「つなみだにげろー」犠牲者ゼロの村を守った220年前の教訓【関東大震災100年】[2023/08/30 18:00]

1923年首都圏を襲った関東大震災。約10万5000人の死者・行方不明者を出した大災害から今年でちょうど100年が経った。
あまり知られていないが、津波も発生し相模湾や房総半島に加えて伊豆半島の東側に襲いかかった。そんな中、犠牲者がゼロの地域があった。静岡県伊東市の宇佐美地区だ。

静岡県内では、熱海で最大12mの津波が観測され、100人の死者・行方不明者を出すなど、あわせて400人以上の犠牲者をだした。
静岡県伊東市も津波に襲われたが、宇佐美地区では奇跡的にひとりの死者・行方不明者が出なかった。

なぜ人的被害を防げたのか、その理由を記した作文集が宇佐美小学校に残されていた。
(テレビ朝日報道局社会部 朝比奈剛士)

◆100年前の様子を綴った子どもたちの作文集

伊東市の宇佐美小学校には、「大正大震災記」という当時の地震、そして津波を経験した宇佐美尋常高等小学校の全校生729人が書いた作文集が現在も残されていて、中には津波の様子が細かく描かれている。

「あゝ思い出せば9月1日。学校から帰って間がなかった。お母さんが御飯の支度をして、食べようとしたその時、弟や姉は箸を持った、(その)ときおじいさんが『ソラッ地震だ』と、大声で叫んだ。『ソレッ』と飛び出たが立っていられない。
家の中の戸は、はずれ、たんすはころける。茶碗や皿が落ちて砕ける音。そのうちに城宿の方から『ソラ津波だー』と、泣き叫びながら、桑原や阿原田方面へとんでいく。あゝなんと恐ろしい事であろう」

「私が子どもをおぶって居ますと、そこらが、がたーとするので表へ出ると、よっぽど大きく揺れて、私は表でころけまわりました。そして『今大きなぢしん』などと話して居ますと、下の方から『つなみだにげろー』呼ばわるこえがします。
私は子をおぶったままお母さんたちと一所ににげました。もう家が流れたり、つぶれたりするので、みんなは泣きながら上のほうへ行きます」

作文集を読んでいくと、急な地震による、人々の戸惑いや恐怖などを感じる。

日常を過ごしていた人々を激しい揺れが襲う。突然の出来事に、多くの人が混乱しながらも建物から出て避難を始めた。

その直後、宇佐美の人たちはすぐに「津波だー」「逃げろ」という声を掛け合い、少しでも高い場所に避難した。

作文集に出てくる阿原田は現在、宇佐美の避難場所に指定されている高台であり、当時の人もそういった場所に逃げることで、死者も行方不明者も出すことはなかった。

なぜ、混乱する状況の中、宇佐美の人々は迅速な避難ができたのか。

◆語り継がれていた220年前の地震

関東大震災よりも220年前の1703年、宇佐美は関東大震災よりも規模が大きいとされる元禄地震に襲われた。その様子が寺の石碑に刻まれていた。

「海の潮も全く引かず、津波が突然襲ってきた。あっという間の出来事で逃げ遅れ、溺死者は380人余りに達した。まさにこの世の終わりようであった」

当時の人たちは、地震の後に潮が引き、しばらくしてから津波が来ると思っていた。
その為、考えていたより早く到達した津波から逃れることが出来ず多くの人が亡くなってしまった。

その痛ましい記憶が、宇佐美の人たちに「地震の後にはすぐ津波が来る」という伝承として残り。自分たちを襲った津波の恐ろしさや津波に対するの認識の甘さによる“過去の失敗”を親から子へ、子から孫へ言い聞かせるように語られ、みんなの記憶に残っていたという。

結果、地震発生時の「ソラ津波だ」「逃げろ」という行動につながり、関東大震災で多くの人の命を救った。

◆「過去の教訓を今に生かすことが重要」

関東大震災の津波被害や熱海の土石流災害など地域の防災について研究をしている熱海市の防災研究家・中田剛充さんは言う。

「過去に発生した災害を今後のためにどう伝えていくか、その中でも地域によって災害は違う」

中田さんは地域ごとの災害を調べる中で、宇佐美の作文集のことを知り、
大きな被害を出した関東大震災の中で、なぜ宇佐美では死者・行方不明者が出なかったのかについて分析をしたという。

「元禄地震の時に、逃げてきた人たちは海岸部から内陸のほうに逃げた人たちが小学校の付近で大勢亡くなった。そういう伝承が当時の方にあった、その高さではだめだと。
作文の中でも出てきたように、一度避難した場所よりも、もっと高い場所に逃げなければだめだという風な声を上げる人がいました。その結果宇佐美の人々は高台(阿原田)へ避難し助かることが出来ました」

220年も前に起きた元禄地震の経験を後世にしっかりと伝えることで、宇佐美では関東大震災の被害を抑えることが出来た。

取材をする中で、経験していない津波を自分事として捉えてもらうために、伝えることの重要さを感じた。

◆災害時になにが大切か

中田さんは作文集の研究をする中で、2年前から児童らに向けて関東大震災で起きた津波について授業を行っている。

中田さんは、関東大震災の津波によって、地域の多くの家が流された写真を子どもたちに見せた。子どもたちは、いまの伊東市との違いに驚きの表情を見せた。

続けて作文集の内容を子どもたちに読み聞かせる。
「『作文集の中に津波だ、津波だ、とさけぶので、ヤブから飛び出して阿原田(地区)の方へ逃げようとする』とありますが、どうして阿原田に逃げようとしたかわかります?」

児童は「阿原田は高いところにあるし、海から一番遠いところにあるから」と答えた。

100年前の津波から避難した状況を子どもたちに考えてもらいながら、高い所へ逃げることの大切さを教えている。

中田さんは授業の最後に子どもたちにこう伝えている。
「100年前にも言っていたように災害が起きた時、まずは『逃げろ』の声掛けが何よりも大事です。
そして自分が住んでいる地域では、どういう災害が起こる可能性があるのかを知り、それを地域のみんなに伝えていくという、地域のつながりがとても大切です」

◆身近な災害を知ることで守れる命

「きょう聞いた100年前の話を、これから起こるかもしれない災害の時に活かしていきたい」
「授業のなかで言っていたように『逃げろ』っていうことをみんなに伝えながら避難したい」

子どもたちは、授業を受けて地震や津波に対しての意識が変わったと話している。

宇佐美では相模トラフ地震が起こった場合、最大17mの高さの津波が3分で到達すると予想されている。そのため、避難は時間との勝負になってくる。

「授業を受ける前と受けた後では、子供たちが避難訓練を自分事と捉えるようになり、計測タイムが大幅に縮まりました」

木村教頭はこう話してくれた。
「過去の震災から学んだ“経験”が多くの命を救った。その“経験”をこれからも語り継いでいくことが、いつ起きるか分からない災害時に再び多くの命を救うのではないだろうか」

こちらも読まれています