「とにかく前へ」被災地でいち早く再開した保育園 求められる子どもたちの居場所作り
[2024/02/08 18:00]
最大震度6強に襲われた穴水町で、地震からわずか2週間で再開した保育園がある。運営するスタッフも被災する中、ここまで早く子どもたちを受け入れた訳は何だったのか。
そこには、通園する子どもたちが避難生活で苦しむ現状を知り「居場所」を取り戻そうと奮闘した園長の存在があった。
(テレビ朝日社会部 難波仁史)
園長が心配だった“車中泊の一家” ストレスで兄弟げんか
1月中旬、被災地の保育園の一部は避難所として使用されていた。取材をしていると、子どもたちを受け入れる体制は多くの場所で全く整っていないように感じていた。そんな中、穴水町中居にある「神杉保育園」は避難所に指定されていなかったこともあり、1月15日に、日数や時間を制限して園を再開した。
当時、通っていた園児26人のうち、半数は町外に避難していた。受け入れを再開しても通える子どもはわずか…という状況だった。
神杉充園長は再開の理由をこう説明する。
その神杉園長が気にかけていた家族がいた。
6歳の心来(みらい)くん、3歳の心月(みつき)くんがこの園に通う山下さん一家だった。
一家は地震直後から家族5人で「車中泊」を続けていた。父の将士(まさし)さんは
と複雑な思いを明かしてくれた。感染症や避難所での周囲への配慮から、慣れない車中泊生活を続けた家族…。その影響か、子どもたちは頻繁に「身体が痛い」と訴えたほか、ストレスから兄弟げんかも多くなったという。
こうした状況を知った神杉園長は、子どもたちのストレスを発散させ居場所づくりを急ぐ必要があると感じた。そして保護者にも、少しでも気持ちを休めてもらいたいと思った。片付けなど復興に向けた時間を作ってもらいたいという思いもあった。
急ピッチで再開の準備をした。神杉保育園には井戸や仮設トイレ、薪ストーブがあり、インフラの面はすぐにクリアすることができた。
しかし、11人いたスタッフのほとんどが被災していた。3人は家が倒壊し、とても職場復帰できる状況ではなかった。それでも残りのスタッフの自宅や避難場所に足を運び、それぞれの状況を確認しながら、園児の近況を伝えて「できる範囲で力を貸してくれ」と協力を仰いだ。
その結果、まずは月・水・金の週3回、午前10時から午後3時まで園児の受け入れをすることができるようになった。
「先生と遊べて楽しい!」園を駆け回る子どもたち 支援の課題
そして迎えた1月15日、キラキラとした目で男の子3人が車から降りてきた。
心来(みらい)くん、心月(みつき)くんに加え、神杉保育園の卒園生である長男で小学2年生の心湊(みなと)君の兄弟だった。
元気に園長に挨拶すると、先生たちの手を引き、この2週間のうっぷんを晴らすかのように、園内を目一杯走り回った。
と声を揃えて話してくれた。
父親の将士(まさし)さんは
と語った。そのうえで
と笑顔を浮かべた。
神杉保育園再開の翌日には、国も支援に乗り出した
こども家庭庁が、子どもたちの居場所づくりに取り組む民間団体などに新たな財政支援をすることを決めた。
被災した子どもへの遊びの機会提供や学習スペースの設置などの取り組みを募集し、1団体当たり最大500万円を補助する予定だ。被災した子どもたちの「居場所作り」が地域で、そして国で進んでいく。
神杉園長は力強く話す。被災地で子どもたちが置き去りにされない取り組みも進める。
今後、避難生活で保育園に通えない園児たちを訪問し、絵本の読み聞かせなどをすることも考えているという。