留学中に資料と格闘の日々…思い出のテムズ川へ 陛下のライフワーク「世界の水問題」

[2024/06/24 23:30]

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イギリスを訪問中の天皇陛下は、テムズ川の氾濫から市民を守る開閉式の水門『テムズバリア』を視察されました。

水門の上部で、仕組みの説明を受けられています。

テムズ川は、陛下にとって縁深き場所。“原点”ともいえる場所です。

首都ロンドンと東西の都市を結ぶイギリスを象徴する河川。特に近代史、産業革命の黎明期には、石炭の運搬を支えたのが、このテムズ川の水運でした。そのメカニズムや歴史的意義に魅入られ、陛下は、この分野の研究に打ち込んでいきます。例えば、自身の足で、イフリー・ロックの水門を見にこられたそうです。

佐藤裕樹記者:「いま、テムズ川のロックの中に船が入ってきました。ロックの中に水を注入して水位を上げて、船が上流に行けるようにしています」

いまではパナマ運河などで当たり前の光景になりましたが、こうした水門の技術が18世紀のテムズ川で発展を遂げたというのが、陛下の研究論文のテーマでした。

直接、ご自身の目で施設を見られることは、研究の醍醐味だったに違いありません。一方で、研究の大きな柱である“資料集め”は困難を極めたそうです。自身の著書で、こう語られています。

『水運史から世界の水へ』から:「記事の索引は何故か1790年までしか作成されておらず、調査対象とした1800年までの10年間は、新聞の記事を丹念にめくる作業が必要になりました。日刊の新聞でなかったのは救いでしたが、週1回出る新聞でも、10年分を見るのは骨が折れました」

200年前の資料を探すため、図書館をいくつも回られたといいます。

天皇陛下(19日):「今でも留学から帰国した後にまとめた研究論文を読み直すと、テムズとともに過ごした日々の記憶がありありとよみがえってきます。テムズ関係の資料集めに奔走したこと、研究で疲れた私を癒してくれたテムズの緩やかな流れと周囲の美しい景観。テムズを見ながら川沿いをジョギングした日々など、数え上げたらきりがありません」

テムズ川との出会いで、“水運”に魅了された天皇陛下。イギリス留学終了の2年後、ネパールを訪問された際、“水”に対する新たな思いが芽生えたそうです。そして、それをずっと世界に訴えられています。

天皇陛下(2022年):「私は、かつて、ネパールの山間部の共同水道で、水をくむ女性や子どもたちの姿を見たことが、水問題に関心を持つきっかけとなったことをご紹介しました。蛇口をひねれば、すぐ飲める水もあれば、何時間もかけて並び、山道を運んで、ようやく手に入る水もあるのです」

水によって、工業が発展する国もあれば、水の確保すらままならない国もある。人の営みに不可欠な水だからこそ、そこに差が生じてはいけないというのが、陛下が、長年、発している思いです。

『水運史から世界の水へ』から:「大切な水が、人々が知恵を出し合うことにより分かち合われ、その結果、紛争や貧困、教育やジェンダーなどの問題が改善され、平和と繁栄、そして幸福がすべての人々にもたらされるようになることを、心から願わずにはいられません」

以前、陛下が視察に訪れた、テムズ川沿いの博物館では、陛下のサインが入った論文を大切に保管しています。

川・漕艇博物館 オコナ―館長:「水質や水不足の問題、水域施設を守る重要性を陛下も一緒に呼びかけ、議論を活発化させることで、世界は、この問題をより真剣に受けとめてくれます」

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