蘇州スクールバス襲撃事件 各地で相次ぐ刺傷事件 小出しの当局情報と明かされぬ動機

[2024/06/30 19:00]

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「蘇州の事件、動機は何ですかね?」

江蘇省蘇州市で起きた、スクールバスの襲撃事件は、中国の日本人社会に大きな衝撃を与えた。

蘇州は中国で4番目に日本人が多く暮らす町で、筆者の住む北京にも現地に知り合いがいる人は多い。その蘇州で、子どもを含む日本人が襲われたということで、北京でも他人ごとではなく、会う人の多くが事件について気にかけていた。

襲われた日本人の親子は幸い命に別状はなかったが、男を阻止しようとしたバス会社の従業員の女性は、手当ての甲斐もなく28日に死亡が発表された。この事件について中国当局の情報の公表の仕方は、我々日本メディアからするとかなり不自然なものだった。その背景には、何があったのか?

中国便り23号

ANN中国総局長 冨坂範明  2024年6月

■衝撃の事件も 官製メディアは沈黙保つ

事件は6月24日午後、蘇州の日本人学校の下校時間に起きた。

バス停に日本人学校のスクールバスを迎えに行っていた日本人の母親と未就学の男の子に、中国人の男が刃物で切りかかったのだ。さらに、中国人の女性が刺されて重体だという情報が飛び込んできた。

日中関係が悪化する中で、日本人を狙った犯行だとしたら、両国関係に与える影響も非常に大きい。

我々ANNを含む日本メディアは、上海の日本総領事館が把握している情報やSNSなどを分析して速報の記事を書き、24日の夜中から現場に記者を派遣して取材を開始した。

しかし、ここで奇妙なことが起こる。

新華社や人民日報、中国中央テレビといったいわゆる「官製メディア」は、この事件を一切報道せず、沈黙を保ったのだ。

事件が起きたのはまだ明るい時刻だし、多くの目撃者がいたはずだ。官製メディアの記者にも当然情報は入ってきていただろうが、一切その内容を報じることはなかった。

また、本来ならば市民に注意喚起を促すべき蘇州市の公安当局からの説明も、一切なかった。海外メディアの情報を入手できない一般の中国の人にとっては、文字通り事件は「ないこと」になっていた。

考えられるのは、メディアを統括する中国共産党の宣伝部門が、報道の許可を与えなかったということだ。事件の性質を見極めるために時間が必要だったことや、模倣犯の発生を防ぐ狙いがあったことなどが、理由として考えられる。

蘇州市内の警察車両

私は10年前にも北京に赴任していたが、そのころよりもメディアに対する党の統制は格段に強まっていると、改めて感じた。いずれにせよ、外国人が切り付けられた事件は「安全」を重視する現政権にとってはメンツを失う事態でもあり、事態を「クールダウン」させる時間を稼いだともいえる。

■中国外務省が「情報解禁」 あくまで「安全」を強調

中国政府が沈黙を破ったのは、事件発生からほぼ1日経った、中国外務省の会見の場だった。

「蘇州市在住の2人の日本人、1人の中国人が同時に襲われ負傷した。2人の日本人は命に別状はなく、負傷した中国人はまだ救命中であり、犯人はその場で逮捕された」と、初めて事件発生を公式に認めたのだ。

その上で、「事件は偶発的なものだ」と改めて強調。計画的に外国人を狙ったものではないとした。さらに、「このような事件は世界のどこでも起こりうるもので、中国は世界で最も安全な国の一つだ」「あなたもそれを、実感しているでしょう」と付け加えた。

記者の質問に答える中国外務省報道官

外務省の報道官としては、現政権が重視する「安全」を強調することが最も大事だったのだろう。ただ、記者の主観にまで踏み込んで、「安全」を強調する姿勢に、私は違和感を覚えた。

この中国外務省の発表を待っていたかのように、蘇州市の警察当局も、初めて事件を公表。容疑者についての情報も、短く公開した。「容疑者は周という姓で、最近別の場所から蘇州に来た、52歳の無職の男だ」という内容だ。

そこから、中国メディアも事件の事実関係を報じる報道を始めたが、肝心の動機については、まったく発表されなかった。

■痛ましい中国人女性の死 「称号」授与も「日本」には触れず

容疑者の背景についての情報が全く公開されない中で、被害にあった中国人女性が26日に亡くなっていたことが、28日になって公表された。

被害者は胡友平さんという54歳の女性で、蘇州市は「正義感ある勇敢な模範」という称号の授与の検討に入ったという。

ただし、ネットでの反日感情への考慮からか、蘇州市の発表文には「日本」という文字はなく、日本人の親子を救ったという事実は明記されなかった。

国営の新華社通信も独自取材で、事件の様子を詳しく報じた。

胡さんは背後から容疑者を抱きかかえるように倒れ、容疑者に逆手に刺されたのだという。「もし彼女が容疑者を止めなかったから、もっと多くの人が負傷しただろう」という、目撃者の証言も紹介された。

亡くなった胡友平さんを悼み、北京の日本大使館は半旗を掲げた

中国外務省も、「彼女は中国人のやさしさと勇気を体現し、正義を貫く精神と、他人を助ける勇気を映し出した」と称賛したほか、北京にある日本大使館も、半旗を掲げて胡さんの死を悼んだ。

多くの子どもたちを救ってくれた胡さんには、感謝の言葉しかない。心からお悔やみを申し上げる。

ただ、事件の全容が、これですべて明らかになったわけではない。

蘇州市公安局の公示。胡友平さんについて「他人の深刻な生命の危機に、自らの安全を顧みず立ち向かった」とあるが、日本には触れられていない(蘇州市公安局HPより)

■各地で相次ぐ刺傷事件、明かされない動機

襲われたスクールバスには、「日本人学校」という表記はなかった。なので、日本人を狙った犯行かどうかは、今のところはわからない。ただ、スクールバスを狙っていることから、幼い子どもを狙った犯行だということは、間違いないだろう。

中国では、6月10日に吉林省で、アメリカ人4人が55歳の地元の男に刺されたほか、6月19日には上海の地下鉄駅構内で、中国人3人が刃物で襲われ負傷する事件が起きている。この時に、拘束されたのは54歳の男だった。50代の男による刺傷事件が中国各地で相次いでいる。

ただし、いずれの事件も動機は発表されていない。そもそも、中国メディアでは、容疑者の動機まで踏み込んで報道することもあまりない。発表や報道がないことで、余計に背景に「当局に不都合な事実」があるのではないかと、臆測を呼ぶことにもなっている。社会的な不満を持った人たちが、刃物による襲撃を起こしている可能性はないだろうか。

現場のバス停に供えられた胡友平さんへの献花

胡さんのような悲劇をもう二度と生まないためにも、中国当局には、動機の解明と発表を求めたい。

  • 事件のあったバス停
  • 蘇州市内の警察車両
  • 記者の質問に答える中国外務省報道官
  • 亡くなった胡友平さんを悼み、北京の日本大使館は半旗を掲げた
  • 蘇州市公安局の公示。胡友平さんについて「他人の深刻な生命の危機に、自らの安全を顧みず立ち向かった」とあるが、日本には触れられていない(蘇州市公安局HPより)
  • 現場のバス停に供えられた胡友平さんへの献花

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