「安否不明」の住人と取材中に偶然遭遇 『効率的な捜索』の難しさを実感

[2024/01/30 19:35]

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道路には30センチ近く土砂が積み上がり、大きな倒木が行く手を遮っていた。警察官が隊列を組み、足元を確認しながら慎重に進んでいく。山道を20分歩き孤立した集落を目指した。警察が捜索を始めた住宅に、人の気配はないようにみえた。翌日、別の場所でこの家の住人に偶然出会った。住人の女性たちは自分たちが「安否不明」になっていることを知らなかった。

(テレビ朝日社会部 阿部佳南)

捜索は暗くなるまで続いたが住人は見つからず

発災から3日が経った1月4日、石川県穴水町に派遣された警視庁の「広域緊急援助隊」に同行した。援助隊がこの日向かったのは、複数の住人の安否がわからなくなっていた鑓川(やりかわ)地区だった。この地域には「信念寺」という真宗大谷派の寺があった。決して大きくはないが、地域に根付いた寺だという。その境内も仏具が散らかり、鐘つき堂は土台部分から壊れ鐘が地面に横たわっていた。

信念寺の鐘つき堂 石川・穴水町 2024年1月4日

援助隊はすぐに寺の向かい側の住宅で安否がわからないとされる住人の捜索を開始した。一家4人が暮らすという住宅だ。私とカメラマンらのクルーは、その様子を少し離れた場所から取材していた。

住宅内部を捜索する警察官 

住宅の中は、たんすなどの大型家具が倒れ、部屋中に物が散乱しているのが見えた。捜索は暗くなるまで続けられたが、結局住人は見つからなかった。

「それって私たちのことですか?」

能登空港のロビー  2024年1月5日

翌朝、私たちは能登空港を目指した。滑走路に亀裂が入り全便欠航となった空港に身動きが取れなくなった人が集まっているとの情報があったためだ。到着すると空港は避難所となっていて、本来ならここから全国に出発するはずだった人たちが身を寄せていた。ロビーの隅で毛布にくるまって暖をとる3人家族に話を聞くことができた。50代の母親と2人の娘。長女は妊娠していて、予定日が2月に迫っていた。

東京に帰る親戚を見送るために車で空港に向かっている途中で被災したという。建物が次々と倒壊するなか、何とか空港にたどり着いたと話してくれた。

それから4日間、自宅には帰っていなかった。「体調は?」と質問すると、「体は大丈夫だけど、家の状態が知りたい」と心配そうに打ち明けてくれた。私はこれまでに取材したことから、何か情報提供ができないかと思い、住所を聞いてみた。「家は輪島市門前町鑓川ー」その地名を聞いた時、とっさに言葉が出た。

「信念寺を知りませんか?」

50代の女性は驚いたように

「家の向かいが信念寺です」
「きのうは信念寺の向かいの家にも捜索が入りましたよ」

女性はさらに驚いたようだった。

「あれ、それって私たちのことですかね?」

3人は鑓川地区で援助隊の警察官が必死に探していた、あの安否不明者だったのだ。私は言葉を選びながら、家は倒壊はしていないが部屋の中は物が散乱していたことを伝えた。わずかな安堵と落胆が入り混じったような複雑な表情を浮かべたのが印象的だった。

女性の自宅を捜索する警察官 2024年1月4日

家にはしばらく戻らず、空港に滞在するという。長女のお腹に赤ちゃんがいる状態で、いつ崩れるかわからない自宅に帰るくらいなら、プライベートを犠牲にしてでも残り続けると話した。女性は「自分たちの無事は伝えておきます」と言った。
その後、警察に確認するとこの家族は捜索の対象ではなくなっていた。?

混乱のなか「安否不明者」をどう確認?専門家は県の対応を評価

石川・輪島市 2024年1月4日 ロイター/アフロ

能登半島地震では、発災から約55時間後の3日午後11時に県が「安否不明者リスト」を公表した。この情報をもとに捜索活動が実施された地区も多い。

だが、実際には着の身着のまま避難所に駆け込んだ人の名前が「安否不明者」として残っているケースが複数あった。避難先に行けば、避難者が氏名や住所を記録している場所が大半だったが、その情報が安否不明者リストに反映されるのには時間がかかった。結果として、すでに避難が完了している住宅も捜索をせざるを得なかった。

それでも専門家は石川県の対応を評価している。静岡大学・防災総合センターの牛山素行教授は、石川県が安否不明者リストを比較的早い段階で公開したことを高く評価している。

仮に避難済みであることが安否不明者リストに反映されていなかったとしても、「その場所に人がいないことが確認できたことこそ重要な情報であり、無駄な捜索が行われたかのように否定的に捉える必要はない」と強調した。

石川・穴水町 2024年1月4日  AP/アフロ

電気が止まり通信ができなくなる今回のような大災害では、そもそも情報をすぐにデータ化することは難しい。限られた情報をもとに捜索する様子を間近で取材して、その苦悩が見えた。やはり、捜索場所の住民が避難済みであることを少しでも早く共有するに越したことはない。次の大災害への備えとして、安否不明者リストに無事だった避難者の情報を反映する手立てを考えていくことも必要だと感じた。

  • 石川・穴水市 2024年1月4日 
  • 信念寺の鐘つき堂 石川・穴水市 2024年1月4日
  • 住宅内部を捜索する警察官 
  • 能登空港のロビー  2024年1月5日
  • 女性の自宅を捜索する警察官 2024年1月4日
  • 石川・輪島市 2024年1月4日 ロイター/アフロ
  • 石川・穴水町 2024年1月4日  AP/アフロ

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