スポーツ

モーニングショー

2025年6月5日 16:00

長嶋茂雄さん 引退あいさつ「永久に不滅」選んだワケ 魅せる野球こだわった野球人生

2025年6月5日 16:00

広告
4

戦後日本の象徴だった長嶋茂雄さんがこだわったのは、魅せる野球でした。

伝説となった名場面、名言について、見ていきます。

■米紙「長嶋氏は日本の象徴」名言「永久に不滅」誕生の背景

アメリカのニューヨーク・タイムズも、長嶋さんの訃報を報じました。

戦後日本の『ミスターベースボール』長嶋茂雄氏が死去した、という見出しで、
「第2次世界大戦後の復興に奔走し、経済大国としての地位を確立しつつある日本の象徴だった」と報じています。

長嶋さんは、巨人黄金時代を築きました。

1965年から1973年、9年連続で日本シリーズを制覇し、『V9』を達成
長嶋、王の『ONコンビ』で巨人黄金時代を築きました

長嶋さんは、何度も雑誌の表紙を飾りました

そして、1974年の引退セレモニーで、
「私はきょう、引退をいたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です」という長嶋さんの名言が生まれました。
長嶋さんは、この引退のあいさつについて、
「あのメッセージは、かなり前から球場への行き帰りの車の中などで思いを巡らせていた。考えてみると、永久と不滅は同じ意味を重ねることになるかも知れませんが、『永久に不滅です』と声に出すと、語呂がよくスムーズだと思った」と語っています。
ジャイアンツファンの方は、長嶋さんについて、
「『わが巨人軍は永久に不滅です』と言ったときは、母親のおなかの中にいた。その後ジャイアンツを応援して、長嶋さんが昭和の太陽だった。一つの時代が終わったと感じた」と話しました。

■宙を舞うヘルメット「ファンのため」随所に魅せた“長嶋美学”

長嶋さんは、魅せる野球にこだわっていました。

打席では、空振りしてもヘルメットが宙を舞うなど、「美しい」と評されました

長嶋さんは、ヘルメットが脱げることについて、
「わざわざ大きめのヘルメットをしていると言われるが、当時かぶっていたアメリカ製ヘルメットは、フルスイングすると脱げることが多かった。もともと打てないときは守備で、守備でダメならフルスイングで楽しんでもらおうという気持ちはあった。ヘルメットが舞うと、お客さんは非常に喜ぶのですよ」と話しています。

敬遠に対しては、無言の抗議として、バットを持たずに打席に立つこともありました。

サードの守備でも、送球後に腕をまっすぐ伸ばし、指先まで意識したスローイングは、歌舞伎の所作を取り入れていたということです。

監督時代には、宮崎キャンプで26年ぶりとなる背番号『3』を披露。
集まった5万人以上のファンからは、大歓声が上がりました。

フリーアナウンサーの徳光和夫さんは、長嶋氏のサービス精神について、
「長嶋さんの天然的な面白さはあるが、多分にマスコミに対してのサービス発言みたいなのは、ずいぶんあるのでは。おちゃめでサービス精神が旺盛」といいます。
さらに、『長嶋美学』についても、徳光さんは、
「長嶋さんは、選手時代の体形を監督時代も維持していた。だいたい監督になると体形が変わる人が多いが、長嶋さんは毎日7、8キロ歩いて、あるいはランニングをして腹筋をしていた。これが『長嶋美学』。優勝して胴上げをされた時に、長嶋さんの体はちゃんと腹筋でVの字になっているんです」と語っています。
元ジャイアンツの投手で、長嶋さんが命名した『レフティーズ』の1人、スポーツコメンテーターの宮本和知さんです。
「長嶋監督は、常にファンを喜ばす。ファンのためのプロ野球、ファンあってのプロ野球。だからファンに魅せなきゃいけない。ただ、見学の見るじゃなくて、魅了の『魅』、魅力の『魅』。これを教えていただいた

■“巨人軍の勝負師”長嶋監督 伝説『10・8決戦』『メークドラマ』

そして、伝説の一戦です。

1994年10月8日、セ・リーグ最終戦。
同率首位の中日を破り巨人が優勝、この時のテレビ中継は50%近い視聴率でした。

そして、1996年7月時点で、首位の広島とは11.5ゲーム差でしたが、長嶋さんは、
「松井(松井秀喜氏)が40本塁打すれば、2年越しのメークドラマ」だと宣言。

その後、巨人は快進撃を続け、1996年10月6日、中日を破り、セ・リーグ史上最大の逆転優勝を果たしました。

長嶋さんは、『メークドラマ』という言葉について、
「奇跡を起こして勝つ可能性をにらみ、『メークドラマ』という言葉を使った。影響がもっとも大きかったのは選手たち。『大逆転の優勝ドラマを作ってみせる』と、その気になってくれた」と話しています。

『メークドラマ』は、1996年の流行語大賞に選ばれました。

■長嶋監督は“カンピューター”采配「試合を読む力強かった」

監督としての采配について、長嶋さんは、
「データを参考にしながら、セオリーにとらわれない積極的・攻撃的な野球が、レベルの向上につながるデータ感性の両方を使っていたが、比重は4対6で、感性を重視した」
「一般の人から見れば、『何をやっているんだ』とわからないことばかりでしょうが、経験と論理が集約された勝負への感覚は大切。データだけでは、メークドラマのような突破はできない」と話していました。

『感性・感覚』と、正確なデータの『コンピューター』を合わせて、長嶋さんの采配は、『カンピューター』と呼ばれていました。

宮本さんです。
「長嶋さんは、投手交代の判断が早く、『もうだめだ、次交代だ』という感じだった。試合を読む力は強かった

(「羽鳥慎一モーニングショー」2025年6月4日放送分より)