「パラシュートが落ちてきた」プリゴジン氏に根強い“生存説” プーチン政権の対応は[2023/09/03 17:00]

 ロシアの民間軍事会社「ワグネル」を率い、武装反乱を引き起こしたプリゴジン氏は、プーチン政権にとって最大の不安定要素だった。一方で、歯に衣着せぬ発言で国民からは一定の支持を集めていた。

 プーチン大統領の関与も指摘されるプリゴジン氏の「死」は、プーチン政権にとってどのような意味をもたらすのだろうか?
 まず、ジェット機が墜落した村で耳にしたある噂からひも解いてみたい。

■墜落の村で広まる噂−「パラシュートが2つ」

 モスクワとサンクトペテルブルクの中間に位置するトベリ州クジェンキノ村―。乳牛が放牧されているのどかな草原が広がる。
 23日午後6時19分、この村にプリゴジン氏が所有するビジネスジェット「エンブラエル135」が墜落した。
 そこでこんな噂を耳にした。

 墜落を目撃したという老人は「ミサイルかと思った」と一部始終を興奮気味に語ると、こう付け加えた。
「墜落の直前、パラシュートが2つ落ちてきたんだ。私は直接この目で見ることはできなかった。でも、見た人がたくさんいるんだ!」

 爆発音がする直前に、機内から脱出する2つのパラシュートを複数の人が目撃しているという。
 老人は、爆発音を聞いてから空を見上げたため、パラシュートを直接見てはいない。
それでも、パラシュートの話を強調した。

■故郷での“隠された埋葬劇”の謎

 墜落にも多くの疑問が残るが、プリゴジン氏の埋葬も謎に満ちている。

 8月29日。
 プリゴジン氏の故郷サンクトペテルブルク市内では、プリゴジン氏の葬儀で混乱が起こることを警戒した警察や治安部隊が、早朝から市の中心部の北にあるセラフィモフスコエ墓地に集結していた。
 プーチン大統領の両親も埋葬されているこの墓地の入り口には、前日から金属探知機が設置され、墓地内を数百人の警察・治安部隊が巡回し続けている。
 しかし、何も起こらないまま時間だけが過ぎていく。

■別の場所で“お別れ会”? 霊柩車も登場

 午後1時ごろになると、突然、サンクトペテルブルクの中心部でプリゴジン氏の「お別れ会」が開かれているとの情報が駆け巡った。
 情報を確認するため急行すると、建物の周囲をワグネルの屈強な兵士らが厳重に警備し、霊柩車が横付けされていた。
 しばらくすると何かが霊柩車に運び込まれ、車体が深く沈みこんだ。

 プリゴジン氏の棺だろうか?
 しかしその後、現地メディアが建物の中を確認するともぬけの殻だった。また、その後、霊柩車もプリゴジン氏が埋葬されたところとは別の墓地で目撃された。「お別れ会」は完全な芝居だったとみられている。

■広報の発表はさらに別の場所 警察も知らされず?

 市内の墓地は午後5時には閉まる。プリゴジン氏の埋葬は翌日以降になるだろうと思い始めた丁度そのころ。
 午後5時20分、プリゴジン氏の広報のSNSが突如報じた。

 「エフゲニー・ビクトロビッチ(=プリゴジン氏)への別れは非公開形式で行われた。 別れを告げたい人は、ポロホフスコエ墓地を訪れることができる」

 警察やメディアが警戒している場所とは全く別の、市の東端で葬儀が秘密裏に行われていたということだ。

 SNSの発表から30分ほど過ぎたところで、警察や治安部隊の車両がポロホフスコエ墓地に続々と到着する。SNSの発信を受けて、慌ててやってきたようだった。
彼らも混乱していたようで、警察や機動隊などがそれぞれの持ち場を巡って口論になっていた。
 墓地の入り口は細く、一人分の通路しかないため、車両から降りてくる数百人の警察官らは公道まであふれていた。ライフルやドローン迎撃銃を携えるものもいる。ものものしい空気の中、追悼のために訪れた市民はその日、立ち入りを禁じられた。

■ここまで葬儀を秘密裏に行う理由

 独立系メディア「モスクワ・タイムズ」によると、プリゴジン氏の葬儀を世間から隠したのは、大統領府の意向だという。
 政府高官は同紙の取材に、葬儀会場にワグネルの兵士や市民が大規模に集結するのを防ぐためだったと説明している。映像や写真も一切禁止にし、プリゴジン氏が「英雄視」されることを徹底的に防ぐ狙いだったという。

 プリゴジン氏が「英雄視」されるというのは、私たち日本人にとっては違和感がある。
 数十年前にプリゴジン氏の下で働いたという男性は、「プリゴジン氏は常に恐怖で支配していた」と語り、いまだに恐れている。最近では、ワグネルからの脱走者の頭をハンマーでつぶすなど残虐な性格が知れ渡っている。

 にもかかわらず「プリゴジン氏は英雄だ」というロシア人は少なくない。
 ウクライナへの侵攻が長期化する中、プリゴジン氏は「侵攻が失敗している」という現実を汚い言葉も混ぜながら怒りに任せて率直に語った。
 多くのロシア人は「嘘をつかない、本音を語る人だ」と心を寄せるのだ。

 独立系世論調査機関「レバダ・センター」の調査でも、6月の反乱の失敗後に落ち込んだプリゴジン氏の支持率は回復傾向にあったという。

 こうしたロシア人のメンタリティーがあるからこそ、ロシア大統領府はプリゴジン氏の英雄、神格化を強く恐れたのだ。

■16%が「プリゴジンは生きている」と信じている

 ところが、大統領府の狙いどおりにはいかないようだ。別の現象が起こりつつある。
真相が分からないジェット機の墜落やプリゴジン氏の棺や葬儀の写真が一切表に出ていなという不自然な状況がロシア人にある疑念を抱かせているのだ。

 「レバダ・センター」は、ビジネスジェット機の墜落の理由についてどう考えるか尋ねた結果を9月1日に発表した。

 26%は「悲劇的な事故だった」と考え、20%が「6月の武装反乱に対するプーチン政権の報復だ」と信じている。
 興味深いのは16%の人が、「事故はプリゴジン氏自身が引き起こしたもので、プリゴジン氏は生きている」と信じているという。自作自演だと思っているのだ。

■トップを失ったワグネル兵らの動向は…?

 ブルームバーグなどの報道によれば、ロシア国防省や外務省は現在、アフリカで活動するワグネルに国防省傘下に入るよう圧力を加えているという。
 ただ、スムーズに成功するかは分からない。

 墜落したビジネスジェットに同乗して死亡したワグネルの幹部の葬儀などに現れたプロの傭兵たちは、けた違いに屈強で、周囲を警備する警察官らを圧倒していた。
 互いに固い握手を交わしあっている彼らが、国防省の傘下にすんなりと収まるのだろうか。
 ましてや、仮にプリゴジン氏が生きているという「神話」が広がれば、ワグネルの求心力につながるだろう。

 また、アフリカでは中国が勢力を広げている。
 アフリカ各国政府に影響力を持つワグネルの行方には、中国も食指を伸ばしてくることも想定される。
 ロシア国防省が直面する課題は容易ではない。

■重大な岐路に立たされたプーチン政権

 プリゴジン氏の「死」によってプーチン政権は、正反対の方向に向かう大きな岐路に立たされていると指摘されている。

 ひとつは、プーチン政権が安定するという見方。
 プリゴジン氏という不安定要素を取り除くだけではなく、墜落劇という悲劇的な結末は、プーチン政権に対して反感を抱くエリートや軍人たちへの見せしめになり、反乱の芽を摘むことになるというのだ。

 もう一つは、全く逆で、さらに不安定になるという見方だ。
 ワグネルの兵士にかぎらず、劣勢が続くロシア軍内部にも、本音では、侵攻が失敗していると言い切るプリゴジン氏に同調する軍人は少なくない。
 戦場で戦い続けている者たちにとって、墜落死が脅しになるとも考えづらい。
 彼らの不満が解消されないまま爆発すれば、国内情勢の不安定化は避けられない。

【ANN取材団】

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