ向かった

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、爆心地からおよそ3キロの場所で被爆。左半身に大やけどを負ったという。翌7日の午後、山口さんは力の限り、妻子の待つ長崎へ向かった。

山口さんは、「二重被爆者」としての運命を背負うことになった
山口さんは、「二重被爆者」としての運命を背負うことになった

 ところが8月9日午前11時2分、造船設計事務所内で2度目の被爆。山口さんは、広島・長崎と2度被爆した「二重被爆者」としての運命を背負うことになった。

当時の様子を語る山口さん
当時の様子を語る山口さん
山口彊さん(2006年・当時90歳)
「キノコ雲に、広島から長崎まで追いかけられてきた錯覚がありました」

 また、山口さんは、当時見た広島市内の川の様子を短歌に残している。

声を詰まらせる場面もあった
声を詰まらせる場面もあった
山口彊さん(当時90歳)
「大広島 炎え轟きし 朝明けて 川流れ来る 人間筏。声が出ません」

 山口さんは原爆に対する強い怒りや憎しみなどを表立って発言せず、短歌に書きつづっていた。それは、家族を守るための方法だった。

次男を亡くしたこと機に…語り部として公の場に

 広島と長崎で2度被爆した「二重被爆者」の山口彊さん。被爆の実相を伝えることに思い悩んだという。

山口さんは、被爆の実相を伝えることに思い悩んだという
山口さんは、被爆の実相を伝えることに思い悩んだという
原田小鈴さん
「祖父は被爆後に“語り部活動”をしたいと家族に言ったが、私たち家族は“偏見・差別”を恐れて、やはり娘2人もいましたから、結婚のことを考えたら、やはりそれ(“語り部活動”)は躊躇(ちゅうちょ)した」
次男を亡くしたことを機に、語り部として公の場に
次男を亡くしたことを機に、語り部として公の場に

 表立った発言をせず、短歌に思いを書きつづっていたという山口さん。しかし2005年、生後6カ月で被爆した次男の捷利さん(59)を亡くしたことを機に、語り部として公の場に出始めたという。

 2006年8月には、初めて渡米。自身を描いたドキュメンタリーの上映会がニューヨークの国連本部で開かれた際に、スピーチを行っている。

ニューヨークの国連本部でスピーチ
ニューヨークの国連本部でスピーチ
山口彊さん(当時90歳)
「日本のことわざに、『二度あることは三度ある』とありますが、絶対に三度目の被爆はあってはなりません」

 また地元・長崎の学校などで、次の世代へ向けた講話も行った。

次の世代へ向けた講話も
次の世代へ向けた講話も
山口さん(当時90歳)
「原子爆弾によって、無念の死を遂げた人々には、深く思いをめぐらせてください。私の命を…みなさんたちに…私の命をバトンタッチしたいんです」
ジェームズ・キャメロン監督が山口さんのもとを訪れた
ジェームズ・キャメロン監督が山口さんのもとを訪れた

 2009年12月、映画「ターミネーター」や「タイタニック」などで知られるジェームズ・キャメロン監督が山口さんのもとを訪れた。

「山口さんのメッセージを世界に伝える作品づくりに挑戦します」
「山口さんのメッセージを世界に伝える作品づくりに挑戦します」
ジェームズ・キャメロン監督
「私は映画監督として、山口さんのメッセージを世界に伝える作品づくりに挑戦します」
山口さん
「I have done my duty(私は役目を果たしました)」

 このおよそ10日後、山口さんは93歳で帰らぬ人となった。

 亡き祖父の思いを継いでいこうと、被爆3世の原田さんには強い覚悟があった。

亡き祖父の思いを継いでいく、強い覚悟
亡き祖父の思いを継いでいく、強い覚悟
原田さん
「家族の“負の歴史”を公の場で語ることは、すごくえぐられるような気持ちになる。でも被爆者は、そのえぐられる気持ちをずっと“偏見と差別”に耐えながら怒りに変えて訴えてきたと思う。それを考えた時に、『ここでは終わらせられない』というのがありました」

 県内外の学校で、祖父の被爆体験を語り継ぐ活動を続けている原田さん。

祖父の被爆体験を語り継ぐ活動を続けている
祖父の被爆体験を語り継ぐ活動を続けている
原田さん
「祖父は私たちに大きな重荷を背負わせるのはとても耐えがたいけれども、どこかでつなぎたいという思いがあったのではないか」
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交流は12年「キノコ雲の上と下にいた2人」の孫

 この日、原田さんが広島で会っていたのは、アメリカ・メリーランド州出身の映像作家、アリ・ビーザーさん(37)。彼の祖父も、2つの原爆に密接に関係した人物だ。

アメリカ・メリーランド州出身の映像作家、アリ・ビーザーさん(37)
アメリカ・メリーランド州出身の映像作家、アリ・ビーザーさん(37)
アリ・ビーザーさん
「祖父は23歳の時、広島と長崎に原爆を投下した2機のB29の両方に搭乗していた、世界で唯一の人物です」
アリさんの祖父は、双方のB29に搭乗した唯一のアメリカ兵
アリさんの祖父は、双方のB29に搭乗した唯一のアメリカ兵

 80年前の8月6日、広島に原爆を投下したアメリカの爆撃機B29「エノラ・ゲイ」。その3日後、長崎に原爆を投下した「ボックスカー」。アリさんの祖父・ジェイコブさんは、双方のB29に搭乗した唯一のアメリカ兵だった。

 レーダー技師として、原爆を上空で確実に爆発させるのが任務だったという。

大学での講義(1985年)
大学での講義(1985年)
音声:ジェイコブ・ビーザーさん 大学での講義(1985年)
「窓をのぞくと、眼下では火が街をのみ込み、地面がぐつぐつと煮えたぎっているような惨状だった」
「原爆投下は非人道的な行為だった」
「原爆投下は非人道的な行為だった」

 1992年、71歳で亡くなったジェイコブさんは生前、「原爆投下は非人道的な行為だった」と話していたという。

「祖父は、核兵器は廃絶されるべきだと考えていました」
「祖父は、核兵器は廃絶されるべきだと考えていました」
アリさん
「祖父は、核兵器は廃絶されるべきだと考えていました。兵器は使うためにつくられますが、2度も、その恐ろしさを見て、再び使用されれば『世界は終わってしまう』と感じていました」

 キノコ雲の下で何が起きていたのか。アリさんは「被爆の実相」を母国に伝えようと、2011年から被爆者やその家族を取材し、映像にまとめ発信し続けてきた。

2011年から被爆者やその家族を取材し、映像にまとめ発信
2011年から被爆者やその家族を取材し、映像にまとめ発信
アリさん
「私は彼らが実際に経験したことを目撃したわけではありません。だからこそ、その証言の重みや本当の意味をしっかり伝える責任があり、それは大きなプレッシャーでもあります。おそらく、その“責任感”が日本の文化でいう“罪悪感”に近い感覚なのかもしれません」

 そして2013年、被爆者らへの取材を続けるなか、原田さんと出会った。

少しずつ対話を通じてお互いが分かり合えるように
少しずつ対話を通じてお互いが分かり合えるように
原田さん
「その時、私は心を開くことはできませんでした。私たち家族は被爆者家族ですので、色んな後遺症があり、被爆の苦しみがあるのを家族として見てきたわけですから」

 アリさんが原田さんに会いに来るたび、少しずつ対話を通じてお互いが分かり合えるようになり、交流は12年にも及んでいる。

アリさん
「彼女はつらい感情や困難、トラウマを乗り越えて私の友人になってくれたんだと思います。世界にはもっと小鈴さんのような人が必要だと感じます」

 広島と長崎に原爆を投下した双方の爆撃機に乗っていたアメリカ兵。その原爆で2度被爆した日本人。80年がたった今、それぞれの孫2人は、共通の思いでつながっている。

 それは「核廃絶」だ。

「核廃絶」の思いでつながっている
「核廃絶」の思いでつながっている
原田さん
「国を越え、同じ人間としての心を通わせていくことを大事にしたほうがいいと(祖父が)言ったので、アリ・ビーザーさんと一緒にやれていることだと思っている」

 アリさんは今、新たなドキュメンタリー作品の制作を進めていて、原田さんも協力している。

新たなドキュメンタリー作品を制作
新たなドキュメンタリー作品を制作

 そして原爆投下から80年、「キノコ雲の上と下」にいた2人と、その孫たちの葛藤と軌跡を記した本を出版した。

「キノコ雲の上と下」にいた2人と、その孫たちの葛藤と軌跡を記した本を出版
「キノコ雲の上と下」にいた2人と、その孫たちの葛藤と軌跡を記した本を出版

 そのトークイベントに参加した人は、次のように話す。

大学4年生
「本当に重たいものを人生をかけて背負ってきたお2人が出会って、そして共に本をつくられるという。お2人の姿を見て、うれしい気持ちになりました」
2人の活動を祖父が知ったら?
2人の活動を祖父が知ったら?
アリさん
「(Q.2人の活動を祖父が知ったら?)祖父はきっと、自分の孫がキノコ雲の下にいた人々の孫と手を取り合い、共に未来に向かって道を切り開こうとしている姿を、誇りに思うことでしょう」
原田さん
「祖父は驚くとともに、応援をしてくれると思います」

(「大下容子ワイド!スクランブル」2025年8月8日放送分より)

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