『りくばし』最後の1カ月に密着 太宰治ら地元住民に愛された跨線橋94年の歴史に幕

[2023/12/30 17:00]

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『陸橋(りくばし)』の愛称で親しまれてきた東京・三鷹市の跨線橋が姿を消すことになった。 地元住民にとって橋はどんな存在だったのか。最後の日までの1カ月間、密着した。
(テレビ朝日取材部中継班 長澤俊也)

JR三鷹駅近くの三鷹跨線人道橋=通称『りくばし』。 1929年の建設以来、街をみつめてきた。 地元住民にとっては、通勤や通学で通る「日常」であると同時に、 橋からの眺めは、かけがえのない「故郷」の景色だった。

作家の太宰治も足繁く通った場所としても知られる。 編集者や弟子を「ちょっと良いところがある」と言って誘ったという。

1956年(昭和31年)9月 撮影:らかんスタジオ 鈴木育男 協力:武蔵野ふるさと歴史館

2023年12月17までの3日間、「渡り納めイベント」が開かれた。 『りくばし』を歩くことができる最後のチャンスだ。 3200人が訪れ、それぞれの想いを胸に橋に別れを告げた。

小さい頃から近くに住んでいる槌屋匡人さんもその1人。 人生の節目節目で必ず訪れてきた。

槌屋さんは、久しぶりに開催する小中学校の同窓会の会場として『りくばし』を選んだ。 当時から通いなれた場所で再開する同級生たち。 「一言二言話すと一気に小学生、中学生に戻った気分で、自分も子どもに戻った気分で当時のまま話せる」

消えるはずの橋が、かけがえのない思い出をつくる。 同窓会の参加者は… 「りくばしと同級生と地元が全部一緒になって。一生忘れないだろうなって思います」

  • 1956年(昭和31年)9月 撮影:らかんスタジオ 鈴木育男 協力:武蔵野ふるさと歴史館
  • 1956年(昭和31年)9月 撮影:らかんスタジオ 鈴木育男 協力:武蔵野ふるさと歴史館
  • 1956年(昭和31年)9月 撮影:らかんスタジオ 鈴木育男 協力:武蔵野ふるさと歴史館
  • 1982年 三鷹陸橋北側にあった釣り堀 撮影:らかんスタジオ 鈴木育男 協力:武蔵野ふるさと歴史館
  • 1955年(昭和30年)ごろ 跨線橋から見える景色 撮影:槌屋さんご両親
  • 住宅は2階建てに、林は無くなり遠くにはタワマンが 跨線橋から槌屋さんが撮影
  • 1970年(昭和45年)ごろ しゃがんでいる青いシャツの男の子が槌屋さん 撮影:槌屋さんのご両親
  • 1973年(昭和48年) 槌屋さんと弟 撮影:槌屋さんのご両親
  • 1973年(昭和48年) 槌屋さんと弟 撮影:槌屋さんのご両親

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