「20年ローンが40秒で消えた…」台湾地震被害の夫婦が口にした「日本への感謝」

サタデーステーション

[2024/04/07 13:17]

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 今月3日、台湾東部沖を震源とした地震が発生した。被害を受けた東部の都市「花蓮(かれん)」を訪れて驚いたのは、ほとんどの建物が「無傷」で残っていたこと。一方で、数は少ないが、大きく傾いたり、ぺしゃんこにつぶれたりした建物もあった。一瞬で生活を奪われた夫婦から、意外な言葉を受け取った。

(花蓮県 サタデーステーション ディレクター 染田屋竜太)

真横のビルは無傷 傾いた建物に何が?

 「大きな音がして驚きました。すごく揺れました」

 そう話すのは、メディアでよく映される、大きく傾いた「天王星ビル」から数十メートル離れた串焼き店の女性店主。大きな横揺れがあったというが、店では食器などの被害は少なかったという。「家族でけがをした人もいなかったし、幸運だった」

 今回の地震では、「天王星ビル」の様子などがたびたび報道されることから、花蓮市全体が被害を受けたような印象があるが、実は、市内のほぼ全域は「通常運転」だ。すぐ近くの夜市では遅くまで飲食店が店を開き、ウーバーイーツなどの宅配バイクが町中を走る。ところどころ、ひびの入ったコンクリートの柱を見ることはあるが、多くの人々の生活にはほとんど影響していないように見えた。

 だが、大きく被害を受けた建物もある。大きく傾いた「天王星ビル」。9階建てで店舗や住居が入っていた。台湾メディアによると、倒壊で、飼っていた猫を探しにビルに戻った女性1人が二度目の揺れに巻き込まれ、亡くなったという。

ビルの「管理組合代表」の女性に話を聴くことができた。「1999年、2018年と二度の大きな地震を経ていたから、平気だと思っていた」。女性はため息をつきながら話した。

1階部分がぺしゃんこになった飲食店「幸福時刻」(記者爆料網)

 実は、天王星ビルの周りには、もっと古い建物が並んでいる。だが、壁も柱もひび一つ入っていない。なぜここだけが?

厳しくなった耐震基準「満たしていない建物が大きな被害」

 現場近くにいた、花蓮県建設局の幹部にマイクを向けた。

 「天王星ビルは、2018年の地震で『要改修』の指定を受けていた。改修し、指定は外れたのだが、新しい耐震基準になっていなかった」

 台湾では1999年に大きな地震があり、耐震基準が大幅に引き上げられた。例えば、コンクリートの鉄筋を縦横のほかに斜めにも組まなければいけない、コンクリートの質を高いものにしなければいけない、など。だが、それは地震以降に建設するものに限られ、以前の建物については「耐震基準に合わせるようお願いするしかない」と局長は打ち明けた。

大きく傾いた「天王星ビル」

 「今回大きな被害を受けたビルはすべて、古い耐震基準しか満たしていなかった」。局長はそう話す。大きな被害を受けたもう一つのビルに向かった。

 天王星ビルから徒歩で10分ほど。1階の柱がひどく壊れた「統帥ビル」で目にしたのは、驚く光景だった。

「投げるよ!」掛け声とともに窓から布団が…

マンションの5~6階の窓から、次々とものが放り投げられている。袋に入れられた衣類、布団、中にはスーツケースまで……。「投げるよ!」と大声で叫んだあと、次々とものが空中を舞っていた。

 なんだ、これは?

 現場にいた市の担当者にきくと、このビルも倒壊の危険があるため、取り壊しが決まったという。住民に「15分」だけ部屋に戻る猶予を与え、その間に必要なものをとってきていいという方式をとったということだった。

ビルの窓から次々と物が投げられていた=花蓮市内

 少しすると、「ピピピピ!」あたりにスマホのアラーム音が鳴り響く。終了の合図だ。十数人の住民が両手に荷物を抱えて慌てて入り口から出てきた。

 数分後、今度は別の階の住民が「始め!」の合図とともに一斉にマンションに駆け込んでいく。

 衣類を放り投げていたのはどんな人なのか。ヘルメットの隙間から汗を流して荷物を運んでいた男性に話をきいた。

 男性はトウさん、41歳。電力館系の会社で働いているという。妻のデンさん、犬4匹と一緒に20年近く、マンションで暮らしていた。地震の時、トウさんは早朝出勤のため、部屋には犬と妻が残されていた。「40秒くらい揺れが続いた。建物が沈んだかどうか確認するほど強い地震だった」とデンさんは振り返る。トウさんが慌てて帰宅すると、デンさんは部屋で泣いていたという。2人は急いで逃げて、命は助かった。

15分間だけ部屋に戻るのを許された董さん=花蓮市内

 実は、地震の被害に遭ったのは、2人がコツコツためたお金で2年ほど前にローンを払い終わった部屋だった。

「日本にお礼が…」 夫婦からの意外な言葉

 「このビルが危ないという情報はまったくなかった」と2人は話す。

 最後にトウさんがぽつりと言った。「20年苦労してようやく完済したものが、わずか40秒で消えてしまった。つらいですね」

トウさんたちは今、行政の補助で10日間だけ、ホテル暮らしをしている。だが、その後の住居のめどはたっていない。

 出会った翌日、ホテルを訪れると、部屋に持ち帰った衣類が並んでいた。

ホテルで取材を受けてくれた夫婦。まさかの言葉が飛び出した=花蓮市内

 「大変なときに取材をさせてくださってありがとうございました」

 私がそういうと、2人は口をそろえて「私たちは日本にお礼が言いたい」と言った。

 実は、2人は台湾の先住民の血を引く。昨年、日本の茨城県で開かれた先住民のイベントに参加し、デンさんは踊りを披露したという。「日本語も少し、わかる」。確かにインタビュー中、デンさんは私の質問にうなずきながら応じていた。「2人とも日本がとても好きです」

 デンさんは続けた。「日本の人は今回の地震で『東日本大震災のお返し』と、私たちを助けてくれている。本当に感謝したいです」

 今回の地震、花蓮市の多くの人は被害を逃れたかもしれない。だが、生活を大きく壊されてしまった人たちがいることを、取材を通して知った。2人で力を合わせて手に入れた部屋を一瞬で亡くし、大変状況の中、口にしてくれた日本への思いに、胸が詰まった。取材後、ホテルを後にする私たちに、最後まで笑顔で手を振ってくれていた。

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