「墓前で謝罪を」保釈されずに病死の夫 妻がみつめた無念 大川原化工機冤罪事件で判決

[2023/12/27 18:32]

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大きな窓からは、富士山が一望できる。夫妻が終の棲家にと、静岡に移住したのは5年前のこと。

「2人になったら、富士山が見えるところで野菜を作ったり、小屋をつくってそこで竹細工をしたいな」

妻に老後の夢を語っていた技術者は、2021年2月、都内の病院で息を引き取った。機械メーカー「大川原化工機」の顧問だった相嶋静夫(あいしましずお)さん、当時72歳。相嶋さんは警視庁に兵器の製造に転用できる機械を不正に輸出したとして社長らとともに逮捕、その後、東京地検に起訴された。しかし、相嶋さんが亡くなってから5カ月後、東京地検は起訴を取り消した。相嶋さんは、東京拘置所に勾留されている間に胃がんの診断を受けたが、満足な治療が受けられず、自身の潔白が証明される前にこの世を去ってしまった。

「二度と同じような思いをする人がいないように…」妻が取材に応じてくれた。

(テレビ朝日社会部 吉田遥)

■「やっと経営から離れて実験できる」 

 

雲がなければ富士山が見える

相嶋さんが勤めていた「大川原化工機」は液体を高温で乾燥させて粉末化する噴霧乾燥器を開発・製造する機械メーカーだ。粉ミルクや、コーヒーなどの食料から医薬品まで、様々な用途に使われている。相嶋さんはこの会社の技術部門のトップを務めたのち、静岡の同社研究所で後輩の育成や商品開発などをしていた。夫婦2人で静かな生活を楽しむため、富士山の見える家も買った。

「二度と同じ思いをする人がいないように」相嶋さんの遺影の前で取材に応じていただいた

妻は、当時の相嶋さんの様子を、「もともと実験や観察が大好きな人で、学生時代から実験まみれ。やっと経営から離れて実験できるとすごい嬉しそうだった。目がキラキラ輝いていた」と振り返る。  

相嶋さんと孫と富士山

しかし、その生活は長くは続かなかった。2018年、警視庁公安部の捜査が始まったからだ。容疑は、「生物兵器に転用可能な噴霧乾燥器を無許可で輸出した」というもの。

大川原化工機の噴霧乾燥器

「警察にいくら説明してもわかんないんだよね、と困り果てていた。何とかわかってもらいたいという気持ちで毎月1日がかり。だいたい夕方に帰ってきて、次の事情聴取の時には時間を守って行くというのを毎月毎月やっていました」

■「警察の方にもお茶を」破壊された平穏な生活

 

原宿署 相嶋さんは静岡から通った

相嶋さんは聴取に応じるため、静岡から東京の原宿署まで通い続けた。同僚ら約50人も、あわせて250回以上にも及ぶ任意聴取を受け、捜査に協力していた。

にも関わらず、警察の姿勢は変わらなかった。2020年3月の朝、突然5人の警察官が静岡の自宅にやってきたのだ。

「何の説明もなく、ちょっと一緒に来てくださいと」
「主人もなにがなんだかわからないけれど、『警察の方にもお茶をあげて』と」
「そこまで心遣いをしていたのに、何にも通じなくて、連れていかれてしまいました」

検察庁に身柄を送られる相嶋さん 2020年3月 大崎警察署

昼ご飯はきちんと食べたのだろうか、夜には自宅に帰ってくるのだろうか。妻はその日、不安で眠ることができなかった。そして次の日、妻がテレビで目にしたのは、手錠をかけられた相嶋さんの姿だった。

■長引く勾留…体調が日に日に悪化

東京拘置所 相嶋さんは約8カ月間ここで勾留された

2020年3月11日、警視庁公安部は相嶋さんら3人を外為法違反の疑いで逮捕した。3人は一貫して「噴霧器は生物兵器には転用できず、輸出規制の要件には当たらない」などと無罪を主張したが、東京地検は相嶋さんらを起訴、再三の保釈請求も認められず、東京拘置所での勾留が続いた。

  

妻は面会で、相嶋さんになぜこんなことになったのか、尋ねたという。普段はどんな質問にも答える相嶋さんの返事は一言、「わからない」。少しでも相嶋さんを励まそうと面会を続けたが、相嶋さんの様子はみるみるおかしくなっていった。

顔は白く、拘置所の職員に付き添われながら車いすで面会に応じるようになった相嶋さんに、妻はうそをついて罪を認めたらどうかと提案したこともあったが、相嶋さんはうつむいたままだった。

■勾留開始から7カ月 胃がんがみつかるも裁判所は保釈を許さず

逮捕から半年後の2020年9月、相嶋さんは貧血の症状を訴え、輸血を受けた。拘置所内で内視鏡検査などを受け、10月上旬に胃がんが判明。相嶋さんの家族らはすぐに保釈を求めたが、許可はおりなかった。証拠を隠滅する恐れがあると判断されたからだ。

相嶋さんの日記 「潰瘍」「専門医にかかりたい」などの記述

「本人も死にたくなかったし、家族も死んだら困る」
「神様がいるんだったら、もう助けて下さいって、毎晩毎晩祈りました」
「拘置所で死なせられないと思って、なんとか病院に運びたいと思っていたけど、あまりにも遅すぎちゃった」

■「泣いていました、涙がつーっと」

入院中の相嶋さん

胃がんが見つかってから1カ月以上経ち、保釈は許されぬままだったが、一時的に勾留停止が執行され、ようやく病院に入院。しかし入院中、相嶋さんから事件について聞くことは、できなかった。

「もう食べられない、水も飲めない状態でもう駄目だと思って。緩和病棟にすぐ入院して、もう何も聞けなかったです。 主人も言いたいことあったと思うけど、言えなかったでしょうね。ただただもう、CTした時に自分の肝臓が肥大しているのを見て、泣いていました」

入院から3カ月後の2021年2月7日、相嶋さんは息を引き取った。

「泣いていました。涙がつーっと。悔しさが伝わってきて、言葉がなかったです」

■「立件方向にねじ曲げ」初公判直前で起訴取り消し

 

相嶋さんが亡くなってから5カ月後、事件は急展開する。2021年7月、初公判の4日前になって、東京地検が起訴を取り消したのだ。

検察は、警察から送致された証拠をもとに、必要であれば再捜査を行い、裁判にかけるかどうかを判断する。当時、起訴取り消しの理由を、東京地検は「再捜査の結果、輸出規制の要件にあてはまらない可能性が出たため」と説明した。

警視庁の任意捜査の段階から、相嶋さんらは、規制要件にあてはまらない旨を主張してきた。

なぜ、誰もブレーキをかけることができなかったのか。

家族や会社は、国と警視庁を管轄する東京都に対し、約5億7000万円の損害賠償を求め民事裁判を起こした。

■「間違いがあったとは思っていない」

 

東京地裁 2023年7月5日

法廷で、当時捜査を担当した検事は、こう証言した。

「そこに戻ってどういう判断をするかというと、同じ判断をします。ただ、起訴後、公訴取り消しがされていることはわかっていますので、起訴後にどういう事情で公訴取消しになったのか分からなかったですが、検察官として真摯に受け止めたいと考えています」「当時の判断に間違いがあったとは思っていないので、謝罪はありません」

しかし、関係者によると、検事は起訴の1週間前、警視庁側に対し、
「不安になってきた。大丈夫か。私が知らないことがあるのであれば問題だ」と話していたという。

そして、別の検事が再捜査をした結果、起訴取り消しを決めた際には、「法令解釈を裁判官に説明できない。『意図的に、立件方向にねじ曲げた』という解釈を裁判官にされるリスクがある」と説明したことがわかっている。

検察内には、明確な決裁ラインがあり、起訴を取り消す際には、検事総長の決裁も必要になる。なぜ、起訴を取り消したのか。捜査当局が、遺族に謝罪することはないのか。当時の検察幹部は、記者の問いに、こう答えた。

「再捜査をしてみてこれはダメだとわかったから、“撤収”した」
「裁判で証言した検事は、堂々としていて立派だった」

■「どこにも行く気にならない」

 

左 孫を抱っこする相嶋さん 右 隣は妻

今、静岡の自宅には、相嶋さんの妻が一人で暮らしている。生前、相嶋さんが庭に小屋を作るために買った材料は残されたままだ。

相嶋さんの仏壇の周りには、家族や孫に囲まれた生前の相嶋さんの写真が飾ってある。相嶋さんの妻は、「喪失感や悔しさで立ち上がれないくらい、気持ちはぼろぼろ。楽しい気分になれなくて、どこにも行く気にならない」と言いながらも、取材に応じてくれた。

今年7月になり警察庁は、過去に発行した警察白書から、事件の記載を削除した。しかし、当の警視庁や検察からの謝罪はいまだにない。

■「いくら給料がよくても軍需産業に関わる会社には行きたくない」

生前、相嶋さんは自身の仕事に誇りを持っていた。学生のころから妻に力説していたという。

「いくら給料がよくても、軍事産業に関わる会社にはいきたくない。表向きはいい会社でも、裏では弾薬作って輸出している会社もある。でも俺はそんなところにはいきたくない」

そんな相嶋さんが、生物兵器に転用可能な恐れがある機械を輸出した疑いをかけられ、名誉を回復されたことも知らずに、亡くなってしまった。

■「賠償金なんていらない」「お墓の前で謝ってほしい」

妻が声を震わせながら、何度も口にしていたのが、捜査当局への怒りだ。

「主人を連れて行った5人の警察官は、私に黙って連れて行ったんだから、ちゃんと謝罪してほしい。私たち家族の願いは、賠償金なんかいらないから、お墓の前で申し訳なかったって、謝ってほしいと思います。謝ってもらわないと、何も改まらない。それだけは強く言いたいです」

判決の日の法廷 2023年12月27日 東京地裁

東京地裁は27日、逮捕・起訴は違法だったとして国と東京都に約1億6000万円の支払いを命じた。

判決を受けた警視庁と検察庁のコメントだ。

警視庁「判決内容を精査した上で今後の対応を検討してまいります」

東京地検・新河隆志次席検事「国側の主張が一部認められなかったことは誠に遺憾であり、早急に、関係機関及び上級庁と協議をして適切に対応してまいりたい」

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