“能登の人は控え目でがまん強い…”に甘えてはいけない

[2024/02/13 17:00]

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9日間の北陸応援取材をおえて、東京に戻る新幹線で今これを書いている。
私が派遣されたのは2月2日から10日まで。発災直後から石川県の北陸朝日放送(HAB)には全国各地のANN系列局から様々な形で応援スタッフが入っていて、私はスタッフの安全管理や出稿のとりまとめを行う統括デスクを担当。

発災から1カ月を過ぎ、報道も減りつつあるなか、いまだ過酷な被災地の状況をどう的確に伝えていくかが課題だった。
(テレビ朝日報道局ニュースセンター 統括デスク 白川昌見)

石川県で感じた人の良さ

 到着後まずは金沢市内にあるHABの本社へ。連日休みなく働き、前日に「1カ月特番」の放送を終えたばかりのHABの人たちは疲れもみせず、私を温かく迎えいれてくれた。行く前から「HABの人たちは皆よい人ばかり」と聞いていて、その通りだと思うことが何度もあった。そしてそれはHABだけではなく、石川県全体、多くの被災者からも感じられることだった。

 期間中、1つ反省も込めて印象的な取材があった。石川県では3月16日に北陸新幹線が延伸開業することに伴う観光需要を見越して、県内の旅館などに避難している二次避難者を2月から3月上旬には退去させる方針を決めている。端的にいえば、「もっと単価が高くお金も落とす観光客を旅館にいれるから、二次避難者は出て行ってください」ということだ。その後の行き先はまだ決まっていない。

私はHABのデスクに「え?もう新幹線開業の前に退去させる方針を県は決定しているんですか?」と尋ねると、「そうですよ」との回答。私は「いつ退去させるかタイミングを調整していて、場合によっては延長もあり得るのだろう」くらいの認識だったので、驚くと共に一体被災者はどうすればいいのだろうと心配になった。

HABのニュースフロア
HABのニュースフロア

説明会は紛糾か、と思われたが…

すると、加賀市の旅館に二次避難中の人たちを対象とした県で初めての説明会が2月7日に開かれるという情報が入ってきた。カメラが入れるのは説明会の冒頭のみで、説明会中は非公開、会合時間は3時間という設定だった。
私は、「きっと会合は紛糾するだろう」と予想した。であれば、終了後は被災者の声をなるべく多くインタビューしよう、可能なら中の音声を録音したデータの提供をしてもらえないだろうか…そんなことを念頭に取材の態勢を整えた。
私は政治部の在籍が長く、これまでに例えば増税や防衛問題など、反対派と賛成派の議員たちの間で議論が紛糾し、怒号や会合が何時間も続く…という会合を何度も取材してきたので、それに近いものになるのではと思ったのだった。

 しかし、実際終了後の参加者の声の多くはそうではなかった。まず多く聞かれたのは感謝の声。「とてもよくしてもらった」「快適に過ごさせてもらった」「いつまでもここにいさせてもらう訳にはいかない」。先の不安はあるという声は聞かれたが、新幹線開業のタイミングで退去させられること自体への激しい怒りの声などはあまり聞かれなかったのだ。

 一方で、被災者の次の行き先はほとんど決まっていない。説明会で示された選択肢は4つ。

1)最大2年 仮設住宅に住む
2)最大2年 アパートなどの「みなし仮設住宅」に住む
3)最大1年 公営住宅に住む
4)水道復旧後に自宅を修理して住む

ただ、仮設住宅は3日に輪島市で県内初めての仮設住宅として18戸が完成、9日に珠洲市で40戸が完成という状況で、必要とされる数には到底足りていない。「みなし仮設住宅」への問い合わせは急増しているが、入居条件もあり、希望している人全員が入れる訳ではない。そして多くの人が自宅に戻りたい、せめて近くにと希望しているが、その要となる水道復旧の見通しは多くで立っていない。

地震から1カ月が経った現場へ

HAB本社での管理業務が中心の私だったが、能登半島でのクルーの取材拠点を移転させるという業務にあわせ、4日に能登町と輪島市を訪れた。ありがちな言葉だが、「やはりテレビで見るのと、実際目にするのとでは大違い」というのが正直な感想だった。

輪島市内

1カ月が過ぎたというのに全く手つかずで崩れ落ちたままの家屋、道路も一方通行で通れるようになっていてもそのすぐ横は大きく崩落したままという場所がいくつもあった。「1カ月たってるよね?なぜまだこんな状態なの?」私は混乱した。「日本は何だかんだいってもこういう事態には迅速に対応できる国ではなかったのか。」ショックだった。「道路が寸断したままだから地震後一度も家に戻れていない。自分の家が一体今どういう状況なのか想像もつかないんです」という被災者の声も多く聞かれた。

金沢市内をタクシーで移動中、奥能登に行ってきたという運転手さんは「本当ひどいよね。元に戻るには20年くらいかかるかもね」とつぶやいた。ある取材クルーは「復興にどれくらいかかりそうか」と被災者に尋ねたたところ、「復興どころじゃない。今は復旧すらできていない。復興なんて考えられる段階じゃない」と言われたそうだ。それが今の被災者の実態だ。私ですら「明日に困る被災者より新幹線の方が大事なのか?」と怒りをおぼえるのに、実際の避難者は声を荒げはしなかった。なぜなのか…。

がまん強く、心優しい でも…

 私の父は石川県加賀市の温泉町出身で、今も多くの親戚が住んでいる。今回の地震は5強の揺れで、建物倒壊などの被害はなく、温泉旅館に二次避難者もいるというので、東京に戻る前に立ち寄って話を聞いてみた。
「能登の人は控え目でがまん強いんよ…」叔母が言った。叔母が出会った二次避難中の人は「今まで旅館であったかい布団で寝かしてもらって、3食ごはんも出してもらって。ここまでしてくれただけでも十分すぎる。」と話していたそうだ。「しっかりこの旅館に観光客の人にはいってもらって、石川の経済をまわしていかないといけない。自分だってできるなら早く地元に戻って仕事がしたい」という声も。

 そこではっとさせられた。今さまざまな支援活動が行われていて、もちろんそれは重要だ。しかし、将来的にはそこからまた人びとが立ち上がり、仕事をし、被災地が、県が自立して経済をまわしていけるようにならなければいけないのだ。叔母が言ったように、能登の人、石川の人はがまん強く、心優しい人が多いのかもしれない。しかし、決してそれに甘えるようなことがあってはいけない。
初動を含め、国や県の対応に遅れはなかったのか。今、本当にやれることを全力でやっているのか。報道機関である我われもしっかり検証しながら、できることは一日も早くやるべきだ。そしてどれだけ時間が経過しようとも、今はまだ考えることすら難しいという「復興」を成し遂げたといえる状況になるまで、決して関心を薄れさせることなく、やれることをやり続けようという思いを強くした9日間となった。

お茶

 この新幹線に乗る前、金沢駅でお土産を購入しようとすると店員がレジの横からお茶をいくつか取り出してきた。「こちら能登で被災して店舗が倒壊したお茶屋さんの商品です。今は生産もできませんが、残った在庫を販売して再建につなげようとしています。まったく強制ではないのですが、もしよろしければ1つでもいいので買ってご支援いただけませんか?」と声をかけられた。私がお茶を手に取り、裏の製造した会社の名前などを確認していると再び「決して強制ではないですが…」との声かけ。結局その場にあったお茶4袋をすべて買うと告げるとさらに、「こんなに買っていただいていいんですか?決して強制ではありませんので…」との声が。
「やっぱり控え目な人たちが多いのかもしれないな」と少し内心微笑んでから、私は「ぜひ購入させてください」と返事をした。

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