勝率は藤井八冠超え!最年少棋士・藤本渚四段 「強い人と指したい」…挫折乗り越えて

[2023/12/30 11:00]

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将棋界最年少の高校生棋士、藤本渚(なぎさ)四段(18)の快進撃が続いている。
12月26日、今年最後の対局となった王座戦の一次予選で勝利し、10連勝。
2023年度(将棋界の年度は4月〜翌年3月)の勝率は.857となり、藤井聡太(八冠、21歳)を抑えて堂々のランキングトップに立った。

いくつかの棋戦でも勝ち進んでいて、早いうちに藤井とタイトル戦で戦うこともあるのでは、と期待を抱かせる。

ABEMAトーナメントで初めて藤井八冠(左)と対戦した 画像提供:ABEMA

「藤井一強」の将棋界に風穴を開ける若手候補として急浮上してきた18歳。
単独インタビューで、今年初めて対戦した藤井聡太のこと、棋士1年目で経験した悪夢のような「2戦連続不戦敗」について、そして一部で有名になった強烈な“ミスチル(ミスター・チルドレン)愛”についても語ってもらった。
(本文中、敬称略)

■ デビュー直後の藤井“四段”と比べると…

「よろしくお願いします」
パソコンの画面に現れたのは、メガネをかけネクタイを締めた、朴訥(ぼくとつ)という言葉がぴったりくるような青年だった。

関西将棋会館の対局室とオンラインで結んで行われたインタビュー。
まずはプロ棋士になって1年あまりで感じた変化について聞いてみた。

「ほとんどの棋戦で持ち時間が多いので、しっかり考えることができるようになってきたと思っています」

一方で…
「時間が長いと頭も体も疲れちゃうんで…(正座していると)足が痛いな〜とか考えて集中が途切れたりして。最近は(対局途中で)席を立って歩いて、足を休めることが多くなってきました(笑)」

ABEMAの対局に出場した時の藤本四段 画像提供:ABEMA

現在の好調ぶりを自分ではどう見ているのだろうか。
「想像していたより勝てている感じです。ただあんまり意識し過ぎて『負けたくない』と思い過ぎるのもダメなので、自然体でいられればと思っています」

現時点での勝数36(6敗)、勝率.857はともに藤井聡太を上回る。
勝率で言えば、藤井の2年目(2017年度)の勝率が.836だったから、今年度まだ3カ月を残しているものの、同じ2年目としては素晴らしい成績と言えるだろう。
だが本人は、藤井との比較について慎重だ。

「デビュー直後の藤井四段と今の自分を比較して、自分が強いとは思えないんですよね。“藤井四段”の方が強かったです」

■ 「10回に1回勝てるかどうか」の強豪にも勝利

藤井”四段”だった頃の画像(2017年)

藤本は今年、ABEMAオリジナルの団体戦、ABEMAトーナメント(非公式戦)で初めて藤井と対戦した。
中盤までは食らいついたが、その後は防戦一方に。いいところなく敗れ去った。

「藤井先生がすごく強かったというのもありますし、自分でこけたところもありました。当時と比べると今の方がだいぶ強くなっているはずなんですけども、当時はまだまだ普通に弱かったんで、勝負にならなかったですね」

完敗を認める一方、「今の方がだいぶ強くなっている」という言葉に、勝利を積み重ねることで得た自信がにじむ。

実際今年は、各棋戦で順調に勝ち進んだ。
まずは叡王戦で、段位別の予選を勝ち抜いて本戦トーナメントに進出する。
王位戦では、挑戦者決定リーグ入りをかけた予選決勝で菅井竜也(八段)と激突。来年1月に始まる王将戦で藤井に挑戦することが決まっている強豪に対し、堂々の戦いぶりで見事勝利した。

”タイトル挑戦者”の菅井八段に勝利

「菅井先生とはまだまだ実力の差があるので、10回に1回勝てるかどうかだと思っていました。その低い可能性をつかむことができたのは良かったと思います」

プロ棋士になって1年あまりでの快進撃。
だがそこに至るまでの道のりでは、大きな挫折と苦悩の日々を経験していた。

■ まさかの2戦連続“不戦敗”…そして「どん底」

最初は順風満帆だった。
プロデビュー戦から6連勝。快調に白星を積み重ねていった。
「当時はちょっと浮かれていたと思います」
そう振り返る。

そして迎えた7局目の対局日。
「いつも早めに連盟(大阪の関西将棋会館)に行くんですけど、対戦表が出ていて、きょうは5階のどこで対局するのかな、と見てみたら、(自分の対局が)ないんです。そこで冷や汗が出てきて、確認したら東京での対局でした。血の気が引きました」

関西将棋会館(大阪市)

気づいた時には遅かった。
東京での対局に間に合うはずもなく、不戦敗。不名誉なプロ初黒星だった。
「棋士であれば対局に出るというのが一番のことで、棋士失格です。本当にいろんなところに迷惑をかけたと、ひたすら反省でした」

悪いことは続く。
次の対局の前夜、突然、40℃の高熱が出た。新型コロナに感染したのである。
6連勝から一転、まさかの2戦連続“不戦敗”。そこから苦悩の日々が始まった。

「連続不戦敗で、全然気持ちの切り替えができなくて、そのあとにさらに2局、連敗しているんですね。将棋も乱れに乱れたという感じで、そこでほんとに“どん底”というか、すごくつらい状況を味わいましたね」

それでも、くじける訳にはいかなかった。
支えてくれた、家族のためにも。

■ 「シーソーゲーム」をめぐり思わぬ告白が…

藤本の出身は香川県高松市だ。
小学5年生で奨励会(棋士の養成機関)試験に合格、他の会員との対局で腕を磨くことになる。大阪の関西将棋会館まで月2回、父の車で通うのだが、これがなかなかハードだった。

「毎回、前日に泊まるのはお金がかかっちゃうし、当日に行くとなると朝5時前に起きないといけない。対局前はちゃんと寝て体力をつけるのが重要になってくるんですけど、行きの車の中で寝たとしても、大阪から当日来る人たちに比べるとやっぱりコンディションは悪いのかなと。その辺がハンデになっていた気はしますね」

父と息子がミスチルを歌いながら走った神戸淡路鳴門自動車道

香川・高松から徳島・鳴門を通過して淡路島を縦断、兵庫・明石を経由する片道3時間近くの道のりを、父と息子は通い続けた。
車内では、いつもミスチル(ミスター・チルドレン)の曲が流れていた。

「父が今の僕くらいの年にミスチルが売れていた世代なんです。自分もそういう多感な時期にすごく聞いたので、より(ミスチル愛が)強まったということですかね」

プロ棋士になった直後の雑誌インタビューで藤本は、当時、対局で勝った日は車中で父と一緒に「シーソーゲーム」を歌って陽気な気分で帰った…と答えている。
「シーソーゲーム」は恋の駆け引きを歌った、ミスチルの代表曲だ。

この話が有名になって、今年参加した団体戦のABEMAトーナメントでは、藤本の所属するチーム名が「シーソーゲーム」になった。
いつしか「シーソーゲーム」は藤本の代名詞のようになっていたのだ。

ABEMAの番組でも「シーソーゲーム」のエピソードを披露していたが… 画像提供:ABEMA

ところが、である。
「今さら言い出しづらいことなんですけど…」
藤本は今回のインタビューで申し訳なさそうに告白した。
「別にそこまで『シーソーゲーム』を歌っていたとか、群を抜いて好きだというわけではないんです。いろんな曲が好きな中で、好きな曲のひとつという感じなんですけど…」

…この年頃、好きな曲の変遷が速いのも当然だろう。
ちなみに、ミスチルの好きな曲ベストスリーは?
「いやぁ難しいですね。昇段の時に聞いていた『天頂バス』という曲は割とずっと好きです」
では「シーソーゲームは」?
「ちょっと今、圏外で…(笑)」

さて、父の車で高松から大阪まで通う生活は藤本の中学卒業とともに終わりを告げる。
息子が将棋に打ち込めるよう、父が転職、一家で大阪に引っ越したのだ。藤本も大阪の高校に進学。
これが功を奏したか、藤本の成績は好転し、一気にプロ棋士への階段を駆け上がった。

「棋士になるための、より良い条件をそろえるために引越ししてくれたんです。自分にかかっているものが大きい、なので本当にがんばらなければいけないという気持ちになって、それがうまく良い方向に働いてくれたのかなと思います」

■ 「これに勝てば藤井先生と…」 邪念が招いた大逆転

”どん底”を経験した藤本四段は自分を見つめ直した

プロになって半年で経験した“どん底”… 2戦連続の「不戦敗」を含む連敗街道の中で、藤本は改めて自分を見つめ直したという。
それまで対局相手の対策を事前に考えることはあまりしていなかったが、この頃からきちんと準備を行うようになった。

こうした対策がある程度うまく行くと、少しずつ自信がついて、さらなる勝利につながる好循環が生まれていった。

若手棋士を対象とする新人王戦と加古川青流戦でともに決勝に進出。
先に行われた新人王戦の決勝三番勝負では1勝1敗で迎えた第3局で、終盤にはっきり優勢となる場面があった。

「勝ちになったと思った局面から、なかなか終わりまで行かない感じでした。その間にも『自分が勝ちそうだな』とか、『これに勝てば新人王か』みたいな、そういうことを対局中に考えて…それはいい影響にならないですよね」

新人王戦の優勝者は、その時点のタイトル保持者と記念対局が行えることになっている。
「これに勝てば藤井先生と指せるのか〜とか思ってしまって。ある意味必然的な負けだったような気がします」

痛恨の大逆転負け。
だが、まだ18歳の藤本にとって、負けから得られるものは多い。
続く加古川青流戦の決勝は最後まで緩むことなく勝ち切って、棋戦初優勝を成し遂げた。

「(新人王戦のような)痛ましい負けを、ちょっとでも自分の力にしていかないと良くないですから」

■ ミスチル「天頂バス」を聴きながら

藤本四段が憧れる羽生善治九段

将棋を始めた頃から憧れてきた棋士がいる。レジェンド、羽生善治(九段)だ。
「将棋を覚えた頃からずっと、羽生先生の将棋は憧れですね。やっぱり序盤も中盤も終盤も、ほんとに強い… 常に羽生先生みたいな将棋を自分の永遠の目標としているので、そこを目指すという気持ちはずっと持ち続けたいと思っています」

藤井がタイトルを独占する今の将棋界で、その牙城を崩し得る若手の筆頭候補は、棋王戦で藤井への挑戦を決めている伊藤匠(七段、21歳)だろう。
そしてその背中を追うグループの中に藤本も名を連ねていることは間違いない。

「やはり全棋士の中で頭一つ二つ抜け出ている、そういう強い人と指したいという気持ちはあります。ただ藤井先生に行きつくまでには僕よりはるかに強い棋士がたくさんいらっしゃるので、かなり険しいし、何年かかるのかという感じですけど、一歩一歩がんばっていければと思います」

”絶対王者”藤井八冠に迫ることはできるか

中学時代は藤本を高松から大阪まで車で送り迎えし、その後は大阪へ引っ越して転職までした父は、もちろん今も対局結果を気にしている。
「(棋譜中継で)局面を見てハラハラしていたとか、今日は完勝だったね、とか全然ダメだったね、とかそんな感じです」

父の影響で聞き始めたミスター・チルドレン。
藤本がベストスリーに入る曲として挙げた「天頂バス」にはこんな歌詞がある。

 「望んでいれば いつまででも成長期
  ずっとチャレンジャーで いてぇ訳じゃねぇんだ
  ベルトを奪いにいくぞ」(作詞:桜井和寿)

正に成長期真っただ中の藤本渚、18歳。
“絶対王者”藤井聡太に「チャレンジ」するだけでなく、その「ベルト」を奪うために…
天頂への険しい道は続いていく。

(テレビ朝日報道局 佐々木毅)

  • ABEMAの対局に出場した時の藤本四段 画像提供:ABEMA
  • ABEMAの番組でも「シーソーゲーム」のエピソードを披露していたが… 画像提供:ABEMA
  • リーダーの千田翔太七段がチーム名を「シーソーゲーム」に決定 画像提供:ABEMA
  • ABEMAトーナメントで藤井八冠(左)と対戦した 画像提供:ABEMA
  • ”タイトル挑戦者”の菅井八段に快勝
  • 関西将棋会館(大阪市)
  • 父と息子がミスチルを歌いながら走った神戸淡路鳴門自動車道
  • ”どん底”を経験した藤本四段は自分を見つめ直した
  • 藤本四段が憧れる羽生善治九段
  • ”絶対王者”藤井八冠に迫ることはできるか

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