
1984年、桐朋学園大学短期大学部(現・桐朋学園芸術短期大学)演劇科在学中にオーディションで2200人の中から映画「伽耶子のために」<※伽耶子(かやこ)の「耶」は人へんに耶が正式表記>(小栗康平監督)のヒロインに抜擢され俳優デビューした南果歩さん。ポーラテレビ小説「五度半さん」(TBS系)、舞台「ロミオとジュリエット」(演出・坂東玉三郎)、映画「TOMORROW 明日」(黒木和雄監督)などに出演。生死の境をさまよった出産、二度の離婚、乳がん…さまざまな困難を乗り越え、第一線で活躍を続け、1月17日(金)に映画「君の忘れ方」(作道雄監督)が公開される南果歩さんにインタビュー。(※この記事は全3回の前編)
■小学校2年生のときに裕福な生活から一転

兵庫県で5人姉妹の末っ子として生まれた南さんは、小学校2年生のときに父親の会社が倒産し生活は一変したという。
「小さいときは裕福だったんですけど、おうちの経済事情が突然ジェットコースターのように急降下して。でも、まだ小学校2年生ぐらいだったので、それが悲しいとか、そういう気持ちはなくてその状況を楽しんでいたと思います。
お風呂屋さんに通ったり、家族でギューギューの場所に住んだりというのも、それはそれで面白いという感じでいたと思いますね。
思春期とか、そういう時期だったらいろいろあったと思うんですけど、まだ幼かったし、転校した先の学校で新しいお友だちを作ったりとか…そういうことにフォーカスしていたという感じですね」
――お芝居に興味を持つようになったのは?
「高校時代だと思います。高校のときにダンスを始めたんですね。それで発表したり踊ったりすることでもう一つの自分を発見したというか。こういう表現方法があるんだなって。
そこで何か私も表現したいという気持ちになったと思います。
まだ具体的には、映画に出る人とか、テレビに出る人という意識はなかったです。ダンスはダンスで面白かったんですけど、本を読んだり、映画を見たり…そういうことも好きだったので、言葉を使って表現したらどうなるかなというところで演劇をやってみようと思いました」
高校卒業後、桐朋学園大学短期大学部(現・桐朋学園芸術短期大学)演劇科に入学。南さんは、高校生の時に大学に行く代わりに歯の矯正代を払ってほしいとお願いしたという。
「母に『一生のお願い。大学進学は諦めるから』と言って歯列矯正をして、それがうまくいった頃に大学受験だったので、『お母さん、私東京の大学に行くわ』って。末っ子なので、ちゃっかりしていますよね(笑)」
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■オーディションで2200人の中からヒロインに抜擢■オーディションで2200人の中からヒロインに抜擢

南さんは、2年生のときに新聞で映画「伽耶子のために」のオーディションの記事を見て応募することに。この作品は、在日韓国人二世の青年と、在日韓国人の夫と日本人の妻という夫婦の養子として育った日本人の少女との出会いと別れを描いたもの。原作は高校生のときに読んでいたという。
――オーディションには2200人も応募があったそうですが、受かる自信はありました?
「自信というよりも思い込みが激しかったんですよね。ヒロインは伽耶子という女の子だったんですけど、原作は読んでいたので、もう自分が伽耶子になっている姿が浮かんで、それ以外想像できないっていうぐらい思い込みが激しかったんです」
――おさげが可愛らしくて初々しくてとても印象的でした
「田舎から出てきたばかりだったので、素朴な感じというか、そういうところが監督のイメージに近かったんだと思います」
――ヒロインに決まったと聞いたときは?
「最初のオーディションから決まるまで3カ月ぐらいかかっていたと思いますが、『あなたが今回の主人公に選ばれました』という伝えられ方じゃなかったんですよね。
『じゃあ、この台本を読んでいてください』って台本を渡されて開いたら自分の名前が入っていたので、『私ができるってことなんですね?』という感じでした」
桐朋学園は在学中の芸能活動は禁止だったが、規約改正第一号となり、出演できることに。掲示板に『規約改正第一号 南果歩に外部出演を許可する』と貼り紙されたという。
――撮影が始まっていかがでした?
「カメラの前で演技をするということ自体が初めてだったので、毎日緊張の連続でした」
――ましてやフィルムの時代ですからね
「そうです。だから、『もう1回。もう1回』というのも本当に緊張感があって。でも、最初のお仕事で、すごく時間をかけて監督から映画の成り立ちを最初から最後まで教え込まれたという感じがあります。
本当に毎日怒られていました。毎日怒られていたし、リテイクもたくさんあったし…。私の演技がダメということは、その全部の責任を負うことだと。そういう責任の重さというのを叩き込まれた感じでしたね」
――フィルム撮影なので、最初にご覧になったのはラッシュだと思いますが、いかがでした?
「私は、ラッシュはなるべく見なかったんですけど、後半は監督が見なさいというのは見ていました。自分の演技に関しては全部反省大会ですね。『こんなふうに映っているんだ』とか、『ここはもうちょっと表現しなきゃいけなかった』とか…反省しかなかったです。うまくいったなんて一度も思わなかったですね」
――小栗監督の映画で、ヒロインが新人だということでかなり話題になりましたが、ご自身ではいかがでした?
「公開のときは学生に戻っていたのですが、1本の作品が世に出る、その重さというのはすごく感じましたね」
――映画がどのようにして完成するのか、最初の作品でしっかり体験できたというのは、すごく貴重な経験ですね
「そうですね。私はこの仕事を40年やっているんですけど、長いですよね。40年続けられているというのは、やっぱり小栗監督のおかげだと思います」
――作品が完成して最初にご覧になったときはどう感じました?
「最初に見たときは、自分の反省しかなかったですね。作品としてはまだ見られてなかったです。自然に歩いたり走ったり…そういうことがこんなに難しいのかって思いました。
それで、いろいろ複雑な事情を抱えている女の子の役だったので、そういう意味でも監督に教えてもらったことは、自分の感情や自分の思考だけで役を作ると自分の枠を出ないと。だから、南果歩はどういう風に変わっていけるのかということをまず想定しなさい。
それで、その先に変わった先の自分の思考で役を捉えてみる。リアルな自分だけの感情で『私だったらこうする』じゃなく、もうちょっと客観的にその役の感情を捉えるとか。そういうことをずっと毎日言われていたような気がします」
――20歳ぐらいだとやっぱり吸収力もすごかったでしょうね
「でも、その最初の作品を撮っているときは、あまりの苦しさに、ちゃんと責任が果たせてこの映画を撮り終わったら、もうやめようと思っていました。これを一生続けるというイメージは持ててなかったですね。これは最初で最後だから、命をかけてやろうという風には思っていましたけど」
――その考えが変わったのは?
「それは出来上がった作品を見て、いっぱい宿題が出たからですね。こんなに宿題があるのにやめられないなって。このままでは終われないなっていう気持ちになりました」
「伽耶子のために」は日本人初のジョルジュ・サドゥール賞(フランス)を受賞。南さんは、日本映画テレビプロデューサー協会エランドール新人賞を受賞するなど注目を集めることに。
■連続ドラマに主演、坂東玉三郎さん演出舞台でジュリエット役に

「伽耶子のために」の撮影が終わり、学生生活に戻った南さんは、ポーラテレビ小説「五度半さん」(TBS系)のオーディションを受けて主演することに。
「卒業するタイミングで撮影がスタートするというスケジュールだったので、卒業してすぐお芝居がまたできるってすごく幸運だなと思いました」
――連ドラで全65話。撮影はいかがでした?
「映画とはまた違う意味でどっぷりその役に浸かっていたと思います。ひとりの女性の人生を描く物語なので、すごくいい経験でした。面白かったです。別の意味で、本当にTBSのスタッフの皆さんに育てていただいたと思います」
――当時は、今の時代と違ってすごくハードなスケジュールだったでしょうね
「そうですね。TBSだったので24時にはライトが落ちるんですけど、早朝から24時までほぼ週6日ぐらいは撮影していました。着替えしかなかったですね。本当に長いマラソンを走り切った感じでした」
「五度半さん」の撮影のあと、坂東玉三郎さんが演出の舞台「ロミオとジュリエット」に出演することに。この作品もオーディションだったという。
――全部オーディションで勝ち抜いてきているところがすごいですね。初めての舞台はいかがでした?
「もともと演劇を志していたのですが、初舞台でジュリエットというのは、やっぱり大変でした。玉三郎さんは稀代の女形ですし、一挙手一投足まですごく細やかに演出されるので、ちょっとしたセリフを言う角度や、舞台での立ち振る舞いとか…そういうものも全て演出していただきました。私は今も舞台を続けているんですけれども、それはずっと活きている教訓ですね。
玉三郎さんはこんな風におっしゃっていましたね。『舞台は表情とかアクションとか、そういう手振り身振りではない。まず最初にその役柄の人間がどういう感情で立っているのか。それが歌舞伎座に行ったら、3階席にまで伝わるんですよ。まずその役の心情を捉えていることが一番大事。その動きや何かよりも、まずそこです』って。
本当に言ってみれば映像的なことをおっしゃいます。 それで、『舞台で演技をするときも、自分でカット割りを作ってごらんなさい』って。
『例えば、ジュリエットが入ってくる。そこはどういうカットだと思う?』って聞かれたので、私が『ここはアップでしょうか?』と言うと、『そう、ここはみんながジュリエットの表情に注目する。それはもうクローズアップ。そういう意識で自分の演技を構築していけばいい』ということを教えていただいたんですよ。
舞台の演出家と演者で、そこまで微に入り細に入り言っていただけることって、そうそうないと思うので、それは本当に幸運だなと思いました。
私は映画もポーラのテレビ小説もヒロインをスタッフさんと先輩キャストの皆さんで育てるという現場だったので、大きなゆりかごに乗せられた感じだったんですよね。
初舞台にしても、玉三郎さんに心構えや演技をしていく演者のその気持ちから組み立てた動きというものを全部教えていただいたので、私は最初に映画の学校、ドラマの学校、演劇の学校に行った感じです」
1988年には、デビューして2作目となる映画「TOMORROW 明日」に出演。長崎に原子爆弾が投下される前日に結婚式を挙げる看護師ヤエを演じた。次回はその撮影裏話、結婚、一時は死をも覚悟した命がけの出産、主演映画「不機嫌な果実」(成瀬活雄監督)の撮影エピソードなども紹介。(津島令子)
※南果歩(みなみ・かほ)プロフィル
1964年1月20日生まれ。兵庫県出身。1984年、映画「伽耶子のために」で主演デビュー。映画「TOMORROW 明日」、映画「わが母の記」(原田眞人監督)、映画「葛城事件」(赤堀雅秋監督)、「定年女子」(NHK)などに出演。海外ドラマ「Pachinko パチンコ」(AppleTV)、韓国映画「蕎麦の花咲く頃」(イ・ソング監督)など海外の作品にも多数出演。2022年に波乱に満ちた半生を記したエッセイ「乙女オバさん」(株式会社小学館)を出版。東日本大震災、能登半島地震など被災地にボランティアとして出向き、物資の搬入や子どもたちに絵本の読み聞かせも行っている。1月17日(金)には映画「君の忘れ方」(作道雄監督)の公開が控えている。
ヘアメイク:黒田啓蔵(K-Three)
スタイリスト:坂本久仁子
衣装:FABIANA FILIPPI、TASAKI