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8日に全焼した「旧田中角栄邸」。陳情のため、かつてひっきりなしに人が訪れた“目白御殿”の中では、何が起きていたのでしょうか。田中派の事務局で働いていた石破元幹事長が語りました。
■旧田中角栄邸 8日に全焼
自民党・石破 茂 元幹事長
「歴史の舞台が一つ消えた。日本政治の中心は、首相官邸でもなく、自民党本部でもなく、目白のお屋敷だった」
「歴史の舞台が一つ消えた。日本政治の中心は、首相官邸でもなく、自民党本部でもなく、目白のお屋敷だった」
時代の象徴であり、権力の象徴だった「旧田中角栄邸」は8日、炎に包まれました。“目白御殿”とも言われた旧田中邸。
当時の敷地面積はおよそ8000平方メートル、池で飼っていたニシキゴイは、70匹とも言われています。
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■石破氏「歴史の舞台が消えた」■石破氏「歴史の舞台が消えた」
自民党の石破元幹事長は、議員になる前、田中派の事務局に勤務し、旧田中邸に出入りしていました。
自民党・石破 茂 元幹事長
「『誰が参議院に出ろと言った。君は衆議院に出るんだ』田中先生は、その時、バンと机をたたいてね『よく聞け』と。『日本で起こるすべてのことは、この目白で決めるんだ』って本当に言われたからね」
「だから、角栄先生がおられなければ、私は絶対、国会議員にはなっていない。その舞台は、今回焼けちゃった、目白の応接室だった」
「『誰が参議院に出ろと言った。君は衆議院に出るんだ』田中先生は、その時、バンと机をたたいてね『よく聞け』と。『日本で起こるすべてのことは、この目白で決めるんだ』って本当に言われたからね」
「だから、角栄先生がおられなければ、私は絶対、国会議員にはなっていない。その舞台は、今回焼けちゃった、目白の応接室だった」
■ロッキード事件で逮捕も…「目白の闇将軍」
戦後最年少で総理となり、1976年にロッキード事件で逮捕された後も、権勢を誇った田中角栄元総理。「目白の闇将軍」とも呼ばれました。
故・田中角栄 元総理(1982年)
「来年は大変な年である。わしはもう、自民党員ではありませんから。自民党周辺に住む人です」
「来年は大変な年である。わしはもう、自民党員ではありませんから。自民党周辺に住む人です」
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■「即断即決。それが天才の天才たるゆえん」■「即断即決。それが天才の天才たるゆえん」
これは40年ほど前の旧田中角栄邸です。
大量の寿司が運び込まれていきます。正月には「目白詣」と言われるほど、多くの車が止まり、来客の中には小渕恵三元総理の姿も。
Q.議員になる前から旧田中邸に来ていたが、建物の印象や、どういった方が出入りしていた?
自民党・石破 茂 元幹事長
「朝7時から、お客さんを受け付けていました。ありとあらゆる人が来ていましたが、待合室はほとんど満員だったね。50人は入れたかもしれない」
「(広かった?)広かったですね」
自民党・石破 茂 元幹事長
「朝7時から、お客さんを受け付けていました。ありとあらゆる人が来ていましたが、待合室はほとんど満員だったね。50人は入れたかもしれない」
「(広かった?)広かったですね」
旧田中邸には、いつも陳情の客が絶えなかったといいます。
自民党・石破 茂 元幹事長
「1日何十組くるわけですよ。とても時間が足りませんので、だいたい5分、長くても10分。手元にベルを置いてね。『わかった!すぐやる!』と、そこから自分で電話したりして。『いや、それは難しいな』となると、その場で方向性を示される」
「時間が経つと相手がしゃべりたそうにしていようが、ベルをチーンとたたいて『はい次!』とこういう感じだった。即断即決でしたね。それが天才の天才たるゆえんでしょうよ」
「1日何十組くるわけですよ。とても時間が足りませんので、だいたい5分、長くても10分。手元にベルを置いてね。『わかった!すぐやる!』と、そこから自分で電話したりして。『いや、それは難しいな』となると、その場で方向性を示される」
「時間が経つと相手がしゃべりたそうにしていようが、ベルをチーンとたたいて『はい次!』とこういう感じだった。即断即決でしたね。それが天才の天才たるゆえんでしょうよ」
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■田中眞紀子氏「ガラス割れる音で」■田中眞紀子氏「ガラス割れる音で」
海外からの要人も自宅に招いています。長女の眞紀子さんも出迎えます。
角栄氏が亡くなる前年(1992年)には、中国の江沢民総書記(当時)が訪問。
自民党・石破 茂 元幹事長
「倒れられる一月前ぐらいだったかな、目白に呼ばれて1対1で会いましたよ。『俺も、いつまでもそんなに力はないんだ』というようなことを言っておられた」
「倒れられる一月前ぐらいだったかな、目白に呼ばれて1対1で会いましたよ。『俺も、いつまでもそんなに力はないんだ』というようなことを言っておられた」
石破 茂 議員(当時36歳)
「もうあんな方は二度と出ないと思います」
「もうあんな方は二度と出ないと思います」
角栄氏の墓は、東京ではなく、地元新潟にあります。
Q.お父様にはどんな報告を?
田中 眞紀子 氏(当時56歳)
「感謝しているということに尽きます」
田中 眞紀子 氏(当時56歳)
「感謝しているということに尽きます」
自民党・石破 茂 元幹事長
「眞紀子元外務大臣が、寒い冬の日に、角栄先生を思ってお線香をあげてたのは、それはいろんな思いがあったと思う」
「眞紀子元外務大臣が、寒い冬の日に、角栄先生を思ってお線香をあげてたのは、それはいろんな思いがあったと思う」
警視庁によると、出火時に建物の中にいた眞紀子さんは、「線香をあげた後、敷地内にいて、ガラスが割れる音で気が付いた」と説明しているということです。
警視庁などは、9日午前9時すぎから、実況見分を始めました。