
1995年、川田広樹さんと「ガレッジセール」を結成し、沖縄出身のお笑いコンビとして注目を集めたゴリさん。「エンジョイプレイ」で大ブレイク。キレキレのダンスが話題に。2001年には連続テレビ小説「ちゅらさん」(NHK)にヒロインの兄役で出演し、第30回ザテレビジョンドラマアカデミー賞新人俳優賞を受賞するなど俳優としても活躍。その翌年には、バラエティー番組「ワンナイR&R」(フジテレビ系)で大人気キャラ・ゴリエちゃん(松浦ゴリエ)が誕生。2006年には、短編映画「刑事ボギー」で監督デビューも果たすなど幅広いジャンルで才能を発揮。現在、最新監督作「かなさんどー」が全国公開中。(※この記事は全3回の中編。前編は記事下のリンクからご覧いただけます)
■メイク、衣装、髪飾り…可愛く見られたくて

2002年、バラエティー番組「ワンナイR&R」でゴリさん扮する女性キャラ・ゴリエちゃん(松浦ゴリエ)が一世を風靡し、「紅白歌合戦」(NHK)にも出場。「可愛い!」と評判に。
「ゴリエちゃんはもともと『男に都合よく利用される女』というキャラクターで生まれたんですけれども、男に利用されていることにも気づかずに健気に振る舞っているゴリエちゃんに違う意味で火がつき出して。
深夜からゴールデンの番組に上がったとき、小学生の女の子からみんながゴリエちゃんのことを好きだから下ネタはおさえようかってなって。みんなででロケをしていても、やっぱりお客さんがみんな『あっ、ゴリエちゃんだ!』って集まって来るんですよ。
それで休憩中、僕もトイレに行きたいから公衆トイレとかに入るじゃないですか。そうしたら、それを見た子どもがショックを受けて『ゴリエちゃんが男子トイレに入っていった!』ってなるんですよ。それで、『ゴリエちゃんは、今後外では男子トイレ禁止!子どもたちの夢を壊しちゃいけないから』ってなって」
――そうかといって女子トイレに入るわけにもいきませんしね
「そう、捕まっちゃいますからね。だから本当に人前ではずっとゴリエちゃんで居続ける。
要するに『カット!』がかかった瞬間に男声に戻るんじゃなくて、人がいる以上はずっと女の子しゃべりでいなくちゃいけないんです。
あと、プロデューサーが『ビタミンCで肌をきれいに』ってアセロラドリンクを1カ月分くれたり、それぐらいみんなでゴリエちゃんをいかに可愛くするかということを考えていましたね。
メイク、衣装、小道具もみんな僕にイヤリングをつけたり髪飾りをつけたりして、女の子3人が僕を見ながら『可愛い』って言うんですよ(笑)。もう着せ替え人形状態でしたね」
――ゴリエちゃんはどんどん可愛くなって変わっていきましたよね
「そう。Y2K(西暦2000年)のわかりやすいシンボルみたいな感じで、いろんなメイクをしたり、アクセサリーや衣装もいろいろ用意してもらって。
でも、最初はブラジャーをしたり、ストッキングを履いたりするのは、何か違和感もありましたけれども、変身願望は化粧して満たされましたね。
つけまつ毛をつけて、アイラインを引いて目が大きくなったりとか、チークをつけて頬が赤く染まったりすると、普通に見るんじゃなくて、ゴリエちゃんのときはちょっと目を大きく開いて口をすぼめて…という感じでやったりとかね(笑)。
可愛く見られたいという顔になってきたりとか、スカートを履いているときは、足を開かないで閉じるようになったりとか。『変身願望ってこれか』というのはゴリエちゃんのときはありましたね」
――ゴリエちゃんは健気で純粋でみんな好きでしたよね。可愛いなって思いました
「僕がただ女装しただけなので、からだもいかついんだけど『可愛い、可愛い』ってみんな言ってくれるんですよ(笑)。
それは多分彼女が持っている心から出るしゃべり方とか表情とか目線とか…『可愛く見られたい。川ちゃん(川田広樹)に好かれたい』みたいなのが視聴者に刺さったと思うんです。
冷静に見たら絶対可愛くないじゃないですか(笑)。でも、多分何か雰囲気が醸し出すんでしょうね。あと、しぐさも可愛い。どんどん可愛くなっていくんですよ。変な感じですよ(笑)」
――キレキレのダンスに、肘で鉄棒の大車輪も披露。ティーン雑誌のモデルもされていましたね
「変なもんですよ。『Popteen』の専属モデルになったときに、(Popteenの)看板モデルの子たちと一緒にポーズをとって撮影するじゃないですか。『俺は何をしているんだろう?』って思いながらも、そのときはもうなりきっているんですよ。顔の大きさも全然違うのに(笑)。何か不思議な人生ですね。
それが復活するとは全く思ってなかったんですけど、今も毎週水曜日は『ぽかぽか』(フジテレビ系)でゴリエちゃんをやっていますからね。不思議だなあって思いますけど、みんなめっちゃ喜んでくれて。変な感じですね」
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■毛深いことがトレードマークだったのに…■毛深いことがトレードマークだったのに…

2006年、短編映画「刑事ボギー」で監督デビューを果たし、ショートショートフィルムフェスティバル<話題賞>を受賞。これまでに短編と長編合わせて13本の監督作品がある。
――幅広いジャンルで才能を発揮して映画監督としても活躍されていらっしゃいます
「映画もそうなんですけど、僕は演者側、出たい側のはずなのに、吉本というプロダクションを選んだことによって映画の話が来るんですよ。
他のお笑い事務所だったら映画を撮らなかったと思うんですけど、吉本が『芸人50人に短編を撮らせる』というプロジェクトを作ったので、『日芸の映画出身なんだよね?じゃあ、お前も撮ってみたら?』ということで始めただけなんですよ」
――監督をやってみようという気はなかったのですか
「全然思ってなかった。だって自分が出たいと思っていたから、最初の頃の作品は全部僕が主演しているんです。出たいから。じゃあ、自分で出られて、監督して、言いたいセリフを言えて…って最高じゃないですか(笑)。
でも、監督って地獄なんですよ。やることが多すぎて重労働で。1作目を作ったときに『もう二度と監督はやらない。やっぱり演者だけがいいや』って思ったんですけど、やっぱり作品を作ると、作品があまりにも愛おしいんですよ。
こんなにやりがいのある、達成感のある気持ちになるんだなあって。そうしたら1作目も評価されて、2作目を撮らないかという話が来る。で、2作目を撮ったときも『苦しいなあ、監督は』ってなるから『もういいや』って思うんですけど、それも評価されて長編を撮らないかという話がくるわけです。
そこまでは自分がやっぱり主演でと思ってやっていたんですけど、途中から演出に集中したいという気持ちになってきたんですよ。僕は出ない方がいいって思うようになって。不思議なものですよね。
自分が出たくて芸能界に入ってきたのに、演出をやりたい、裏方に集中したいってなるんですよ。それで、途中から僕は一切出なくなりました。裏方ばかりです」
――俳優さんとしては他の監督さんの作品にたくさん出てらっしゃいますね
「はい。それはオファーがあればというだけであって、やっぱり演者として、テレビの世界もそうですけど、呼ばれないと出られないですからね。
ゴリエちゃんとかは、オファーされて成立する仕事ですけど、監督というのは能動的なものなので、自分が(脚)本さえ書き上げれば、いくらでも撮れていってしまうんです。だからそこは僕が空いている時間に脚本を書いているという感じですかね。お笑いの仕事とか、そういう合間に書いています」

2013年、映画「探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点」(橋本一監督)に出演。この作品は、札幌・ススキノの探偵(大泉洋)と相棒兼運転手の高田(松田龍平)が危ない仕事で日銭を稼ぐ日々を描いたもの。ゴリさんは、探偵の友人で殺害されてしまうニューハーフのマサコちゃん役を演じた。
――マサコちゃんは、ゴリエちゃんの経験もあるので演じやすかったのでは?
「そうですね。本当に渡部篤郎さんのことを好きだと思って演じました。あれは脇の下だけでなく全身の毛を剃ってくれと言われて全部剃ったんですよ。毛深いことがトレードマークだった僕が全部。初めて厚着から薄着になったみたいな気がしました(笑)」
――マサコちゃんも健気でしたね。切なくなりました
「そうそう。かわいそうでしたよね。政治家になった彼のことを応援して、自分は決して彼の邪魔にならないように…みたいな。
ゴリエちゃんは、ちょっとアホで健気で…でも、不幸にはならないっていう子だったんですけど、マサコちゃんは殺されてしまう。悲しく終わっていくので、ちょっと胸が苦しくなります」
――それもこんな理由で殺されたのか…というのがショックでした
「そうですよね。僕は、あの作品で初めて棺桶というものに入ったんですけど、棺桶って死人に優しい感じがしました。落ち着くんですよね。
棺桶の中にからだが収まって、周りに花とかいろんなものを置かれると、ちょうど寝ながら『気をつけ』をしている感じが気持ちいいんですよ。どこにも力が入らないし、どこも苦しくない。『棺桶って落ち着いて皆さん逝くんだな』って思いました」
お笑い芸人、俳優、映画監督…幅広い分野で才能を発揮するゴリさんは、2017年、映画「沖縄を変えた男」(岸本司監督)に主演。2018年には、本名の照屋年之名義で監督・脚本を手がけた長編映画「洗骨」で日本映画監督協会新人賞(2019年度)を受賞。NYで開催された「JAPAN CUTS」(北米最大の日本新作映画祭)で観客賞を受賞するなど海外でも高く評価されている。次回は「洗骨」の撮影エピソード、現在公開中の監督最新作「かなさんどー」も紹介。(津島令子)