「教訓が生かされていない」記録から分かった桁違いの揺れ(3)【関東大震災100年】[2023/08/29 18:00]

関東大震災はどう揺れたのか。東京から270キロ離れた場所にあった記録を見つけ出し、揺れの詳細を明らかにした研究者がいる。記録からわかった本震のエネルギーはこれまでの2倍で、さらに2日間で阪神大震災クラスの地震が本震とあわせ6回起きていたことがわかった。桁違いの地震の実態にたどり着いた名古屋大学の武村雅之特任教授は「今の東京はむしろ危険になっている」と危惧する。
(テレビ朝日報道局社会部災害担当 川崎豊)


◆「経済的な必要が、防災の必要を塗り替えた」

武村さんは、震災の研究をする過程で、その後の東京の復興過程も調べていくことになった。そこで明らかになったのは、関東大震災の被害からの教訓で作られた先人たちの街づくりの意志が必ずしも生かされていない現状だ。

明治から関東大震災までの間、街づくりは一貫した思想のない中で進んだ。区画整理もされず、道路も公園もなく、人口が集中する町が無計画にできた結果として、甚大な被害が出た。この反省に立って計画されたのが「帝都復興事業」だった。

焼けた東京の中心部には幅の広い幹線道路ができた。東京の都心を通る昭和通りはこの復興事業によってできた。幅は44m。真ん中には緑地帯があった。



それが今、延焼を防ぐ理由もあった昭和通りの緑地帯は道路に置き換わった。

震災復興公園として作られた「三大公園」も例外ではない。当初広いオープンスペースが確保されていたが、戦後、中央区の浜町公園には区立総合スポーツセンターと区民斎場、墨田区の錦糸公園にも総合体育館が、隅田公園には台東区側にスポーツセンターが建てられ、それぞれ大きな敷地を有するため、オープンスペースが減少している。さらに隅田公園の墨田区側には、首都高速6号向島線建設の影響で、公園と川沿いの遊歩道は道路で分断されてしまった。

武村さんは経済的な必要が、防災の必要を塗り替えていった象徴的な姿とみている。

◆「危険になっている」東京をどう変えていくのか

関東大震災で得たはずの教訓も徐々にないがしろにされ、経済優先のもと安全性が犠牲になっているのではないか、と武村さんは考える。

現在の東京でも大きな問題となっている江東地域に広がるゼロメートル地帯。高潮や大雨による洪水の危険性はもとより、首都直下地震が起きれば、強い揺れに襲われ堤防が破られれば海水が一気に流入し、200万人の命が危険にさらされる。これも地下水の過剰揚水により地盤沈下が進んだ結果とみる。

木造密集地域は、当初広大だった復興事業の対象からはずれた地域で、区画整理が進まず、曲がりくねった農道が生活道路になり、木造住宅が密集する地域が生まれた。

さらに時代とともに新しい問題も生まれつつある。例えばタワーマンションの林立とその上層階をつなぐエレベーター。多くの人が住めるようになったが、エレベーターが止まると、その中にいる人はもちろん、上層階の住民はたちまち生活に困ることになる。

少し長くなるが、武村さんの言葉に耳を傾けてほしい。

「帝都復興事業の時は一時的にきちんと考えられたんだけど、それが引き継がれていないということが問題です。
東京で起こっている問題では、例えば埋立地のタワーマンションが地震の時にライフラインが麻痺して孤立するかもしれないとか。他にも都心部の高層ビルの容積率を緩和して、乱立した高層ビル街になっていますよね。それが人口集中を起こしますから、その人たちが例えば帰宅困難者になったときに、駅などに近寄ればものすごい数の人がいると、群衆雪崩などということも起こるかもしれないじゃないですか。
そしてあれだけ高層ビルが立っていたら、エレベーターの数も、考えただけでも恐ろしい数ありますよね。その何パーセントで閉じ込め事故が起きるのか。それを助ける態勢はちゃんとしているのか、多分誰にもわからない。もし助けてもらえなかったら命を落とすんですよね。これは市民がこうむる問題ですよね。
それを考えた時に、東京はほかの都市に比べて危険なのか、安全なのかと言われると、今私が言ったように、東京が一番ひどいという状況ですよね。だからむしろ他の都市とくらべて危険になっている、そういうことは考えられるんです」

関東大震災から100年たったが、私たちは今も首都圏直下地震におびえなければいけないのはなぜなのか。

関東大震災のような地震が再来する間隔は、短ければ200年程度ともいわれる。今年は100年で折り返しと考えることもできる。今後は関東大震災のような地震が再び起こる確率がさらに高まり、それに備えていく100年でもある。
どう街づくりを進めていくのか。100年前の出来事ではなく、今の私たちにも突きつけられた重い課題だ。

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