日本で2社だけ…家庭や飲食店などに置いてある「あるもの」を作り続ける会社の女性社長がいる。祖父が創業した工場を守り続ける女性の取り組みとは。
2社だけが製造…生活に欠かせないあるものとは?
新大阪駅から、車でおよそ1時間。やってきたのは、大阪府南部に位置する河内長野市。のどかな田園風景の先に、歴史を感じさせる工場がある。
出迎えてくれたのは、末延秋恵さん(47)。日本で2社しかないという、国産のあるものを作る会社、菊水産業の4代目社長だ。
ここで、突然ですがクイズ。末延さんの会社が作っている、誰もが使ったことのあるものとは?
まずは、原材料から…。
原材料は、北海道産の広葉樹「白樺」。まずは、白樺の皮をむき、30センチほどにカット。
次に、熱湯で丸一日煮込み、カットした白樺を柔らかくすると…熱々のうちに、厚さ2ミリほどに薄くスライス。慣れた手つきで、どんどん丸めていく。
さらに、その板を短冊状にカットし、今度は巨大な乾燥機でカラカラに乾燥させる。
次は、細長い棒状にカット。そしてこれが、末延さんの会社に運ばれ…。
最後に、6センチに切られたものを別の機械に入れると…。
そして、完成したのが「つまようじ」だ。
なぜ、つまようじ工場を継いだ?
そんな、つまようじの生産が地場産業となっているのが、河内長野市。
つまようじの原料が近くから調達できたことや、日本で初めて機械生産を行い、1980年代には国内に流通している、つまようじのおよそ95%を製造していたという。しかし…。
「中国産が安く入ってくるようになって採算があわないので皆さん製造をやめていった。昔は25〜6社くらい製造事業者がいた。今は国産の皆さんがよく使われる一般的な形のつまようじを作っているところは2社しかない」
末延さんの会社では、一般的なつまようじだけでなく、和菓子などに使う高級な黒文字ようじも生産している。
末延さんの祖父が始めた事業は、当初順調だったというが、1990年代に入ると、価格が安い中国産のつまようじにおされるようになった。
高校卒業後、介護福祉士などの仕事に就いていた末延さんは、なぜ、厳しい経営が続いていたつまようじ工場を継ごうと思ったのか?
祖父との思い出が詰まったつまようじ工場を守りたい。後継ぎになることを決意した末延さん。入社して6年が経ったころ、ある出来事が…それは新型コロナウイルスの感染拡大だ。
飲食店などを相手にしていた、末延さんの会社の売り上げは半減。そんななか、ある写真を目にした。
そして、末延さんが思いついたのが「つまようじ屋の非接触棒」。
思い立って10日で商品化、すると、SNSで話題となり、注文が殺到したという。
こうして、新型コロナを乗り越えた末延さんだったが、さらなる苦境が待ち受けていた。
逆転の発想で生み出した“溝がない”つまようじ
「稲刈り後のわら焼きの火が移ってしまって、事務所と倉庫、作業場が全焼しました。(今は)砂利になっているけど、この一帯がそう(火災現場)。消防士さんに工場だけは燃やさないでほしいとお願いして、水をたくさんかけてもらって。置いている商材・紙類・段ボール、何から何まで全部燃えました」
火災に巻き込まれ、工場を閉鎖することも考えたという末延さん。しかし、燃えることなく残った“あるもの”が、末延さんを奮い立たせた。
そんな末延さんは、これまでになかった商品を新たに生み出した。
つまようじには、このように模様として溝が掘られているが、末延さんの商品には、溝がないのだ。
実は、つまようじは溝を彫る過程で不良品が生まれ、末延さんの会社だと、製品の4分の1ほどを廃棄していたという。
これまでの伝統をあえて捨てるという思い切った“逆転の発想”で、新商品を生み出した。
デザイン以外の理由で、末延さんのつまようじを選ぶ人がいる。河内長野市内にあるカフェでは…。
「(国産で)丈夫だし、皆さんも使ってくれる率が高くなる。使い続けたい」
壁が立ちはだかろうとも、新たな発想で乗り越え、国内で2社しかないつまようじ工場を守ってきた末延さん。そんな彼女の見つめる未来とは?
末延さんが描く“未来図”
さまざまな苦難にもアイデアと明るさで乗り越えてきた末延さんが思い描く未来図がこちら。
中心に描かれているのは、菊水産業のキャラクター「つま子」だ。
末延さんは、「国産つまようじをはじめ、もの作りを夢のある仕事にしないといけない。だから、いろいろもがきながら『地場産業かっこいい』『私たちもやりたい』という若者が出るような世の中にしていきたい」と語った。
(「大下容子ワイド!スクランブル」2025年9月24日放送分より)