【歴史的大発見】明智光秀“幻の城”の石垣発見「正直やべえなと」

スーパーJチャンネル

[2024/02/09 21:01]

3

記録が少なく「幻の城」といわれている大津市の坂本城跡で、長さ30メートルにわたる石垣などが見つかりました。

「歴史的」ともいわれる今回の発見が、これまで謎だった城の実態解明につながりそうです。

■明智光秀 “幻の城”の遺跡?

リポーター
「雄大な琵琶湖の南西に位置する大津市。ここに今も残る歴史の謎が解き明かされるかもしれません」

舞台は、滋賀県大津市の下阪本地区。先日、町を揺るがす歴史的な発見がありました。

リポーター
「大小さまざまな石が何段にも積み重なっています。この先ずっと続いていそうですね」

石垣は、市の宅地造成に伴う発掘調査で見つかりました。

高さはおよそ1メートル、長さは30メートルほどあります。

実体が謎だった「幻の城」の遺跡ではないか?職員はざわついています。

大津市 文化財保護課・岡田有矢さん
「『やべえな』と思いました。坂本城は見つかっていないし、(通常の)城は絵図があるが、絵図も残っていないので、どんな形・サイズだったか本当に幻だった」

■発見で地図が書き換わる?“琵琶湖の要所”

幻の城…その名は「坂本城」。

1571年、戦国武将・明智光秀が築いたとされています。

琵琶湖の水を引き入れた水城で、高い天守を持ち「豪華壮麗」と称えられていました。

山を越えれば京への近道とされ、北へ向かう街道や琵琶湖の航路を抑える要所でした。

ではなぜ、誰もが知る光秀の城が、幻と呼ばれているのでしょうか?

滋賀県立大学・中井均 名誉教授
「光秀の坂本城というのは、建物も石垣すら残されていない現状。まさにそれが幻ということ」

坂本城が建てられた11年後の1582年、光秀は本能寺の変で織田信長を討ちます。

しかし、その後の戦で豊臣秀吉に敗れ、坂本城は落城。わずか15年で解体されたそうです。

そのため坂本城の資料は乏しく、人々は想像で再現するしかありませんでした。

そして今回の調査。今までの地図が書き換わる、驚くべき発見もありました。

大津市歴史博物館・五十嵐正也 学芸員
「これも書き換えないといけない」

■石垣の発見で驚きの事実!

滋賀県大津市の住宅街で見つかった、幻の城「坂本城」の石垣。

これまでは、琵琶湖が渇水した時だけ湖岸に石垣の跡が現れていましたが…

今回はじめて地上で見つかり、驚きの事実が。

市のデータをもとに作った、坂本城の地図ですが…

石垣は三の丸の位置で見つかりました。
城の最も外側の境界とみられ、城の規模はこれまでの推定より狭かった可能性が浮上したのです。

滋賀県立大学・中井均 名誉教授
「今までわからなかった、1571年に造った石垣であることがほぼ間違いないので、信長の石垣技術の進化、発達の過程がおさえられる物差しになった」

再現図で見ると、石垣はこの辺りでしょうか?

当時の三の丸から天守方向を見ると、どのような街並みだったかが想像できるそうです。

大津市民
「感動です」
坂本城を考える会・山本正史 事務局長
「坂本城がここにあったと完全に証明される。うれしい」

こちらも読まれています