「タピオカ終わった」は本当か 今も行列?ブームのその後と“ネクスト”不在の背景は[2023/09/01 18:00]

今年は、各地で猛暑日の最多記録を更新。息苦しいような暑さが続くなか、街を歩く若者たちが持つドリンクに、「黒い粒粒」は入っているだろうか―

数年前の夏、彼らが手にする飲み物は、揃いも揃って「タピオカドリンク」だった。至る所にテイクアウト専門店がみられ、2019年には、タピオカドリンクを飲むことを意味する「タピる」が流行語にもなった。

そして、ブームの終わりも、目に見える形でやってきた。財務省貿易統計によると、2019年に16772トンだったタピオカの輸入量は、コロナ禍を経て、2021年には2641トンに減少。街にあふれていた専門店の閉店が相次ぎ、かつての光景を目にする機会も少なくなった。

ブームの陰りと同時に話題になっていたのは、「次」に流行る飲み物だ。「バナナジュース」を予想する声もあったが、実際はどうなったのだろうか。

ブームを振り返るとともに、専門家や業者への取材を通じ、タピオカの“その後”を追跡。みえてきたのは、「令和の流行」に起きた、ある変化だ。

(テレビ朝日報道局 稲垣保武)

■“3回目”だったタピオカブーム

飲むために1時間並ぶのも珍しくなかった、2018年頃からのタピオカブーム。実は日本では何度かブームが起きていて、この頃に始まったのは「第3次」ブームだといわれている。

お菓子の歴史研究家・猫井登さんによると、「第1次」ブームが始まったのは、1992年。今とは異なる、白くてBB弾ぐらいの小さなタピオカだった。エスニック料理のデザートとして出され、ココナツミルクに混ぜたものをスプーンで食べる形で流行った。

2008年からの「第2次」ブームで、タピオカは、黒糖で甘く味付けがされた大粒のものに変わる。ストローでミルクティーと一緒に飲むようになったのも、この時からで、台湾の専門店が九州に上陸し、それが全国に広まった形だ。

その後、最近の「第3次」ブームが起きた。背景として挙げられているのが、LCC(格安航空会社)が台頭したことによる台湾ブームと、「SNS映え」文化だ。当時、特に若者の間では、友達と買ったタピオカの写真をインスタグラムに載せるようなカルチャーが広く根付いていたといえる。

■終焉のきっかけと「ネクストタピオカ」

そんな「第3次ブーム」にも終わりがやってくる。終焉のきっかけと指摘されるのは、やはり、コロナの影響だ。

“若者の消費”が専門のマーケティングアナリスト・原田曜平さんは、こう解説する。

「タピオカ屋に並んでタピオカをインスタに載せるということは、“私はきょう友達と遊んでるのよ”というのを、周りに間接的にPRするような“仲よしアピール”の効果もあった。それが、コロナでかなり人間関係が断絶されてしまったので、タピオカ屋に友達と並ぶという機会もなくなった」

“人とのつながり”あってこその、タピオカブーム。コロナの流行とともに、街では相当の数のタピオカ店が潰れてしまったそうだ。

一方で、同じころに話題になったのは、「ネクストタピオカ」とも呼ばれる、次に流行が予想される飲み物だ。なかでも、バナナジュースは、その最有力候補とされ、一時、専門店の出店も相次いだ。

しかし…
「いっときブームになったんですけど、いくつかの人気店で終わっちゃったというのが正直なところ」(原田さん)

タピオカのように、次々と専門店の出店が続くような流行にまでは至らなったという。
タピオカドリンクにはあって、バナナジュースにはなかったものは、何なのか。

原田さんによると、一つ目の違いは、“食べ応え”だ。

「タピオカは、食べても太りにくい年ごろの子たちが、食事の合間にちょっと“小腹満たし”みたいな感じで食べていた。それなりにボリュームがあった。バナナジュースも、普通のドリンクよりは、お腹を満たすかもしれないけど、タピオカは、いっぱい噛んで、ちゃんと食べて、腹持ちが良かった。バナナジュースはそこまでではなかった」

さらに、“映え”の要素も、タピオカには敵わなかったようだ。

「バナナジュースって単に一色ですから。要はパッケージでオシャレかどうかが決まってしまう。タピオカほど、色んなお店が出なかったものだから、パッケージもいくつかに集約されてしまったので。やっぱり、映えなかったというのも大きかったんじゃないか」

熱狂的なブームを支えたのは、“あの粒粒”だけが持つ、「食べ応え」と「映え」の絶妙なバランスだった。

■かつての激戦地 渋谷を調査すると…

バナナジュースは、タピオカドリンクには、なれなかったらしい。

しかし、人出も増えている今、若者の間では、新たな飲み物が流行しているのではないか。かつての“タピオカ激戦地”、東京・渋谷に足を運んでみた。

GoogleMAPやグルメアプリで調査したところ、2019年から2022年の間に渋谷駅周辺にあったタピオカ店は、調査した2023年7月の時点で、約20店舗以上がすでに閉店。渋谷駅の近辺に残るタピオカ店は、5店舗のみになっていた。

「ネクスト」のヒントを求め、タピオカ店の跡地を訪れてみると、そこにあったのはスマートフォンの修理店や、焼肉屋、ジャンクフード店やバーなどで、店舗のジャンルは、ばらばら。閉店したタピオカ店の看板を残し、テナントを募集する空き店舗もあった。

タピオカの時のように、明らかに流行していることがわかるドリンクやデザートを扱う店舗は見当たらない。また、道行く若者たちが手に持つドリンクにも流行の兆候はなさそうだ。今も、タピオカの代役は現れていないのか。

マーケティングアナリストの原田さんが、「ネクスト」が現れにくい背景として指摘するのは、“アフターコロナ”の若者事情だ。

「今でも、大学生は、サークルとかゼミとかで会議するといっても、わざわざ会わなくても『ライン通話でいいよね』とか『ZOOMでいいよね』って、なっちゃっている。アフターコロナの時代には、友達と会って一緒に並ぶというような、ニーズ自体がなくなっている」

コロナが明けたと言われても、社会人の間で、まだ聞くことの多い「とりあえずリモートで」。この習慣は、若者にも根付いているようで、彼らの流行の在り方に影響を与えているらしい。

■「タピオカ人気」健在?ゴンチャが店舗を増やす理由

ブームの終焉が叫ばれるなかで、タピオカ関連の店が絶滅してしまったのかというと、そうではない。
むしろ今、勢いを増しているのが「ゴンチャ」だ。

ゴンチャは、2015年に日本で初出店。台湾ティーカフェとして「スターバックスのお茶版」のようなイメージでブランド展開し、タピオカはあくまで“トッピング”という位置づけだった。しかし、タピオカのブームが追い風となり、2016年頃は5店舗ほどだったのが、2019年には57店舗に増加。コロナの時期には売り上げを落としたものの、その後はV字回復を果たし、今年は150店舗程度になる見込みだという。

ほとんどのタピオカ店が閉店しまった、かつての激戦地・渋谷でも、8月に、ゴンチャとしては地域で3店舗目となる「渋谷道玄坂通店」が開店した。26日に様子を見に行くと、若い女性のほか、カップルやファミリーで店内は満席。店の外まで列が出来る時間もあり、その人気ぶりに驚かされた。

なぜ、今も好調なのか。ゴンチャジャパンの経営企画本部長・酒井洵さんに話を聞いた。
「当時から、ブームにのっかるとか、奇をてらったものっていうのは、あまりしていなくて、本当においしいものを、しっかりどの店舗でも高いレベルで作れる。そして、お客様に喜んでいただけるようにサービスを提供するというのを磨き込んできました。結局、そういったところが、お客様にしっかりと伝わったのかなと」

タピオカばかりに目がいってしまうが、「お茶」があっての「タピオカドリンク」。ブームの時も、売り上げが落ちたコロナ禍も、お茶の品質にこだわってきたという。

「ブームだと、商品やサービスの品質がそれほど高くなくてもお客様に来ていただけるので、サービスレベルが落ちやすい部分もありますが、弊社の場合はサービスの維持向上に努めてきた」
「“苦しい時こそ攻めるんだ”と、新商品やサービスなど、色んなことに投資してチャレンジした」

タピオカブームによって、確かにファンが拡大したというゴンチャ。お茶のおいしさやサービスの品質によって、他社と差別化された一方、タピオカそのものへの需要は今も根強いという。

「6割強ぐらいのお客様がタピオカもトッピングされています。『おいしいタピオカ』に根強い人気があるのだと思っていますね。ブーム前であるとか、ブームの時から、『あのゴンチャのタピオカがおいしいよね』と、ずっと継続して、ご利用いただいているお客様もいらっしゃいます」

酒井さんは、今後について、再度のブームを狙うのではなく「地に足のついた活動をしていきたい」と話していた。

ブームこそ過ぎ去ったタピオカだったが、その人気は人々の間にしっかり根付いていた。一方でタピオカに代わる「ドリンク」は、まだ現れていないようだ。コロナを経て、若者の価値観が変化したといわれる今、当時のような流行はもう生まれないのか。

それでも…やっぱり若者たちには大きな流行を作り上げて、世の中に活気付けてほしい。そんなことを思いながら、渋谷の街を歩くのだが、笑顔で通り過ぎていくティーンエイジャーたちにとって、それは厚かましい願いなのかもしれない。

※この記事はテレビ朝日とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。

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