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2025年5月6日 14:50

仁科亜季子 4度のがんを経験!「なっちゃったものはしょうがない」

2025年5月6日 14:50

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歌舞伎俳優・十代目岩井半四郎さんの次女で高校3年生のときに「白鳥の歌なんか聞えない」(NHK)で俳優デビューした仁科亜季子(当時の芸名は仁科明子)さん。将来を期待される若手俳優として多くのドラマ、映画に出演するが、小さい頃からの「お嫁さんになりたい」という夢を実現して引退。長男と長女にも恵まれるが離婚を機に俳優業に復帰。これまでに4度のがんを克服。精力的に仕事に取組み、5月17日(土)には映画「真夏の果実」(いまおかしんじ監督)の公開が控えている。(この記事は全3回の後編。前編と中編は記事下のリンクからご覧になれます)

■長女の主演映画で母子役に

1991年に子宮頸がん、1999年に胃がんが発覚した仁科さん。手術・治療を乗り越え俳優業を再開。2005年には長女・仁美さんが主演を務めた映画「ヒカリサス海、ボクノ船」(橋本直樹監督)で母子役を演じた。

この作品は、寝たきりの幼い弟に付き添い中、一瞬目を離したすきに弟が息を引き取ったことで、母親にわざとではないかと疑われ、7年経っても自責の念に苦しみ母親との関係も修復できない女子大生の心模様を描いたもの。

「あの映画は、娘が主役だということで、プロデューサーの方からお話をいただきました」

――実の母子共演が話題になりました。娘が病気がちの息子をわざと死なせたのではないか…と疑ってすごい目で睨みつけていました。母親にああいう目で見られたら…つらいですね

「そう。病院に息子が運び込まれて死んじゃったとわかった直後ですからね。それ以来、ずっと疑っているんだけど、そのことを直接聞くことができない」

――撮影にあたって仁美さんとはどんなお話をされたのですか

「特には何も。あの子はあの子で精一杯でしたからね。でも、自分で向いてないなと思って、その後、きっぱりやめてもうやってないですね。未練もないんじゃないですか」

――でも、母子共演の映画があるというのは良いですね。作品として残りますし

「そうなんですけど、うちの父とも踊りもよくやっていましたし、親子とか兄弟で…というのは普通なんですよね。でも、現場ではだいたい親の方がイヤなんですよ(笑)。日本舞踊ではもっとイヤですけどね」

――親御さんが師匠でもあると尊敬されるじゃないですか

「そうですかね。でも、厳しすぎて小さいときは『本当の父親かな?』って思っていました。

きつくてね。歌舞伎座の公演がはねてから帰ってきて、踊りの稽古だったんです。公演があると夜10時ぐらいからじゃないですか。

小学生のときは眠くなる時間に父が帰ってきて、いきなり足の格好が見えないからと尻端折り(しりはしょり)にされて、バーンと叩かれて。今だったらすぐ虐待って言われますよ。

痛かったです。3人姉妹全員よくやられましたよね」

■3度目の小腸のがん、4度目の大腸のがんが発覚

2008年に3度目となる小腸のがん、2014年に4度目となる大腸のがんが見つかったという。

「その当時、腸閉塞を何回も繰り返したり、突然高熱が出ることもあったので、主治医の先生に言われて小腸のレントゲンを撮ったんです。それで内視鏡で…ということになったんですけど、最初の子宮頸がんの手術の後遺症で癒着がひどかったので、結局開腹手術になりました」

退院後、仕事に復帰。2011年、映画「RAILWAYS愛を伝えられない大人たちへ」(蔵方政俊監督)に出演。この作品は、富山地方鉄道の運転士を42年間勤め、定年を迎える滝島徹(三浦友和)は妻・佐和子(余貴美子)と第2の人生を送ろうとするが、互いの思いを伝えられず、すれ違ってしまう様を描いたもの。仁科さんは滝島のかつての同級生で離婚して地元に戻ってきた深山朋香役を演じた。

「友和さんのことをちょっと誘っちゃったりなんかしてね(笑)。なびかなかったですけど。

友和さんがあそこでなびいちゃったら、話が変わっちゃいますからね(笑)。でも、撮影は面白かったです」

――2014年には大腸がんに

「はい。これも最初は内視鏡手術の予定でしたが、取り切れないので急遽、開腹手術になって、大腸を20cm切除しました。8時間以上かかったそうです。1カ月間入院しました」

――4度のがんを克服された仁科さんの明るさは、同じ病気をされている方たちにとって励みになると思いますが

「なっちゃったものはしょうがないじゃないですか。でも、私はとても幸せだと思いますよ。幸せながん患者だと思います。

そのたびに治していただいて、治療していただいて。だから、タイミングとか病院、がんができた場所、時期…そういうのがすごくうまく、私の場合は回ったんだと思います。あと、やっぱり子どもたちがいたから頑張ることができた…というのはありますね」

2022年、映画「僕らはみーんな生きている」(金子智明監督)に出演。この作品は、小説家を夢見て上京し、下町の商店街にある弁当屋でアルバイトを始めた青年・駿(ゆうたろう)が、店主(桑原麻紀)と商店街会長(渡辺裕之)とともに商店街全体を巻き込んだ残忍な計画を企てていることを知る…という展開。仁科さんは駿の過保護な母親役を演じた。

「上京してひとり暮らしをする息子の手伝いをして帰るんですけど、息子のことが心配でたまらないお母さんでした。保険金をかけて殺害するという事件は実際にありましたけど、怖い話ですよね」

■最新出演映画ではシャイな主人公の母親役

(C)2025「真夏の果実」製作委員会

5月17日(土)に公開される映画「真夏の果実」に出演。この作品は、ぶどう農家を営む夫婦に訪れた離婚危機を描いたもの。

ぶどう農家を営んでいるあゆみ(あべみほ)とその夫・龍馬(奥野瑛太)。龍馬は毎年冬になると家と畑を妻に任せて東京に出稼ぎに行く。その間、あゆみは義母・春子(仁科亜季子)と二人暮らし。龍馬は東京で幼なじみの千尋(小原徳子)と偶然再会。あゆみにも心惹かれる年下の男性・草壁(佐野岳)が現れて…という展開。

「この映画は、2023年に公開された映画『卍』(井土紀州監督)と同じ配給会社だったんです。それでお話をいただいて台本を読ませていただいたら主人公のお母さん役ということで。

お父さんが亡くなって、息子と一緒にぶどう農家を頑張って生きて来たんですよね。それで、その生活を成り立てるにはお嫁さんがいないとダメな部分があって。

特に息子はちょっとシャイで、不器用な男の子みたいな感じなので、それを一生懸命補ってわりと明るいポジティブな性格なんじゃないかなと思ってお返事させていただきました。

『息子頑張れよ!』って背中を押すみたいなところもあって」

――最初はお料理のことを結構細かく言っていたので、お嫁さんをあまりよく思っていないのかなと思っていたら、そうではなかったのですね

「そう。お料理に細かいのは、お嫁さんが気に入らないとかじゃなくて、春子さんの正直さ、素直さなんですよね。からだのことを考えてくれているのはわかっているんだけど、まずいのよねって(笑)。

私が腎臓を患ったときも昔ですから、無塩醤油とかそういうものにしなくちゃいけなくて。病気だからわかっているんだけど、まずくていやだったんですよね。そういうことがあるじゃないですか。だから、お嫁さんに文句を言ってしまう。あまりイジイジしているお母さんじゃないと思うので」

――二人が揉め出したときに関係を修復するように考えてあげて

「だから、やっぱり単にもうちょっと味の濃いものを食べたかっただけだと思いますよ。そのつもりで言ったし。そうじゃなかったら、最終的に息子に『あんたがだらしないからよ』って言えないじゃないですか」

――そうですよね。でもすごい展開でしたね

「それこそ息子がよく頑張った。でも、お嫁さんの方が不倫しちゃってどうなるんだろうって。実際にああいう風になったらって思う。その不器用さが出ているから、『もっとちゃんと話し合いなさいよ』というシーンは面白かったですね。

私は、息子とお嫁さんとのシーンしかなかったですからね。私生活も含めて、やっぱりお嫁さんというのは、あまり立ち入って空気が悪くなるのって嫌なんですよ。だから、息子のところもそうですし、娘とは違うじゃないですか。

娘との距離感とお嫁さんとの距離感というのは、やっぱり違うと思うので、あまりずけずけ入り込まないようにはしています」

■子どもにも孫にも“ちゃーちゃん”と呼ばれて

2023年、長男・克基さんと宮崎県で障がい者就労支援施設のフランチャイズ店をオープンして話題に。

「息子が最初にやりたいと言ってきたときに、変な話ですけど、バー(BAR)をやりたいとか、そういうことを言われたらやめなさいっていうつもりだったんです。

でも、そういうことじゃなくて、少しでも皆様のお役に立つことであればいいんじゃないかと思ったので、最初の支援、資金援助とかそういうのはさせていただきましたけど、ほぼ息子が全部やっています。

私は、忘年会だとか、何かイベントをやるときには参加させていただいていますけど、息子が毎月行って支援し、面接だとかいろいろ全部やっていますね。

今度その施設を移設しなきゃいけないということで、この間電話がかかってきて、『ペンキを塗ったり、釘を打ったりするのが好きだから、DIYやってくれない?』って言うんですよ。

それで、『宮崎の施設に壁紙を貼ろうと思ったらデコボコしちゃって貼れない。ペンキ塗らなきゃいけないんだけど、一緒に行こうよ』って。

職人さんが高いからって言うんですけど、『私が飛行機代をかけて行って1泊するのとどっちが高いと思うの?』って言ったら『そうだね』って、ひとりで行きました。何とか頑張ってやっているみたいです」

――息子さんも再婚されて

「はい。息子のところにも孫が一人できました」

――仁美さんのところにもお孫さんがいらして、よくインスタで後ろ姿とかを拝見しますけど可愛いですよね。何と呼ばれているのですか

「『ちゃーちゃん』って呼ばれています。それは、実家にいたときからそうなんですよ。うちの妹が10年下なんですね。三姉妹で姉がいたので、『大きいお姉ちゃん』、『ちっちゃいお姉ちゃん』って言いにくくて、実家のときから妹に『ちゃーちゃん』って言われていたんです。

だから息子と娘も『ちゃーちゃん』って呼びますし、孫たちにも『ちゃーちゃん』って呼ばれています。めちゃめちゃ可愛いですね」

――仁科さんはデザイナーとしても活動されていましたね

「はい。もともとデザインも好きでしたし、子ども服もやってみたいなと思っていたときにアパレルのお話があったので、5年ぐらい続けたかな。今はやってないですけど、またやりたいなとは思っています。

でも、今はアパレルも難しいですよね。やっぱり国内で生産したりするとコストが上がるじゃないですか。特に今はアメリカの問題もあるので、何か始めるのは難しいかもしれないですよね」

――今後はどのように?

「とにかく元気でいないといけないなと思っています。もちろん定期健診も受けていますし、からだも積極的に動かすようにしています。4回もがんになったのに、せっかく助けていただいたんだから、こんな私でも使ってくださるようなところがあれば、これからもいろいろやってみたいと思っています」

4度のがんを経験したとは思えないほど溌剌として輝いている。チャレンジ精神も旺盛でカッコいい!(津島令子)

ヘアメイク:Mio(SIGNO)