創立75年の琉球大学で、この4月、新たな一歩が刻まれる。
初の女性学長として就任する、那覇市出身の喜納育江さん(57)。これまで数々の偏見を乗り越えてきた。
中でも、喜納さんが今でも強烈に記憶していることがある。学生時代に受けた心身への理不尽な衝撃と、母から与えられた思いも寄らぬ「試練」だ。
だが、これが学問に情熱を抱く原点となった。
喜納さんはどのように学長選考に臨んだのか。今までどんな道を歩んできたのか。学長としてどういう未来を描くのか。思いを聞いた。
1967年生まれ。那覇市出身。90年に琉球大学 法文学部 文学科英文学専攻 を卒業後に渡米。米国ペンシルベニア州立インディアナ大学大学院にて英米文学博士号を取得。96年に琉球大学法文学部講師に就任した後、同大学法文学部教授、ジェンダー協働推進室長、附属図書館長などを経て、23年4月から副理事・副学長を務める。専門は米文学、ジェンダー研究。
■思いを背負った学長選考 就任決定後に涙する人やハグする人も
まさか自分が学長になるとは夢にも思わなかった。始まりは、学長選考の約1年半前のことだった。
いまの西田睦学長が、私の世代の人たちに次の学長にはどんな人がいいか質問したとき、私の同僚が、「いずれ喜納さんかな」と言ったそうです。学長は「なんで“いずれ”なの?」と言ったらしいんです。
当時の喜納さんは50代半ば。学長になるには早いと同僚は思ったようだ。しかしその後、同僚から食事の席で「(学長選考に)喜納さんを立てるのはどうか」との話になった。喜納さんは箸が止まり、すぐに「むりむり」と否定した。
食事の帰り道に考えこんだ喜納さん。同僚の言葉を思い出していた。
全国の国立大学の学長86人中、女性学長は4人(4.7%)。公立の15人(14.9%)、私立の91人(15.1%)を大きく下回っている(文部科学省「令和6年度学校基本調査」)。国内で女性が大学の経営や意思決定に参画する道は、依然として狭い現実がある。
女性研究者として、自分の次の世代で学長になるような女性が出てくるにはどうしたら良いかということばかり考えていた。自分が候補になれば、次世代の人たちにも希望を与えられるかもしれない。そう思った喜納さんは、学長候補になることを決めた。
それにあたり30人の推薦人が必要だった。同僚を中心に支援するグループができ、作戦を練った。
学長に決まった後の周囲の反応もうれしかった。
■「女のくせに」頬で受け止めた理不尽 母は「抗議しなさい」
喜納さんは1986年に琉球大学に入学し、英文学を専攻。学ぶことが好きで研究者の道を進んだ。学びの面白さを教えてくれたのは家族だ。
しかし、楽しい家庭内教育だけではなかった。戦争で9歳の頃に疎開し、疎開先で飢えや寒さ、ホームシックによる寂しさで苦しんだ経験を持つ母は、喜納さんが自力で生きていけるよう、「試練」を与えることがあった。
大学在学中のある日、車の免許を取得して間もない喜納さんは、自身の車に友人を乗せて運転していた。前方に荷台に材木をたくさん積んだトラックがいたため、少し距離をとっていた。後ろから来た車から男性運転手が降りてきて、窓をたたくので「何だろう」と思って窓を開けると、すごく怒っている。
「お前が(トラックとの間を)詰めないから後ろが進めない。もっと前に行け」と男性は言った。喜納さんが説明し終える前に、男性は手の甲で喜納さんの頬を強くたたいたという。
一瞬の出来事で、意味が分からなかった。その時、男性が言った。「女のくせに」。
心身への二重の衝撃。母に話すと、「お父さんにもたたかれたことないのに、なんでこんな知らないおじさんにたたかれたの」と激怒し、電話の受話器を差し出した。「はい、電話しなさい。自分でちゃんと抗議しなさい」と。
その時初めて「自分は被害者だ」と泣けてきたという。泣きじゃくる喜納さんに対し、母は無情にも受話器を差し出す。結局、喜納さんは、運転していた男性の車が入っていった会社の代表番号を自分で調べて電話し、その日に起こったことを電話交換手の人に話した。「こういう人が作っている製品を私はこれから買いません」と言い、受話器を置いた。
この出来事をきっかけに、フェミニズムやジェンダー、家父長制など、女性に関わる内容の文献を読み始め、考え始めた。喜納さんの原点となった。
■「奥様ですか?」 未だに根強い“アンコンシャス・バイアス”
喜納さんには、変えていきたい景色がある。
学長就任決定後に、西田現学長とともに参加した、ある経済界のパーティーでの話だ。現学長から「次の学長になる喜納さんです」と紹介されていた時のこと。遠巻きに見ていた男性が近づき、喜納さんを見て「(西田学長の)奥様ですか?」と聞いてきた。
講師として母校に着任した28年前、メディア関係者など学外の人らを呼んだ集まりで、「喜納さんは〇〇先生の所属ですか」と言われた時とかぶった。
アンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み)を感じ、「この景色は変わらなければならない」と決意を新たにした。
■「いろんな人が担えるように」学長として描く未来
4月から学長に就任する喜納さん。海外に留学する学生のサポート体制の強化や、多様性を重視した環境づくり、授業料値上げに頼らない財源確保など、取り組みたいことはたくさんある。
十代で受けた理不尽な暴力は、今も忘れることができない。
だが、あの人生で初めての衝撃があるからこそ、他者の痛みを想像できるようになったとも振り返る。
喜納さんの話からはどんな出来事も糧にしていくエネルギーを感じた。これから学長として歩む未来を見つめていきたいと思う。女性学長の誕生で、地域の次世代を担う若者だけではなく、今を生きる幅広い世代にとって、偏見のない多様な“景色”が当然のものになってほしい。
(聞き手:テレビ朝日デジタルニュース部 大見謝華奈子)