“崩れやすい地層”が関東一円に 土砂災害の再来も【関東大震災100年】[2023/08/31 18:00]

1923年9月1日に発生した関東大震災では、強い揺れによって土砂災害が発生し、甚大な被害をもたらした。
関東地方で多くの犠牲者を出し、神奈川県の西部では湖を形成した。
深田地質研究所の千木良雅弘理事長は、今後の地震により関東一円でそのような土砂災害が再来する可能性を指摘する。
(テレビ朝日報道局社会部 災害担当 中尾洋輔)

■関東大震災は「災害のデパート」 土砂災害は犠牲者多数、湖を形成も…

「“崩れやすい地層”が関東一円にあると考えた方がいい。大雨ではあまり崩れることはないが、地震によって崩れやすい」

地すべりによって誕生した「震生湖(しんせいこ)」を研究してきた千木良氏は、こう警鐘を鳴らす。
関東大震災は、強い揺れに加えて火事、液状化現象、津波などの甚大な被害を広範囲にもたらし、「災害のデパート」ともよばれる。
そのうちの一つが、土砂災害だ。
政府の中央防災会議の報告書によれば、特に神奈川県の西部や千葉県の房総地域で、地すべりや崩壊、土石流による土砂災害が多数発生し、多数の犠牲者が出た。
「震生湖」はまさに神奈川県西部にあり、秦野市の大部分を占める秦野盆地の南部、標高200m前後で尾根に挟まれた川の上流に位置する。
千木良氏の指摘は、多くの犠牲者を出したり湖を形成したりした土砂災害が、今後の地震により関東一円で再来する可能性を示唆している。

■「地の震えが生んだ湖」

神奈川県西部では、小田原市の根府川集落が土石流にのまれて住民289人が死亡したことが知られる。

土石流は近くにあるJR東海道線の根府川駅に直撃し、人を乗せた列車が海に転落した。
駅での犠牲者は130人ほどだとされる。
一方で、震生湖を形成した地すべりでは人的被害の報告はない。
ただ、「地形を大きく変えた」という点で、他の場所より顕著な特徴がある。
さらに震生湖が山の中にあり比較的人の手が入っていないことから、私は痕跡を見つけやすいのではないかと考えて取材を始めた。

震災の翌年の1924年ごろに地元の有志が命名した震生湖は、読んで字のごとく、「地の震えが生んだ湖」だ。
現在は釣りや景観を静かに楽しめるような雰囲気が魅力だが、湖を形成した土砂災害は激しいものだった。
丘陵地帯にあった斜面が幅約250メートルにわたって地すべりを起こし、川が土砂をせき止めた。

京都大学で長く地すべりを研究していた千木良氏は2016年に、震生湖を形成した地すべりの原因を突き止めた。

震生湖付近の地下には、およそ6万6千年前に神奈川県西部にある箱根山の火山活動で噴き出した軽石が降り積もってできた「東京軽石層」がある。
地すべりの原因は、地下に広がる「東京軽石層」という地層が地震の揺れによって崩壊し、その上部の土砂がすべっていったことだった。

7月、千木良氏は地すべりのメカニズムを知ろうとする私を湖畔にある崖のわきに案内した。
「いま我々は“地すべりのへり”にいます。関東大震災ですべる前は、あそこに見える7メートルくらいのがけがずっと続いていました。そのつながっていた部分が全部すべって、川をせき止めました」
目の前にある崖がすべて、地すべりした“へり”にあたるのだという。
地すべりで動いた土砂の量は「何十万立方メートルか、もっとあったのでは」という。
今見えている崖は地すべりしなかった部分で、地すべりした場所も現在は平らに整地されているため、この状況から崩れた原因を調べるのは難しい。
千木良氏はさらに、湖から少し離れて尾根をはさんだ反対側にある、「東京軽石層」がみえる地点(露頭)に私を案内した。

「あそこに白い地層が見えるでしょう。あれが『東京軽石層』です」
茶色っぽい地層がいくつも折り重なる中、千木良氏が指さした白い層はひときわ目を引く。
千木良氏はその一部を削って塊を手で揉むようにこねた。
「ものすごく柔らかいんです。塊で採れるが、こねていると段々水が染み出てくる」
手の中で、土の塊が簡単に砕け、粘土のようになっていった。
「もっと練ると泥水みたいになってしまいます。泥水の上に地層は乗っていられないので、(上部にある土砂は)すべってしまう」
関東大震災がもたらした土砂災害のメカニズムの一端が、目の前で再現されていた。

軽石は穴が多く発泡しているため、本来はガラスのように固い性質を持っているが、空気や水にふれると風化して、つぶれやすい特徴がある。

千木良氏は、この風化のしやすさが地すべりの背景だと指摘する。

■全国的に広がる軽石層 またすべれば「大災害」に…

先にふれたとおり、「東京軽石層」は神奈川県の箱根山に由来する。
ならば、地震の揺れで崩れやすい軽石層は関東中に広がっているのではないか。
千木良氏に問いかけると、「その表現は危険すぎるかもしれないが…」と前置きして、「そう考えた方がいいと思います」と答えた。

「東京軽石層」は実際に関東各地でみられ、先行研究によれば、箱根山の東方にむけて広がり、箱根山に近い小田原付近で最も厚いところで4メートル、震生湖のある秦野市付近では1メートルほどある。
都内でも10センチほど積もっている場所があるという。
さらに、各地の火山に由来する軽石層は北海道や東北、関東甲信、北陸、東海、九州地方などに広く分布していることが知られる。
たとえば2018年の「北海道胆振東部地震」では、最大震度7を観測した道南部の厚真町で201件の土砂災害が報告されている。

当時、地すべりによって山々の地面がむき出しになったが、これこそが軽石層のリスクを示した事例のひとつだと言えるのだという。
このように、軽石層に起因した土砂災害はその頻度は低くても、ひとたび発生すると甚大な被害をもたらす傾向がある。
そのうえ、軽石層がある斜面の下方が川の浸食や人の手による開発によって削られていると、風化して崩れやすくなるため土砂災害が発生するリスクが高まる。

一方で千木良氏は、各自治体が崖などの災害危険度を評価し公表する「ハザードマップ」では軽石層がある斜面が評価の対象になっていないと指摘する。
全国的に評価が進んでいない背景は、その斜面の多くが比較的傾斜がゆるいことや、軽石層が地震で崩壊する頻度は高くないことだとみられるとして、「網の目から漏れている状態なのでは」と、現状に危機感をにじませる。

■「対策は上の階で寝ることくらい」 個人でできる軽石層対策には限界も…

軽石層は現在、ハザードマップによる評価対象から“外れている”ため、分布の把握や一般への危険度の周知は進んでいない。

特に“身近な場所の地下にも軽石層があって当然”の南関東の住民はどう備えればいいのか。
千木良氏は「地震はいつ来るかわからないので限界がある」としたうえで、土砂災害の危険性があると思える場所で対策できることは、2階以上の上層階の部屋で寝ることぐらいだと話す。
2018年の「北海道胆振東部地震」で巻き込まれて死亡した人のほとんどが、1階で就寝していたことを例に挙げ、より高い階で過ごしていれば、土砂に巻き込まれるリスクが低くなるためだとする。
これに加えて、自宅の背後に傾斜地がある人は、斜面や擁壁の定期的なチェックも望ましい。

■100年前の人の悲しみはいまも

「山さけて なしける池や 水すまし」
震生湖のほとりに立つ石碑には、戦前に活躍し現地を調査した地震学者・寺田寅彦が詠んだ句が刻まれていた。
地すべりを引き起こした猛烈な揺れと、その後の湖の静けさを対になるように描写した句といえる。

寺田は、1931年の論文で震生湖周辺の地質の様子をつづっていた。
「この山崩れのある谷に沿ふては、嘗(かつ)て崩れたことのあることを想像させる様な地形や、最近崩れたと思はれる様な痕跡がかなり多くある様に見られた」

斜面の崩壊が繰り返された可能性を示唆するこの記述に沿うように、千木良氏も湖周辺の地形を見てこう述べた。
「くぼんだ谷のような地形があるでしょう。関東地震より前に、関東地震と同じすべり面から滑ったところだと思う。だから、下に抜けるような形になっているでしょう?」
尾根から下る谷のような地形に沿って段々畑になっている緩やかな斜面が、かつて崩れた可能性があるという。
寺田がかつて見た風景が再現されているようだった。
私は、100年という長い月日が、地質学的にはほんの一瞬に過ぎない時間であることを突き付けられた気がした。

震災当時に湖周囲で起こった土砂災害をめぐっては、ひとつの悲劇が今も伝えられている。
震生湖の最寄りのバス停脇にある「大震災埋没者供養塔」という石碑に、当時11歳と13歳の少女の名前が刻まれている。
2人は付近の小学校から峠を通って下校中に土砂災害に巻き込まれたとされ、今も行方がわからないままだ。
碑の前には、誰かが供え物をした形跡があった。
100年経った今も、悲しみはこの地に伝えられていることがうかがえた。
取材からは、全国的に広く大規模な土砂災害の潜在的なリスクがあることと、人の手によって発生する危険性が高くなっている可能性が浮かび上がった。
関東大震災以降、関東では同レベルの地震は発生しなかったが、この先も発生しないとはいえないし、いつか必ず起こるだろう。
一人ひとりが周囲の環境のリスクを把握して生活する自助努力に加え、公的機関による情報提供が加わることで初めて、近い将来に起こるかもしれない災害に備えることができるのだと感じた。

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