社会

2026年3月31日 17:00

「小学生バリスタ」小澤俊介が見た世界 “飛び級”で大学生を破り優勝!コーヒーフェスも発案 将来の夢は…

「小学生バリスタ」小澤俊介が見た世界 “飛び級”で大学生を破り優勝!コーヒーフェスも発案 将来の夢は…
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「小学生バリスタ」としてテレビや新聞で取り上げられ、注目を集めている小澤俊介さん。若干9歳にして自ら豆を焙煎し、独自のブレンドを作り上げています。単なる「コーヒー好き」の枠を超え、科学者さながらの探究心に満ちた俊介さんは、コーヒーを通じて大きく成長しています。

(テレビ朝日報道局 江向彩也夏)

初めて淹れたのは4歳半

俊介さんはがコーヒーを淹れ始めたのは4歳半の頃。母・舞奈美さんが父・知誠さんにコーヒーを淹れるのを見て興味を持ち、計量カップを使って注ぐようになりました。「水遊びの延長のような感覚でした」と舞奈美さんは振り返ります。

そして2022年10月、俊介さんはのちに「師匠」となるバリスタの中楯聡さんに出会い、初めてコーヒーを飲みました。きっかけは当時、中楯さんが店長を務めていた東京・清澄白河のカフェに、俊介さんが両親と一緒に訪れたことでした。

まだ6歳だった俊介さんに、中楯さんが「子どもでも飲めるもの」として1杯のハニーラテを淹れると、俊介さんは「美味しい」と言って飲み干しました。

「1杯を飲み切るとは思っていなかった」と舞奈美さんはびっくり。子どもの俊介さんが1日に摂取できるカフェインの量を調べて、飲むコーヒーの量に注意しつつ、俊介さんの希望にこたえて親子でカフェに通うようになりました。

2023年8月9日、母・舞奈美さんがバリスタをめざす俊介さんのインスタグラムを作って初投稿
2023年8月9日、母・舞奈美さんが、バリスタをめざす俊介さんのインスタグラムを作って初投稿

後日、俊介さんは再びハニーラテを飲んで「これちょっと苦い」と指摘。中楯さんが焙煎で失敗して焦がした豆を見抜いていました。1カ月前に飲んだ味を正確に覚えていた俊介さんの記憶力と鋭い感覚に、中楯さんは「才能の片鱗を感じた」といいます。

そこで中楯さんは「美味しいものを飲ませたらどう反応するんだろう」と考え、世界で最も高級な品種の一つである「ゲイシャ種」のコーヒーを飲ませてみました。俊介さんは「すごい美味しい」と話し、フレーバーを「桃の味」などと表現。中楯さんは「俊介くんには本物の才能がある」と確信しました。

2023年11月、小学1年生の俊介さんと師匠の中楯さん
2023年11月29日、小学1年生の俊介さんと師匠の中楯さん(Instagramより)

転機は「19ccの悔し涙」

俊介さんは中楯さんからコーヒーの淹れ方を学ぶようになりました。そんな二人の関係が深まったのは2024年1月、俊介さんが小学1年生だった冬の日でした。

中楯さんのカフェで知り合いに頼まれて、コーヒーを淹れた俊介さん。本来注ぐお湯は240ccで止める予定でしたが、多く注ぎすぎて259ccに。俊介さんはコーヒーを淹れ直そうとしましたが、「大丈夫だよ」とコーヒーを持って行かれてしまいました。

「美味しくないコーヒーを淹れてしまった」と俊介さんは号泣。家に着いても泣き止まないほど激しく落ち込みました。

2024年1月12日、コーヒーを淹れるのに失敗し、のちに号泣する俊介さん
2024年1月12日、コーヒーを淹れるのに失敗し、のちに号泣する俊介さん(Instagramより)

その様子を見た舞奈美さんが「気持ちをどう消化すればいいか」と考え、俊介さんに「コーヒーのことをノートに書いてみたら」と勧めました。

俊介さんはノートに「えぐみ、にがみ 19ccおおかった あじがぼけた おいしくなかった。人にのませたくなかった。くやしかった。」と記しました。

これが俊介さんの「コーヒー日っき」の始まりでした。

俊介さんが書いた最初の「コーヒー日っき」
俊介さんが書いた最初の「コーヒー日っき」

そして悔しがる俊介さんに“プロフェッショナリズム”を感じた中楯さんは、「ポップアップショップをやってみよう」と提案。コーヒー修行と開店準備が進んでゆきました。

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“本来の味”確かめて日記に

俊介さんはコーヒーの風味や味を確かめる「カッピング」に挑戦。風味を食べ物に例えるだけでなく、日常の風景や抽象的な比喩も交えてフレーバーを表現していました。

2月7日、中国・雲南で採れた豆を使ってコーヒーを淹れた時は、次のように風味を表現。

「雲なんどくとくのいいさんみ。日本の都どうふけんでたとえるときょうとふです」
(雲南独特の良い酸味。日本の都道府県で例えると京都府です)

つまり、この日淹れたコーヒーは、雲南のコーヒーの特徴である酸味をほどよく出すことができ、京都のような上品なイメージの風味になったと表現したかったようです。

2024年2月7日のコーヒー日記 。お湯の温度も記載。
2024年2月7日のコーヒー日記 コーヒーを淹れる時はお湯の温度も記載していました

美味しいコーヒーを淹れたいと頑張る俊介さんに応え、舞奈美さんはプロ仕様のコーヒー用品を新調。中楯さんもコーヒーの淹れ方のコツを都度伝えました。

アイスコーヒーは電車のおもちゃで

そして2024年3月、俊介さんは両親と一緒に、中楯さんのカフェの一角を借りて、初めてお店を開きました。

2024年3月24日、ポップアップショップでコーヒーを淹れる俊介さん
2024年3月23日、ポップアップショップでコーヒーを淹れる俊介さん

お店の名前は「RANDOSERU COFFEE(ランドセルコーヒー)」。自分のランドセルを飾り、中国・雲南の豆を使ってコーヒーを淹れました。この時、記者も俊介さんの淹れたコーヒーで一服。苦みが少なくお茶のようにすいすい飲めて、「こんなコーヒーがあるのか」と驚きました。

以降、中楯さんのカフェや東京ビッグサイトのイベントなど、各地でコーヒーを淹れるようになった俊介さん。お客さんの目の前でコーヒーを淹れ、「フルーティーで美味しかった」「甘くてびっくりした」とたくさんの感想を直接もらえたのがうれしかったといいます。

2024年8月、ポップアップショップでコーヒーの「自由研究」も展示
2024年8月24日、コーヒーについて調べたことをまとめた「新聞」もお店の一角に展示していました

アイスコーヒーを作る時も、ユニークな方法をとりました。

まず、淹れたばかりの熱いコーヒーをボトル缶に注いで、氷が入った容器に横たえます。そして、その上に電車のおもちゃを置いて、スイッチをオン。おもちゃを動かして、ボトル全体が氷で冷えるように回転させるのです。

「コーヒーに氷を入れると、氷が解けて味が薄くなる。そうならないようにコーヒーを冷やしたい」と考えて、編み出した方法でした。

2025年7月30日、9歳の誕生日にお店を開き、電車のおもちゃでコーヒーを冷やす俊介さん
2025年7月30日、9歳の誕生日にお店を開き、電車のおもちゃを使ってコーヒーを冷やす俊介さん

さらには焙煎所にも行って、コーヒー豆の焙煎にも挑戦。単一の豆(シングルオリジン)を焼くだけでなく、複数の豆を混ぜて焼くブレンドも作るようになりました。

和名の色に込めた意味

俊介さんは自分で作ったコーヒーの名前を、自ら味わって感じた「色」をもとにつけています。よく使っているのは、和名の色の名前です。

2024年8月24日のポップアップショップのメニューと実際に淹れたコーヒー
2024年8月24日のポップアップショップのメニューと実際に淹れたコーヒー

この命名スタイルは、俊介さんがコーヒーの味を色で表現し始めた際、舞奈美さんが和名の色のシールを持っていたことから定着。これまでに生み出した“色の種類”はいま約30色に広がっています。

たとえば、これまでに作ったブレンドの一つは「東雲(しののめ)色」という名前。東雲色とは、夜が明ける頃の東の空のような淡い赤色のことです。

俊介さんが初めてインドネシアの豆を使って作ったブレンドで、ほのかな甘みを感じる優しいコーヒーでした。

2024年8月24日、ハリー・ポッターの杖のおもちゃをマドラーとして使い、コーヒーを淹れる俊介さん
2024年8月24日、ハリー・ポッターの杖型のマドラーを使い、コーヒーを淹れる俊介さん
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大学生破り優勝 ペルー大使も感動

活躍を続けた俊介さんは2024年12月、大学生によるコーヒー選手権「University Brewers Cup」に“飛び級”で挑戦。見事、優勝を果たしました。

大会はトーナメント方式。2分で準備をした後、7分でコーヒーを淹れ、審査員が美味しいと思ったコーヒーを選ぶ仕組みです。

また、大会ではゲイシャ種のコーヒー豆を使うよう指定されていましたが、抽出器具やグラインダー、ケトルや水の持ち込みは自由でした。

俊介さんは事前に硬度やpHの違う様々な水を比べて研究し、ゲイシャ種の風味を最も引き出せる水はどれか確かめて本番に挑んでいました。

2024年12月7日、「第3回University Brewers Cup」で優勝した俊介さん(提供:舞奈美さん)
2024年12月7日、「第3回University Brewers Cup」で優勝した俊介さん(提供:舞奈美さん)

この優勝が思わぬ出来事のきっかけに。2025年6月、ペルー大使館に俊介さんが招待されたのです。当時、駐日ペルー大使を務めていたロベルト・セミナリオさんが、俊介さんの優勝を伝える新聞記事を読んで感銘を受け、自ら招待したのでした。

俊介さんは驚きながらも、大使館でペルー産のコーヒー10種類をカッピング。「どの豆も室温に近づくにつれて、だんだんとミルキー感が増してきた」といいます。

9月には、東京ビッグサイトで開かれたコーヒーの展示会に参加し、ペルーのブースでセミナリオさんと再会。コーヒーについて話して握手を交わし、「コーヒーのプロとして尊敬してもらえた」と感じました。

2025年9月30日、コーヒーの展示会でペルー大使だったセミナリオさんと再会した俊介さん(提供:舞奈美さん)
2025年9月24日、コーヒーの展示会でペルー大使だったセミナリオさんと再会した俊介さん(提供:舞奈美さん)

師匠の中楯さんは、大きく成長した俊介さんについて、こう語ります。

「いい意味で僕が何かを教える必要がなくなった。今まではだいたい俊介くんが質問して、僕が答えていた。今は自分で考えて解決できるし、他の人にも自ら質問して人のつながりを作り、実績も残している。もう免許皆伝です」
2025年8月、中楯さんと俊介さん
中楯さんと俊介さん

さらに、お店を開き始めて1周年の2025年3月、「コーヒーフェスを開きたい」と発案して開催。今年2026年3月にも、2年連続でコーヒーフェスは開かれ、コーヒー店や飲食店20店が集結しました。

俊介さんが来客にコーヒーを淹れながら、他のバリスタに淹れ方をアドバイスする場面もありました。

「体感としてはすごく短い2年だったかな。本当に風に飛ばせるくらいのように早かった」

コーヒーフェスの合間に、俊介さんはそう振り返りました。

2026年3月21日、真剣な表情でコーヒーを淹れる俊介さん
2026年3月21日、真剣な表情でコーヒーを淹れる俊介さん

将来の夢は「賃金改革」

俊介さんの将来について、舞奈美さんはこう話します。

「結局、『一生この仕事をしてほしい』とは誰も思ってはいなくて。俊介はコーヒーを主軸に、農業や成分分析、世界地理や歴史など違うことを見つけている。全然違う仕事をしたとしても、これだけ一つのことに向き合って突き詰める経験は、何にも変え難いものだと思うので。彼が楽しい人生を歩んでくれたらいいかなっていう、それだけですね」
2025年8月29日、母・舞奈美さんと「アルプス一万尺」をして遊ぶ姿も
母・舞奈美さんと「アルプス一万尺」をして遊ぶ姿も

実際、お店を始めた当初は、俊介さんの将来の夢は「バリスタになること」でした。しかし俊介さんはすでにその夢をかなえて、大きく活動を広げています。そんな俊介さんの視線はいま“海の向こう”へと向けられています。

「人生の目標として、生産者さんが一番もらえるお金が少なくて、賃金改革をしたいなと思ってて。自分で会社を立ち上げて、(世界で)その国その国を回って、農園でどんなことが一番作業として大変なのかを知りたいですね」

そう考え始めた理由は、「Seed to Cup(シード・トゥ・カップ)」という、コーヒー業界の構造を知ったからでした。

自身が続けてきたコーヒーの「自由研究」やコーヒー業界の課題について話す俊介さん
自身が続けてきたコーヒーの研究や、コーヒー業界の課題について話す俊介さん

1杯のコーヒーができるまでに、コーヒーの栽培、収穫、輸送、焙煎など、様々な工程があります。すべての工程に関わる人の数は、約3000人に上ると推定されています。

その中で最も賃金が低いのは、コーヒーを栽培する生産者で、日給10円で働いている人もいるとされています。それゆえ、俊介さんは「賃金改革」をしたいと夢を持っています。

「コーヒーを通じて、いろんな角度から世界を見ることができた」と語る俊介さん。

挑戦は、まだ始まったばかりです。

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