中国の国会にあたる全人代=全国人民代表大会が3月5日から開幕する。この一大政治イベントを前に、国営テレビなどの官製メディアが連日盛んに報道し、「強い」と「推して」いる内容が2つある。
1つは生成AI「ディープシーク」に代表される“中国産テクノロジー”の強さで、もう1つはアニメ映画『ナタ2』に代表される“中国産ソフトパワー”の強さだ。これらの「メイドインチャイナ」の実力は果たして本物なのか、それとも単なる国威発揚の宣伝に過ぎないのか?考えてみた。
中国便り31号
ANN中国総局長 冨坂範明 2025年02月
■春節中に起きた「ディープシーク」ショック
まず生成AI「ディープシーク」だが、関連する報道は春節休み中の1月末に急増した。
最新モデル「R1」が低コストで優れた性能を実現したと報じられ、高性能を実現するには巨額の投資が必要だと考えられてきたこれまでの生成AI業界の常識を「覆した」とされたからだ。
特に、最先端の半導体を規制して、AI分野でのリードを守ろうとしてきたアメリカのショックは大きく、半導体大手の「エヌビディア」を筆頭にハイテク株は軒並み値を下げた。
これに先立つ1月20日に「ディープシーク」の若き創業者・梁文鋒氏が、全人代の準備のための政府の会議に出席していたことも話題となった。一連の報道より先に、中国政府は「ディープシーク」を高く評価していたのだ。アメリカの制裁にも負けない「自立自強」のシンボル、「メイドインチャイナ」の強さを示すアイコンとして、利用価値を早くから認めていたともいえる。
一度火が付くと中国社会の動きは速い。20社以上の自動車メーカーが「ディープシーク」導入を表明したほか、AI教師、AI小児科医、AI公務員まで誕生し、連日話題を提供している。私も流行りに乗って「ディープシーク」を使い始めた口だが、天安門事件が起きた「1989年6月4日の出来事は?」と質問してみたところ、「話題を変えましょう」とはぐらかされてしまった。
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■「自立自強」のシンボル 民間企業トップが大集合■「自立自強」のシンボル 民間企業トップが大集合
「特色ある社会主義」を唱える中国には、国営企業と民間企業がある。
「ディープシーク」は民間企業だが、これまでも中国で大きなイノベーションを起こしてきたのは、民間企業の側だった。通信機器の「ファーウェイ」、電気自動車の「BYD」、IT大手の「アリババ」などだ。
一方習近平政権は、民間企業が力を持ちすぎて中国共産党の一党支配に影響することを恐れ、制限を加えてきた。2020年に「アリババ」の金融子会社「アント」の上場が直前にストップされたのは象徴的な出来事だ。また「共同富裕」のスローガンの下、利益を上げすぎることは「悪」とみられる風潮もあった。
しかし、経済の減速が続く中で、民間企業の力に頼らざるを得なくなったのだろう。2月17日に習近平政権は、前述した4つの企業を含む30社以上の民間企業トップを一堂に集め、座談会を開催し「民間企業の発展を促す」と強調した。中国共産党の最高幹部7人のうち4人が出席したこのイベントにも、国威発揚の狙いがあったのは間違いない。
民間企業からすると都合の良い時だけ利用され、胸中は複雑だろうが、中国でビジネスをする以上、中国共産党には逆らえない。「アント」の件で煮え湯を飲まされた「アリババ」のトップ、馬雲(ジャック・マー)氏が習近平国家主席と握手をしていたが、ニュースで報道されたのは後ろ姿のみで、表情はうかがえなかった。
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■ソフトパワーも充実 アニメ映画『ナタ2』が大ヒット
■ソフトパワーも充実 アニメ映画『ナタ2』が大ヒット
次に2月に入って「メイドインチャイナ」の強さを象徴する話題として、中国メディアが大々的に取り上げていたのは、『ナタ2』というアニメ映画だ。
「ナタ」とは道教に関連する中国の神で、「大きな目に不揃いな前歯」が印象的なキャラクターに描かれている。こちらも春節中からキャンペーンが始まり、2月28日までに140億元(約2940億円)の興行収入を突破し、アニメ映画で世界1位の記録を打ち立てた。
圧倒的な報道量につられて見に行ったという人も多いが、感想は大きく2つに分けられる。「3回泣いた」という大絶賛派と、「それほどでも」という冷静派だ。私は後者の方で、確かにアニメとしての表現力はすごかったが、『ナタ1』を見ていなかったこともあり、ストーリーにはそこまで入り込めなかった。
国営企業や軍に関係する知人からは、『ナタ2』を職場で見るよう、動員がかけられたという話も聞いた。大ヒットの背景には、国を挙げての大プッシュで、ある程度下駄(げた)をはかされている面があるのかもしれない。また、すでにアメリカでの上映が始まったほか、今後は日本での上映も予定されている。ガチンコの世界市場でどこまで戦えるかが、今後の注目点だろう。
■米中「貿易戦争」加熱で…例年より強めの「チャイナ推し」?
全人代を前に、中国の強さ、すばらしさをたたえる報道が増えるのは、例年の出来事だ。しかし今年は例年より報道量が多いように感じる。その背景の1つには、アメリカのトランプ新政権の発足もあるだろう。就任早々、トランプ政権は中国に10%の関税をかけ、3月4日にさらに10%の上乗せをすると予告している。
貿易戦争がエスカレートしているなかで、「アメリカが何をやってきても、中国は大丈夫」という自信を国民に持たせる狙いも、一連の「メイドインチャイナ推し」報道の背景にあるのだろう。
ただ、過剰に「推されて」いるとはいえ、中国の民間企業のイノベーションを起こす力や、中国社会のイノベーションを実装する力は非常に強いと現地に住んで実感する。一方、アニメなどのソフトパワーに関しては、日本にまだ一日の長があるかもしれないが、急速に発展していることは間違いない。中国メディアの過剰な宣伝に目がくらみがちになるが、しっかりと実際の実力を伝えていきたい。