『避難したら雑魚寝』はいつまで? 自治体任せの避難所づくりには限界も

[2024/02/04 10:30]

4

「東日本大震災のころに戻ってしまった…」

能登半島地震から1週間が過ぎたころ、避難所・避難生活学会の常任理事・水谷嘉浩さんは、被災地の避難所で痛感した。

体育館や公民館の床に薄いマットや毛布を敷いて、横たわる住民たち。隣の人とのスペースを区切る仕切りもない。東日本大震災以降、多くの被災地で避難所の環境改善を進めてきた水谷さんは、対策が後退していると感じた。

避難所の環境をめぐっては、災害が起きるたびに改善を求める声があがる。日本はいつまで、”避難したら雑魚寝”を続けるのか?課題を探った。
(テレビ朝日報道局 笠井理沙)

■少しでも早く段ボールベッドを… その理由は?

水谷さんが所属する避難所・避難生活学会は研究者や医師などでつくる団体だ。学会は避難生活中の災害関連死を防ぐため、避難所には「TKB」が必要だとしている。T(清潔なトイレ)、K(温かい食事をつくるキッチン)、B(簡易ベッド)を48時間以内に設置することを提言している。地震や洪水など災害の多いイタリアでの取り組みを参考にした。

ベッド
イタリアの避難所の様子 テントの中にはベッドが用意されていて、温かい食事が提供される(提供:避難所・避難生活学会)
イタリアの避難所の様子 テントの中にはベッドが用意されていて、温かい食事が提供される(提供:避難所・避難生活学会)

もちろん、日本では普段から床に寝ている、そのほうが落ち着くという人も多いだろう。だがベッドを使うことで、床からの冷気やほこりを吸い込むことを軽減し、感染症やエコノミークラス症候群などの健康被害を防ぐことが期待されている。

こうした避難所の環境改善をめぐっては、国も対策に乗り出している。東日本大震災を受け、法律を改正し、自治体に環境を改善する取り組みを促したり、避難所運営のガイドラインをつくったりなどしている。

水谷さんも自治体に協力する形で、自身が開発した段ボールベッドを被災地に届けたり、避難所に段ボールベッドを設置したりする支援をしている。

避難所・避難生活学会 水谷嘉浩さん
避難所・避難生活学会 水谷嘉浩さん(一番左)(提供:水谷さん)
水谷さんが訪れた能登町の避難所
水谷さんが訪れた能登町の避難所(提供:水谷さん)

能登半島地震では1月6日に石川県に入り、能登町の避難所を訪れた。能登町の指定避難所12か所に段ボールベッドを設置できたのは、地震から3週間以上が過ぎた25日だった。

水谷さんは「今回は悪条件が重なった」と話す。元日の災害、被災地につながる国道があちらこちらで寸断され、積雪などもあった。その結果、避難所に物資が届きにくい状況だった。しかし、その悪条件を差し引いても、支援の遅れを感じた。

「災害の規模は違いますが、2018年に起きた北海道胆振東部地震の時は、地震から5日目に避難所に段ボールベッドが設置できました。2020年の熊本県人吉市の豪雨災害の時は、1週間で完了できました。
ここ最近は環境の整備が早くなってきたなと感じていましたが、今回は遅くなったというより、東日本大震災のころに戻ってしまったという感覚があります」

■事前の協定はあった それでも遅れた段ボールベッド

水谷さんが現地に入って以降、能登町の避難所には国から段ボールベッドが届いた。しかし、当時避難所にいた3000人ほどの住民には、到底及ばない数だった。

「段ボールベッドを使うならば、避難している人全員分のベッドを設置しないといけない。誰が健康被害のリスク保持者かというのは事前には分かりません。公衆衛生の観点から、全員がベッドを使うというのが大前提です」

実は能登町は、東日本大震災を受けた2013年、兵庫県の段ボールメーカーと防災協定を結んでいた。災害時に段ボールベッドなどの物資を提供してもらうという協定だ。
今回の地震を受けメーカーに要請できたのは、地震発生から10日ほどが過ぎていた。それでも他の自治体に比べると早かった。町長や町の保健師が、住民を健康被害から守るためには段ボールベッドの設置が必要だと考えていたからだという。

「発災直後は、避難している人も大勢いて、とても混乱していた。避難生活が長引く中で、感染症やエコノミークラス症候群のリスクもあるということで、段ボールベッドを要請した」(能登町の担当者)
体育館
能登町の避難所 段ボールベッドが設置された
能登町の避難所 地震から3週間が過ぎたころ段ボールベッドが設置された(提供:水谷さん)

段ボールベッドが避難所に運び込まれ始めたのは、地震から2週間が経った1月16日だった。

「能登町には防災協定があったので、要請してからはスムーズに段ボールベッドが入ってきた。しかし、協定がない自治体もある。被災して混乱している中で、自力で調達しようというのはなかなか難しいと思います」(水谷さん)

■避難所で働いている人にも”介入”を

被災した人たちをケアするのも、また被災した人たちだ。

地震発生から4日後の1月5日に珠洲市に入った日本赤十字社医療センター救護班の伊藤佑医師らは、避難所などで、被災した人たちをケアする自治体の職員や介護施設の職員たちを目の当たりにした。

「あるグループホームを訪れたとき、スタッフの看護師さんは被災した日からそこに寝泊まりをして、入居者さんたちの面倒を見ていると話していました。物資もほとんど届いていないような状況でした。自分が被災者でも、入居者さんたちを優先させてケアをしていました」(伊藤佑医師)
訪問
珠洲市で活動する救護班(提供:日本赤十字社 医療センター)
珠洲市で活動する救護班(提供:日本赤十字社 医療センター)

伊藤医師は同じ救護班の看護師らとともに、避難所などを訪問、診療やこころのケアにあたった。地震発生から数日だったこともあり、被災した人たちや現場の保健師などの職員たちは気丈に振る舞っていた。しかし、表情に疲れが見えたり、不安を抱えているような様子もあったりと、こころのケアの必要性を感じたという。

「避難所に行くと、避難してきた方に目が行きがちだと思うのですが、そこで働いている方たちも必要に応じて、介入をする必要があるなと感じました。何らかの形で心を露出しやすいような環境をつくることが大事だと思います」(齋藤晶仁薬剤師)

■「絶望との戦い」をサポートするために

「多くの避難所では、被災した自治体の職員が避難所の運営やケアをしている。疲弊した職員が担うことで、支援が遅れる可能性もある。つまり被害が拡大する可能性もあるということです」

そう話す避難所・避難生活学会の水谷嘉浩さんは、自治体や場所で差が出てしまう避難所の運営を、国が標準化すべきだと考えている。どこで災害が起きても、どこの避難所に行っても被災した人たちが同じ環境で過ごせるよう、一定の水準を保つ必要がある。そのためには国が法律を変えるなどして、支援の仕組みをつくるべきだという。

「市町村だけで避難所を運営するのには限界があると、今回改めて露呈しました。避難所の環境は全国どこでも差が出ないよう、国が標準化すべきです。支援の仕組みを取り入れているイタリアでは、被災した近隣の自治体から災害対応の訓練を受けた支援者が入り、資機材を持ち込ます。日本は繰り返し災害を経験しているからこそ、災害に必要なものや支援のやり方は分かっているはずです。平時に準備しておけばいいのですが、それができていません」
イタリアの避難所で使用されるテント(提供:避難所・避難生活学会)
イタリアの避難所で使用されるテント(提供:避難所・避難生活学会)

さらに水谷さんは、被災した人たちが2次避難所や仮設住宅に移り始めても、元の避難所に残って過ごす人たちがいる限り、その環境を改善し続ける必要があると指摘する。

段ボールベッドが設置された避難所
段ボールベッドが設置された避難所
「地元を離れたくない、被災した家から離れることが心配だというのは、これは人情だと思います。そういう人たちがいつまでも環境の悪い避難所で、我慢に我慢を重ねることになってしまうと、体調を崩す人もたくさん出てくる。被災した人たちにとって、今後は災害ではなく、絶望との戦いになると思います。絶望に負けることなく、自分の力で立ち上がれるようにサポートしていくのが、行政の役割だと思います」

災害は、いつどこで起こるか分からない。被災した人たちが我慢を強いられ続けるようなことがないよう、一刻も早く避難所のあり方を見直す必要があると感じた。

  • イタリアの避難所の様子 テントの中にはベッドが用意されていて、温かい食事が提供される(提供:避難所・避難生活学会)
  • 避難所・避難生活学会 水谷嘉浩さん(一番左)(提供:水谷さん)
  • 水谷さんが訪れた能登町の避難所(提供:水谷さん)
  • 能登町の避難所 地震から3週間が過ぎたころ段ボールベッドが設置された(提供:水谷さん)
  • 珠洲市で活動する救護班(提供:日本赤十字社 医療センター)
  • イタリアの避難所で使用されるテント(提供:避難所・避難生活学会)
  • 段ボールベッドが設置された避難所

こちらも読まれています