「藤井竜王にとっては試練」“振り飛車党”菅井八段とのタイトル戦に師匠が抱く思い[2023/04/08 11:00]

前人未到の「八冠」へと前進する藤井聡太竜王(20)。

現在、6つのタイトルを保持(竜王、王位、叡王、棋王、王将、棋聖)し、七冠目を目指す名人戦七番勝負でも渡辺明名人との第1局に勝利した。

この名人戦に注目が集まりがちだが、実は4月11日から始まるもうひとつのタイトル戦、叡王戦五番勝負もまた、藤井竜王にとっては厳しい戦いになりそうだ。

というのも挑戦者の菅井竜也八段(30)は「振り飛車(ふりびしゃ)」戦法を得意とする、いわゆる「振り飛車党」。
藤井竜王がタイトル戦で「振り飛車党」と戦うのは初めてとなる。

師匠の杉本昌隆八段は言う。
「今回は試練かもしれない…」

「振り飛車党」が相手だと、なぜ厳しい戦いとなるのか?
そもそも「振り飛車」戦法とは?
自らも「振り飛車党」の杉本八段に戦法の特長、そして菅井八段との戦いについて聞いた。

■ 振り飛車スペシャリストがちょっと“苦手”?

「今の最強の棋士に『振り飛車』がどこまで通じるか、そういうシリーズにしたいと思っています」

永瀬拓矢王座とのトーナメント決勝で勝利し、藤井竜王(叡王)への挑戦を決めた直後の会見で、「振り飛車党」としての決意を語った菅井八段。

2017年には羽生善治九段(当時は三冠)を破って、王位のタイトルを獲得した経験もある実力者だ。
今回の叡王戦は久々のタイトル戦登場となる。

「将棋ファンの方は『振り飛車党』が多く、いつも応援してくれるので、一番は結果で恩返しすることだと思っています」

将棋では大駒の飛車を、最初の位置である右から2列目のまま動かさずに戦う「居飛車(いびしゃ)」戦法と、序盤で横(左方向)に動かして戦う「振り飛車」戦法がある。

藤井竜王はプロ棋士になって以降、居飛車しか指したことのない生粋の「居飛車党」。
そしてこれまで14回のタイトル戦(進行中の名人戦含む)の相手も、すべて「居飛車党」だった。

「タイトル戦で藤井竜王が振り飛車のスペシャリストと対戦するのは初めてだし、そう考えると今回は試練かもしれませんね」(杉本八段)

菅井八段との対戦成績は5勝3敗(勝率6割2分5厘)。
藤井竜王の棋士としての通算成績が8割3分5厘だから、やはり難敵と言えるだろう。

実は藤井竜王、同じく振り飛車のスペシャリストである久保利明九段との対戦成績は4勝3敗と、菅井八段よりもさらに拮抗している。
ただ「振り飛車党」が苦手というわけでもないと杉本八段は話す。

「対『振り飛車』も下手ではないんですね。経験は少ないんですけど、苦手という感じは全くなくて、振り飛車でも超一流の技を持ってないと藤井竜王には通用しない。それができる数少ない棋士が菅井さんだということですね」

■ 今の将棋界で振り飛車は“少数派”

現在の将棋界は「居飛車党」が大勢を占めていて、杉本八段によればその比率は、「たぶん(居飛車党)7対(振り飛車党)3か、8対2」くらいだという。

特にトップクラスほど「居飛車党」率が高く、3月まで行われていた第81期順位戦A級(名人への挑戦権を決める最上位のリーグ)では10人中9人が「居飛車党」だった。

そのリーグ戦を藤井竜王は2敗で乗り切ったのだが、うち1敗が、A級唯一の「振り飛車党」である菅井八段との対局だった。
杉本八段は振り返る。

「藤井竜王が(事前に)研究した展開だったはずなんですけど、菅井さんがそれを上回った。菅井さんの経験と研究のほうがはっきり上回っていたんです」

今回の叡王戦も、この「経験と研究」が重要なキーワードとなってくる。

■ 「異なる“将棋観”を持った棋士同士の激突になる」

「大きく分けると『振り飛車』は受け主体。勝ちに行くというより負けにくい指し方をする。一方、『居飛車』は一直線に真っすぐに勝ちに向かおうとする。これは藤井竜王も絶対そうです。『居飛車』は直線的で、『振り飛車』は曲線的なんですよね。『振り飛車党』は攻めにも守りにも効く『攻防手』が好きだったりします」

「居飛車党」と「振り飛車党」とでは“将棋観”そのものが全く違うと、自身が「振り飛車党」である杉本八段は説明する。

「将棋を指していて、すごく楽しいなと思う時があるんですが、『居飛車党』の人って真っすぐ攻めている時が楽しいと思うはずなんですよ。そして『振り飛車党』は攻防手とか玉(の守り)を固くすることに快感を覚える、そういう時に『将棋、指してるな』と感じると思います。はっきり違いますよね、将棋観は」

その意味で、今回の叡王戦は「お互い違う将棋観を持った棋士同士の激突」(杉本八段)となる。

「(「居飛車党」の藤井竜王は)どうしても直線的な手を選んでしまいがちですが、菅井八段相手だとそのあたりの切り替えは必要かもしれません。いつもだったら真っすぐ勝ちに行くところを一手タメたりとか… 」

カギを握るのが、“経験”だという。
「練習対局で振り飛車を相手にするのと本番で相手にするのとは全然違うので、(藤井竜王に)公式戦での(振り飛車)対戦経験が少ないというのは、菅井八段側からすると大きなメリットではないでしょうか」

「振り飛車党」の絶対数が少ないために、「居飛車党」は対「振り飛車」の実戦経験がなかなか積めない。

一方で「振り飛車党」は常に「居飛車党」と対戦できるので、どんどん数を重ねることができる。
そうした経験の差がタイトル戦の行方にどんな影響を与えるのか。

それにしても…
なぜ今の将棋界で「振り飛車党」は少数派なのか。
背景にはどうやら、現代の将棋に欠かすことのできない“AI”の存在があるようなのだ。

■ 振り飛車にした瞬間、“AI評価値”がガクッと…

いまやほとんどの棋士が、AIを使って日頃の研究を行う時代。
対局中継では画面上にAIによる勝率(=“評価値”)が示される。
実はこのAIの“評価値”が、「振り飛車」に対して非常に冷たいのである。

「飛車を横に“振った”ら『振り飛車』と認定されるわけですが、その瞬間、AIの“評価値”がガクッと下がるんですよね。AIは振り飛車という戦法をあんまり評価してないんだなというのがわかるんですよ」(杉本八段)

杉本八段は、「今の若い棋士はAI中心に研究しているので、始まった直後にマイナスになるような手を指したくないのでしょう」と苦笑する。

振り飛車にした途端、評価値が下がるというのは、ABEMA将棋チャンネルで使用される「SHOGI AI」の責任者、藤崎智氏も認めている。

「SHOGI AI」では、評価値(勝率)のほかに、次に指すべき「候補手」も示すのだが、振り飛車の場合、飛車を振った直後の候補手が、何と「飛車を元の位置に戻す」手だったりするのだという。
つまり「振り飛車をやめて居飛車にしなさい」というのがAIの推奨する手になってしまうのだ。

ABEMAではこうした問題点の改善のため、「振り飛車AI」を導入した。

「AI的には『居飛車が有利だから居飛車に戻してほしい』という候補手を出すのかもしれませんが、対局しているのはあくまで人間と人間です。それを伝える立場としては『振り飛車ならこう指すのがベストだ』というのを示してくれるAIが必要だと思ったのです」(ABEMA藤崎氏)

ABEMAの「SHOGI AI」は3つのAIを組み合わせて最終判断をしているが、対局が始まって振り飛車が現れたと認識されれば、3つのうちの「振り飛車AI」がメインとなって、形勢判断や「候補手」選定を行うのだという。

■ 菅井八段の「隠し玉」をクリアできるか

AIからは冷遇され、少数派に甘んじている「振り飛車党」だが、ABEMAの藤崎氏が「現実に戦うのは人間と人間だ」と指摘するように、振り飛車側の戦略が巧みであればAI的な居飛車の優位性はあっという間に消し飛んでしまう。

「藤井竜王も理屈の上ではわかっているはずなんですよ。真っすぐ勝ちに行ってしまうと『振り飛車党』の目論見にはまってしまう、二枚腰にやられてしまうと。ただ対局中にそういう発想に至れるか、ですよね」(杉本八段)

杉本八段は今回のタイトル戦で、菅井八段が“AIも想定しないような”作戦を用意してくるのではないかと推測する。

「恐らくいくつもの『隠し玉』があるはずなので、それを藤井竜王が初見でクリアできるかどうかですね。それが何かはわかりませんが、菅井さんには必ず作戦があると思います。同じ『振り飛車党』としてそこは楽しみです」

一方、「研究」の部分で師匠が懸念するのは、もうひとつのタイトル戦――名人戦が同時に進行していることだ。
対局相手の渡辺明名人は「居飛車党」。
藤井竜王は、そちらの戦いでも研究して準備しないといけない。

「対『居飛車』のタイトル戦を戦いながら振り飛車のスペシャリストと対戦するというのは今までにないケースですね。藤井竜王からすると切り替えなければいけない。居飛車も振り飛車も研究するんでしょうけど、どちらにウエートを置くのかというのは注目ですね」

■ 羽生九段とのタイトル戦で藤井竜王が得たもの

藤井竜王は今年の王将戦七番勝負で羽生善治九段と戦い、タイトルを防衛した。

かつて七冠を保持したレジェンドとのタイトル戦は、ドリームマッチとして大きな注目を集めたが、杉本八段は藤井竜王自身が、この対局を経て変わってきているのではと感じる。

「羽生九段とのタイトル戦で、いろいろ学ぶことも多かったと思います。羽生さんは作戦の選択幅が非常に広い方なので、何か新しい感性を得られたのではないかと。そのあたりから、一直線の勝ちだけでなく、心なしか柔軟な手が出るようになったという気がしています」

その柔軟さは恐らく、対戦経験の少ない「振り飛車党」との戦いでも大きな武器になるはずだ。
そして菅井八段とのタイトル戦もまた、藤井竜王をさらに進化させてくれるのではないかと師匠は期待している。

「将棋界で恐らく振り飛車党のナンバーワンですから、菅井さんというのは。違う“将棋観”を持つ棋士との戦いで、藤井竜王が今までと違う感覚をまたひとつ、学ぶかもしれませんね。
『居飛車党』『振り飛車党』、どちらが見ても楽しい、わくわくする五番勝負になると思います」


テレビ朝日報道局 佐々木毅

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