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2025年1月17日 13:55

南果歩 死の淵をさまよい遺言ビデオを撮影した予測不可能だった出産、離婚、そしてシングルマザーに

2025年1月17日 13:55

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1984年、映画「伽耶子のために」<※伽耶子(かやこ)の「耶」は人へんに耶が正式表記>(小栗康平監督)のヒロインに抜擢され俳優デビューして以降、数多くの映画、ドラマ、舞台に出演してきた南果歩さん。バンド「Nicochans(ニコチャンズ)」のヴォーカルとしても活動。近年は「パチンコ」(アップルTV)、映画「MISS OSAKA/ミス・オオサカ」(ダニエル・デンシック監督)など海外の作品にも積極的に参加。韓国映画と台湾映画の公開も控えている。現在、映画「君の忘れ方」(作道雄監督)が公開中。(※この記事は全3回の中編。前編は記事下のリンクからご覧いただけます)

■現場で自ら提案したセリフ

1988年、南さんはデビュー作「伽耶子のために」に続く2作目の映画「TOMORROW 明日」(黒木和雄監督)に出演。この作品は、長崎に原爆が投下される前日から翌朝までの日常風景を描いたもの。南さんは長崎の病院で働く看護師・ヤエ役を演じた。

1945年8月8日、長崎でヤエと工員の中川庄治(佐野史郎)の結婚式が行われた。翌朝、いつもと少しも変わりはなかったが、午前11時2分、長崎に原子爆弾が投下される…。

「あれは今だから話せるんですが、ピンチヒッターだったんです。別の方が決まっていたんですけど、急遽私が出ることに。

『TOMORROW 明日』の助監督さんが『伽耶子のために』のときの助監督さんで、ピンチヒッターの話になったときに『じゃあ、南果歩でいこう』って提案してくださったんですよね。

それで、本当にラッキーなことに、あんなすばらしい作品に出演することができました。私はあの作品が本当に大好きなので、黒木監督との出会いに感謝です」

――原爆を落とされる前夜に結婚したばかりということで悲劇性が増しました

「そうなんです。慎ましやかな祝言を挙げて、これから新しい生活が始まるという次の日ですからね。幸せの絶頂のときに」

――ご自身でセリフを加えられたとか

「そうです。監督に『ちょっとひとこと夫にかけてもいいですか』ってお願いして、病院まで送ってくれた夫に最後に『ありがとう』を付け足してみました。夫役の佐野史郎さんにはそのセリフのことを知らせていなかったので、何とも言えない表情をされたことが、すごく生っぽいなと思いました」

――いつもと同じ日のはずだったのに…と切なくなりました

「そうですよね。撮影前に長崎で戦時中に看護師さんとして働いていた女性にお会いしてお話を伺わせていただくことができたことも大きかったです。その方の許嫁は戦争で帰って来なかったそうです。そのお話を伺って、戦争で大事な人を失うということ、日常が一瞬で奪われてしまう悲劇について改めて考えさせられました」

■結婚、出産、母体も危険な状態に…

1995年、辻仁成さんと結婚。第一子となる長男が誕生するが、予定日より1カ月早い出産となり、一時は母体も危険な状態だったという。

「最初は水中出産を考えていたのですが、妊娠9カ月目に妊娠中毒症(妊娠高血圧症候群)と診断されて緊急入院し帝王切開で出産。私自身がICUに10日ぐらい入っていて、死と隣り合わせの状態でした」

――遺言ビデオも用意されたそうですね

「はい。生まれたばかりの息子のことが一番の気がかかりだったので、面会謝絶の中、ICUにビデオカメラを持って来てもらって撮りました。そのとき家族は主治医から『これ以上血圧が下がらないと脳内で出血するかもしれない。万が一のことが起こる可能性があることを覚悟しておいてください』と言われていたそうです。

だから本当に『命』って、いつどういう瞬間で消えてしまうものかわからないなっていうのを、そのときに思いましたね。31歳だったんですけど」

――息子さんは予定日より1カ月早く生まれたということですが

「そうです。息子は、1カ月早い出産だったので体重はちょっと少なかったんですけど、すごく元気で、おかげさまで全く問題はなかったんです」

出産から2年後、1997年には主演映画「不機嫌な果実」(成瀬活雄監督)が公開。この作品は、夫とのセックスに満たされない欲望を、不倫によって満たしていこうとする現代女性の姿を描いたもの。

――息子さんをご出産されて2年後に公開でしたが、撮影のときおからだの調子はいかがでした?

「そのときにはもう戻っていました。出産後1年ぐらいはちょっとゆっくりしていたんですけれども、撮影のときにはもう大丈夫でした。でも、夏の暑い時期の撮影で、監督も初めての方だったので大変でした。

私は、母親になったからと言ってお母さん役をということはあまり望んでいなかったので、役を選ぶときには自分のプライベートと切り離したような役を望んでいた時期だったと思います。

林真理子さんの原作がとても面白かったのと、『不倫』という言葉の先駆けだったと思います。いろんな不倫の形があるんだなって。女性の不倫というのがまだ珍しくてすごく新しい時代の先取りのような作品だったなと思います」

同年、映画「OL忠臣蔵」(原隆仁監督)も公開された。この映画は、海外の悪質な企業解体屋から会社を守るために立ち上がったOLたちが奮闘する姿を描いたもの。南さんは、日本の中堅の通販会社に業務提携の話を持ち込むアメリカの悪名高い企業買収解体屋が送った企業キラー・朝吹季里子役を演じた。

「あれはまた全く違うタイプの役で完全なヒール役でした。ニューヨークロケにも行きましたね」

――結構英語のセリフがあるお仕事も多いですね

「そうですね。でも、英語のセリフは本当にその場その場で乗り切っているだけなんですけどね(笑)。学校の教科としては好きな方でした。一人旅をよくしていたので、日常的な会話はしていました」

――このところアメリカのドラマに出られたりしていますけど、その当時はまだ頭の中にはなかったですか

「その頃からときどきアメリカの映画のオーディションとかはあったんですよね。だから、日本で俳優をやっていてもこういうチャンスは巡ってくるんだなということは感じていました。なので、やってみたいなという気持ちはあります。機会があればという風に思っています」

■離婚、そしてシングルマザーに

2000年に離婚。南さんは、映画やドラマに出演しながらシングルマザーとして多忙な日々を送ることに。子育てにはお母さまとお姉さまも協力してくれたという。

「30代後半はシングルマザーとして子育てと仕事の両立は結構大変でした。今と違って当時は、この業界ではまだそんなにシングルマザーはいらっしゃらなかったので」

――2005年に渡辺謙さんと再婚。海外でのお仕事に対して刺激を受けたのでは?

「お相手があることなので結婚生活の話はできないんですけど、私自身は海外に行くことには何の抵抗もなかったです。だから、一時家族でロサンゼルスにも住んでいましたし、生活するぐらいの英会話は身につきました」

――やっぱりハリウッドでやってみようという思いは?

「そうですね。是が非でもということではないですが、何か面白い役があればと思っています。もちろん母国語が日本語なので、日本語でお芝居する方が心情的には入りやすいんですけど、役柄が面白ければ何語でもいいなと思っています」

2010年には、映画「家族X」(吉田光希監督)に主演。この映画は東京郊外の新興住宅地に暮らす主婦が、夫や息子と心がすれ違い、次第に心のバランスを失っていく様を描いたもの。南さんは主人公である主婦・路子役を演じた。

――大作から低予算映画まで幅広く出演されていて、「家族X」はPFFから出られた新人の吉田光希監督ですが、撮影はいかがでした?

「すごく面白かったです。今回の『君の忘れ方』の作道雄監督もそうなんですけど、やっぱり同じ世代の感性とはまた違うものを吸収できるというか。『家族X』の頃から若い監督と組む機会が増えましたね。私自身すごく興味があるので、どんどん新しい世代の人と組んで

いきたいという思いがあります」

――新人の監督さんからすると、南さんのようなベテランの方に出ていただけると熱も入るでしょうね

「『どこで私を見てくださったんですか?』ってよく聞くんですけど、いろいろですね。いろいろなんですけど、そういう話をすると、やっぱり作品同士が連鎖していくんだなということをすごく感じます。

もちろん、小栗(康平)監督とか、黒木(和雄)監督、深作(欣二)監督など巨匠とお仕事

をするのも楽しかったですけど、どんどん若い監督とも組んでいきたいですね。やっぱり私自身の刺激になるんだと思います」

映画「サクラサク」(田中光敏監督)、映画「葛城事件」(赤堀雅秋監督)など難役にも挑戦。次回後編では撮影エピソード、乳がん、バンド活動、公開中の映画「君の忘れ方」も紹介。(津島令子)

ヘアメイク:黒田啓蔵(K-Three)

スタイリスト:坂本久仁子

衣装:FABIANA FILIPPI、TASAKI