最後の質問に母親の答えは… 心愛さん虐待死裁判3[2019/05/17 21:01]

―千葉・野田市での「完全なる孤独」
 母親は千葉県に引っ越した後、沖縄県にいる家族や友達に連絡を取ることはなかった。母親に「連絡を取りたい」と思ったことがあったが、連絡はできなかったという。

 弁護人:「電話できなかったのはどうして?」
 母親:「…私たち家族の居場所が知られること、旦那から、旦那に叱られると思ったからです」

 弁護人:「千葉に来てから友達はいましたか?」
 母親:「いないです」

 弁護人:「義父母との関係は?」
 母親:「良くないです」

 弁護人:「父親の実家に入れてもらったことは?」
 母親:「ないです」

 弁護人:「去年9月に父親の実家に心愛さんを連れて行った理由は?」
 母親:「心愛が旦那から虐待を受けていて、体にあざがあったからです」

 弁護人:「守らなきゃと思った?」
 母親:「ありますし、心愛本人がアパートにいたくないと言ったので連れて行きました」

 おととし11月、心愛さんは学校のアンケートで父親の「虐待」を訴え、児童相談所に一時保護された。おととし12月末に一時保護を解除された後、心愛さんは父親の実家で生活を始めた。検察官の調べに父親の母は夜中に立たされている心愛さんを見たと話した。

 父親の母:「父親からひどい扱いを受けていることは分かっていた。息子に都合よく、考えが甘い認識を持っていた。申し訳ない」(父親の母の供述調書)

 沖縄県からの引っ越し後、母親が唯一頼れる場所は父親の実家だった。児童相談所の一時保護解除後、父親の「虐待」が続いていることを知った父親の妹は「児童相談所に通報した方がいいのでは」と話した。しかし、父親の父は「父親の圧力が強かった」と検察官に当時の状況を話した。

 心愛さんへの虐待を心配していたとする一方で、母親は父親に迎合する一面も見せていた。母親は父親にLINEでこんなメッセージを送っている。

 母親:「私と(次女)が寝ているのを見計らって冷蔵庫の飲み物を飲んでいた。勝手に部屋から出てこないように言ったけど、絶対また出てくるよね」「まじ何様なんだろう、むかつくね」(検察側が提出したLINEの内容)

 千葉県に引っ越してからは父親に同調するような一面もあった母親。起訴された事実を認めて次のように答えた。

 検察官:「本当はどうしなければならなかったと思いますか?」
 母親:「警察に通報する、もしくは児童相談所や母やきょうだいなどに相談、連絡をしていれば良かったのかなと思います」

―母の顔を見せた瞬間
 母親は質問に10秒ほど沈黙して答えたり、30秒以上沈黙して答えられないことが多かった。特に心愛さんに関する質問では黙り込む姿が多く見られた。

 弁護人:「心愛さんはあなたから見てどんな子でしたか?」
 母親:「…(10秒くらい沈黙)優しくて、笑顔が…いつも笑顔で明るい子でした」

 弁護人:「千葉に来てからはいつも笑顔でしたか?」
 母親:「最初に私が沖縄から…引っ越した時にあった時には…正直(鼻すすり、涙こらえる感じ)あまり元気そうには見えなかったです。暗い感じに見えました(鼻をすする音)」

 弁護人:「亡くなるまでの間、心愛さんは笑顔の時間は長かったですか、短かったですか?」
 母親:「…(すすり泣いているよう)」

 弁護人:「質問を変えます。心愛さんの笑っている顔を思い出せますか?」
 母親:「はい」

 弁護人:「泣き顔や苦しそうな顔は?」
 母親:「はい」

 弁護人:「心愛さんに今思っていることを話せますか?」
 母親:「…」

 弁護人:「言葉にすることは難しいですか、できますか?」
 母親:「…」

 3時間半余りの裁判のなかで母親が唯一感情を見せた場面。生前の心愛さん、亡くなるまでの心愛さんについて話をした時、少しだけだが“母としての顔”が見えた気がした。


―エスカレートする「暴力」…心愛さんの死
 父親の暴力は心愛さんが死亡する3週間ほど前の去年の年末からエスカレートした。
 「12月30日、31日のいずれかの日に夜、リビングで風呂場からドンと音がしてその方向には心愛と父親しかおらず、父親が心愛に暴力を振るったと思い、風呂場へ行った」
 「心愛が風呂場から顔を出し、両まぶたに腫れ、青あざがあった。頬も腫れていてこれまでに見たなかで一番ひどく、何か暴力を振るったのだと思った」
 「31日は年越しそばを食べていたが、父親が『もっとおいしそうに食べれないのか』と言うと心愛の箸が止まり、年越しそばを食べられなくなった」
 「旦那は罰として心愛を風呂場でぶった。 その後は心愛にスクワットをさせ続けて倒れ込むこともあった。両腕をつかんで引きずったり両手を離して床にたたき付けることもあった」(母親の供述調書)

 心愛さんは正月明けの新学期から学校を休んだ。

 検察の供述調書によると、父親は1月12日からは心愛さんに十分な睡眠や食事を取らせず浴室で暴力を振るっていた。母親は父親を止めず、警察にも通報しなかった。母親は「しつけの範囲を超えて虐待だと分かっていたが、私のなかでも旦那の虐待に慣れてしまっていた」と話した。

 この時期、父親はインフルエンザにかかり、自宅にいるようになった。「心愛を見たくない、存在自体が嫌」と言って心愛さんを寝室に閉じ込めた。

 心愛さんは22日午後10時ごろから父親に廊下に立っていることを命じられた。父親が監視している時間もあった。翌日の朝、心愛さんが寝室に戻っていることに気が付くと、父親は再び心愛さんを廊下に立たせた。


―1月24日 死亡当日
 「心愛が服が濡れてはだけたまま立っていた。父親に呼ばれて風呂へ行くと父親が『さっきの体勢になれ』と心愛に言った」
 「心愛が体操座りすると『そうじゃないだろ』と言って寝そべらせた」
 「私には『見ていないとすぐ嘘をつく』と言っていた」
 「心愛は肌着で立ち尽くしていた。 父親:『5秒以内に服を脱げ、5、4,3…』。心愛は服が濡れていて脱ぐことができなかった」
 「父親は水をためて頭から心愛に掛けていた」
 「再び同じことを3回くらい繰り返していた」
 「心愛はシャワーを持ち、お湯を出そうとした」
 「父親は『何でお湯なの?ママがいると甘える』と言っていた」
 「心愛は冷水シャワーを腕に震えながら掛けていた」
 「父親は頭や背中に水を掛けた」(母親の供述調書)

16:00
 「 父親はリビングで心愛の背中に乗って心愛をエビ反りにさせていた」
 「心愛はまたおもらしをした。『俺は絶対片付けないからな』夕食は心愛はなし」(母親の供述調書)

21:00
 「心愛が『トイレに行きたい』と部屋から出てきた」
 「許可なしにはいけない状態。トイレが終わると『寒い寒い』とストーブに震えながらあたっていた」
 「私は『お風呂に入ったら?』と聞いた。『もう寝よっか』と寝室に行った時が最後の会話」
 「寝室に行くと父親が『何でいるの、だめだから』と心愛に言った」
 「おもらしの片付けをしたか聞かれたので『していない』と答えると『させるからちょっと来い』と心愛を連れて行った」
 「その後、叫び声や悲鳴は聞こえなかった」
 「父親が『ちょっと来て、心愛が動かない』と言ってきた」
 「冷静な様子だった。『何で』と見に行くと、仰向けに倒れていた」
 「父親がシャワーでお湯を掛けたが動かなかった」
 「立ち尽くしていると『俺が電話する』と父親が言った」
 「私もお湯を掛けたが反応はなかった。脈を見たが脈がなかった」
 「父親に言われた心臓マッサージを5、6回した。しばらくすると救急隊が来た」(母親の供述調書)

 法廷には父親の110番通報の内容も証拠として提出された。
 父親:「子どもが風呂場に逃げたんですけど、水を掛けたりしたらそのまま動かなくなった。子どもが暴れたのでシャワーを出そうとしたら勝手に出て暴れるのを抑えようとしたら動かなくなった」
 警察:「これまでも故意にたたいたことはないですね」
 父親:「たたいたことはないですね、押さえ付けたりはしますけど」


―母親 心愛さんへの思いは
 裁判の最後に、裁判長は母親に心愛さんについて質問した。

 裁判長:「亡くなった彼女はあなたを何と呼んでいましたか?」
 母親:「ママ」

 裁判長:「してあげた、優しいこと、お母さんらしいことはありましたか?」
 母親:「…」

 裁判長:「ひどい仕打ちをしたことは分かりますか?」
 母親:「…はい」

 質問を受けるたびに10秒から20秒ほど沈黙する母親。心愛さんのどんな姿を思い浮かべていたのか。傍聴席にいる私には写真で見た心愛さんの笑顔が浮かんだ。

 裁判は即日結審した。検察側は「父親の行為を制止せず、心愛さんに食事を与えないなどしていた」「母親の責任を放棄して虐待に同調した悪質な犯行」と指摘。懲役2年を求刑した。一方、弁護側は「起訴事実は争わない」とし、母親が「虐待を制止しなかったのは父親のDVによる支配下にあったことが原因」として執行猶予付きの判決を求めた。判決は来月26日に言い渡される。

(社会部DV・児童虐待問題取材班 笠井理沙 岩本京子 藤原妃奈子 尾崎圭朗)

(了)

こちらも読まれています