走る江戸前鮨「実家のワサビ食べて!」丸刈り25歳のキッチンカーチャレンジ【前編】
[2024/02/19 15:39]
その青年たちに初めて会ったのは、ちょうど1年前、2023年の2月頃だった。寒さ厳しい冬のある日、私が8年前から通っているキックボクシングジムに現れたのは金髪のマッチョマンと丸刈りの細身の青年だった。マッチョマンの方が少々年上のように見え、その風貌の割には優しい眼をしていた。
(テレビ朝日報道局デスク 清田浩司)
“金髪マッチョ”&“丸刈りやせ男” ナゾの2人組正体は??
丸刈りの青年は、人当たりはよさそうに見えるが、どこか内に秘めたる熱いものを感じさせた。会話を側聞すると職場の上司と部下という関係のようだ。
いつも2人で現れ黙々とトレーニングを続ける姿を見るにつけ「いったいどんな仕事をしているんだろう?」と当初は訝しく思った。
何回か会うとお互い存在を意識するようになり、いつの間にか2人とスパーリングという試合形式の練習をするようになっていた。
“ボクシングジムあるある”なのだが所謂“スパ仲間”になると一気に距離が近くなる。知り合って1カ月ほどした頃だったろうか「お二人はどんな関係のお仕事なんですか?」と勇気を出して聞いてみた。するとマッチョマンは
という予想外の答えが威勢よく返ってきたのだ。思わず私は
「その頭で!?」
と訊いてしまったが、マッチョマンは怒るどころか
と爽やかな笑顔を浮かべながら答えてくれた。
マッチョマンは佐々木雄一朗君、32歳。聞けばマーくんこと楽天の田中将大投手の母校、駒大苫小牧高校の野球部出身だという。風貌から野球部というのも意外だった。佐々木君は麻布十番の有名店「鮓ぱんち」の大将を3年続けている。食べログ評価も3.7と高い。
と茶目っ気もある。
丸刈りの青年は小林魁(かい)君25歳、西伊豆の静岡県松崎町の出身。「鮓ぱんち」で佐々木大将のもと、鮨職人の修行中の身だった。丸刈りなので小林君も野球部だと勝手に思っていたが(笑)高校時代はバレーボール部で、ポジションは守備専門のリベロだった。
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“江戸前鮨のキッチンカー”って!?“江戸前鮨のキッチンカー”って!?
出会ってから数か月後、ジムで小林君とトレーナーとの会話が耳に入ってきた。
キッチンカー??話を聴くと「鮓ぱんち」での修行を終え、江戸前鮨を提供するキッチンカーで独立するというのだ。
そもそもキッチンカーで鮨など生ものを提供していいのか?と疑問に思う方も多いだろう。自分も取材する上で調べたのだが、以前はキッチンカーなどで生ものを提供することはできなかったが、3年前に改正された食品衛生法が施行され鮨のキッチンカーも保健所の検査をクリアすれば可能になったのだ。
「へえ、すごいね、鮨のキッチンカーなんて珍しくない?」
「小林君、今いくつだっけ?」
車の購入費や店の看板代など開店資金は数百万円必要だった。金融機関から借り入れをしたという。平成生れの青年がしっかりと目標をたて”ロードマップ“を描き、困難を乗り越えながらその道を歩んでいく…なかなかのチャレンジャーだ。
垣間見えた内に秘めたる熱いものは、そういうことだったのかと腑に落ちた。キックボクシングも始めて、わずか半年でアマチュアの試合に出て、同い年位の相手に判定勝ちしたというから驚きだ。
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なぜ鮨屋を目指したか?「実家の美味しいワサビを…」なぜ鮨屋を目指したか?「実家の美味しいワサビを…」
小林君が鮨屋を目指した理由も面白い。高校3年の時、部活終わりに鮨屋でバイトをしたのがきっかけだった。魚のさばき方も習うが最初は全然、できなかったという。
その後、銀座の老舗で3年働き、イタリアで鮨を握った経験もある。帰国後、日本丸の鮨屋で働くなどした後、佐々木君と知り合い一昨年秋から「鮓ぱんち」で働き始めたという経歴の持ち主だ。
店名も「鮨さきがけ」に決めた。そして何より私が彼を今回取材したいと思ったのは静岡の実家がワサビ農家だと知ったからだ。
自分が鮨屋として独立したら、実家の美味しいワサビを使い多くの人に味わってもらいたい、そんな家族思いのところにも惹かれた。
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“江戸前鮨キッチンカー”オープンはいつに?“江戸前鮨キッチンカー”オープンはいつに?
2023年、年内オープンを目指して小林君は準備を進めていた。12月初旬の週末にキッチンカー改造の最後の仕上げを実家の静岡県で行うことにした。母の貴重さんも見守る。車の後部に窓枠をはめようとするが、貴重さんから
と注意を受ける。簡単そうに見えて意外と難しいようだ。
小林君は窓枠を持って戸惑うばかり。
数時間の悪戦苦闘の末、最後のカウンター作りまで終え“鮨のキッチンカー”が完成した。母・貴重さんは、この姿を見てか
不安、心配と言う言葉を繰り返した。一方、父・忍さんは
と好対照で、どっしりと構え息子に期待を寄せていた。
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“運命の日”…保健所から営業許可出るか??“運命の日”…保健所から営業許可出るか??
キッチンカーを完成させ東京に戻った12月のとある日、いよいよ小林君は東京・港区の保健所にむかった。とにもかくにも保健所の営業許可がなければキッチンカーを始めることはできない。
「不安はありますか?」
「厳しめの検査になるかも?」
「がんばってください!」
最後はジムでする時と同じ挨拶で返したが、その表情は緊張でさすがにこわばっていた。
ほどなくして検査担当の職員2人が保健所の入り口脇に止めたキッチンカーに乗り込む。車内の調理する場所の衛生状況や排水のルートなど入念なチェックが始まる。
何回か車の中を入ったり出たりして2時間ほど経った頃、職員2人は保健所の中へと消えていった。
結果が出るまでにしばらく時間がかかるのだろうなと思っていたら、突然車からジャンプして降りてきた小林君が指で丸を作り
と満面の笑みを浮かべた。これでスタートラインに立てたことになる。
後編ではキッチンカーのオープン初日、小林君を襲ったトラブルの数々、そして小林君の“今”をお伝えします。