グラビアモデルとしてトップクラスの人気を誇り、多くのグラビア、写真集、イメージビデオに出演してきた小松みゆき(当時の芸名は小松美幸)さん。大河ドラマ「元禄繚乱」(NHK)、「大奥」シリーズ(フジテレビ系)などに出演。「いつもより素敵な夜に」(児玉宜久監督)、「連結部分は電車が揺れる 妻の顔にもどれない」(内田春菊監督)など主演作品も多い。10月11日(土)には、俳優としてだけでなく、自身の経験を活かしてインティマシーコーディネーターも務めた映画「ル・ジャルダンへようこそ」(山口みちへい監督)が公開される。
■実在の高級クラブのママ役とインティマシーコーディネーターを兼務
2022年に公開された映画「月下香」(淵澤由樹監督)に続き、今月11日に公開される映画「ル・ジャルダンへようこそ」でも出演だけでなく、インティマシーコーディネーターも務めた小松さん。この作品の原作を書いたのは、銀座の高級クラブ「ル・ジャルダン」のオーナーママ。新型コロナウイルスの影響を受けた夜の街で働く主人公が再び希望を取り戻していく様を描いたもの。小松さんは主人公が働く銀座のクラブのママ役を演じている。
「『ママさんと雰囲気が似ているね』と言っていただくことが何度かありまして、望月明美ママのファンの方には申し訳ないのですが、とても光栄です。でも、それでこの作品に呼んでもらえたのかなと思ったりしました。
銀座の高級クラブはたくさんありますけど、コロナ禍になって対応は様々だったと思います。『ル・ジャルダン』のママは、何とかみんなの食い扶持(ぶち)を繋ごうとして努力されていたんですよね。台本を読んだときにもその覚悟が伝わってきました。
ただ、劇中でママが電話でお金の工面をしようとしているシーンがあるのですが、それは実際にはお客様にお願いしている訳ではありませんので誤解されませんよう、この場でお伝えいたします。
望月ママのお店は今月にまたもう1店舗新しく開店するそうです。すごいですよね!本当に人望があり愛されている方なんだなと思います。私も実際にお会いして、チャーミングな望月ママに照れてしまってまともに目を見ることができませんでした」
――映画を見ていると、お店で働く女の子たちがママの力になりたいと思っているのが伝わってきますね
「そうですね。映画内だけではなく実際にもママの好意や情を理解して受け止めてママについていこうと思われたのではないかと解釈しています」
――実際に「ル・ジャルダン」で撮影されたのですか。
「はい。すごくステキなお店です。実際のお店で働いている皆さんも出演してくださったのですが、やはりとても魅力的で、撮影現場に対してのモチベーションなど、ちゃんと仕事として受けて来てくれているという意識がうれしかったです」
――ママを演じてみていかがでした?
「率直に大変な立場だと感じました。開店前の朝礼で女の子たちや従業員の様子を観察して、お店を盛り上げるために皆の集中力を高めていかなければなりません。
どんなに夜遅くなっても翌日開店前までにやることは山ほどあります。いったいいつ眠っているのですかって思うほどなのにあんなにきれいでいられるなんて。しかもお子さんもいらっしゃって育て上げているわけですし、ただただ尊敬しかありません」
――(福島の)高校の先輩の秋吉久美子さんも出演されていますね
「はい。念願かなって初めてご一緒させていただきました。学生時代から地元の有名人、大女優さんだよって先生に言われていたので、ずっと会いたかったんですけど、やっとお会いできたという感じでしたね。
僭越ながら、小さい頃、秋吉さんに似ているって言われた頃がありました。それからずっと憧れていたのでお会いしたときはだいぶ緊張していたのですが、とても温かく迎えてくださってうれしかったです」
■42歳で不妊治療を始めて7年間で医療機関は6軒、全身麻酔で採卵
30歳を過ぎる頃から一般作品への出演も多くなり、充実した日々を送る中、私生活では2009年、38歳の時に8歳下の一般男性と結婚。
「8年ぐらい付き合っていました。彼は8歳年下で結婚は見えないなと思って暮らしていました。でも、彼が30になった時に突然、結婚する話が出てきて、私はまさか結婚すると思ってなかったので、一人で暮らすマンションを買ってしまっていました。
住むところも変わってなかったので、『籍入れた。はい、終わり。じゃあ結婚式は来年どうしようか?』みたいな感じで。何か淡々と進んでいましたね」
2013年、42歳の時に不妊治療をスタート。2020年までの7年間に通った医療機関は6軒。顕微授精は11回、受精卵の移植は14回、治療費だけで1000万円を超えたという。
――不妊治療を始めたのは42歳だったそうですね
「はい。40歳を過ぎると妊娠しにくくなるということはわかっていたのですが、健康であればいくつでも妊娠できると思っていたんです。結婚した時に舞台の全国巡業も入っていて、これは絶対にやりたい仕事だったんですね。なので、仕事が一段落するのを待って不妊治療を始めたのは42歳の時でした」
最初はタイミング法や人工授精を試みたがうまくいかず、すぐに不妊治療専門の医療機関で受診することに切り替えたという
「最初は町の産婦人科から始まって、結構長い道のりでしたね。あの頃は、まだ不妊治療はあまり理解されておらず、情報もとても少ない時代でした。
今は出生率があまりに下がっているせいもあって、国が支援の幅を広げてくれたり、保険適用の範囲も広がってきましたけど、私が始めた頃は、『不妊治療って試験管ベビーでしょう?』という言われ方をした時代の空気がまだ残っていて、日常の話題にあがることは、ほぼありませんでした。そのせいもあって情報も少なかったのでしょうね。
でも、不妊治療を始めてみると病院には患者が溢れていましたし、みんな何が良いのか手探りで新しい情報を欲していたのを目の当たりにして、不妊治療だって人間の治療の一つに過ぎないのではないかと思い、自分が受けた『治療』を公開しようと決断しました」
――具体的にはどのようなことをされたのですか
「7年間で通った医療機関は6軒で、ひとつの精子を直接卵子に注入して受精を促す顕微授精は11回、受精卵の移植を14回です」
――体内の卵を人工的に取り出す採卵は、全身麻酔なのですか
「今は全身麻酔をしなくてもできる技術になったので、全身麻酔は最初の古い病院だけでした。全身麻酔ですので回復時間も長く必要ですし、採卵に一日かかってしまうことになります。それはお仕事している人にとっては難しいことも多いと思うんですよね。からだの負担も麻酔の分多くなりますし。
採卵は針を子宮の壁を破って卵巣に突き刺します。最近の採卵時は麻酔を使わない方が主流になりましたが、一瞬の痛みさえ我慢すれば、その後は何ていうことはありません。たまに刺しどころによっては鈍い痛みが続きますが、普通はすぐに回復します。
痛みに恐怖を感じる方もいらっしゃると思いますけど、看護師さんたちが優しく励ましてくださいますので身を委ねて緊張をほぐしてもらえたらと思います。
私は痛みに強い方だと思うのですが、採卵時はモニターをずっと見ていて針に卵が吸い込まれるシーンを見ていました。とても神秘的でした」
――聞いているだけで痛い感じがします
「聞いているとそう思いますよね。結局採卵をしていたのは46歳になる頃までなので、すごく短いんですよ、実際は。始めたのが42歳でしたから3年で、その間に10何回という感じです。
毎年違う病院に行っていたんですけど、最後に今は多くの病院で受けられる染色体の検査
を受けられるところを見つけて。凍結する前に染色体に異常がないかどうかを調べられる着床前診断の検査を受けることにしました」
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■不妊治療の中、ポリープと子宮内膜炎が■不妊治療の中、ポリープと子宮内膜炎が
不妊治療を受けている中、ポリープと子宮内膜炎が見つかり、手術を受けて治療することに。
――それまで子宮内膜炎のことはわからなかったのですか
「全然気がつきませんでした。最初の町医者に行った時も全然わからなかったみたいで、子宮内膜炎とも言われず、初めて体外受精で戻すときも何も言われませんでした。
内視鏡で見ればわかることらしいんですけど、エコーではわからないので。あるとき卵を戻す(移植)前に卵みたいなのがあるって言われたことがあって。
よくよくその位置を見たら、後で調べた時のポリープだったんですよ。だからポリープや内膜炎が邪魔をして最初の頃は着床しづらかったのではないかなって。子宮の中を内視鏡で見てくれる病院が少なかったのですが、そういうところを選ばないと意味がないと学びました。
さらに不妊治療に関連する文献などを片っ端から読んでいたら、流産が起こるのは染色体異常が主な原因と知りました。ですので、もし流産を経験した方がこれを読まれていたら自分を責めないでとお伝えしたいです。
実は染色体を調べる検査自体はもっと前からあって出生前診断といいます。血液検査やお腹が大きくなってきたところに針を入れて羊水を採って染色体を調べることができます。どちらも結果は同じですが、母体への負担を考えると明らかに受精卵のときに調べておく方がいいと感じました」
――不妊治療には7年間で、1000万円ぐらいかかったと聞きました
「正直に言うとそれでは全然足りませんでした。途中から考えるのがイヤになってきて数えてないんです」
――お嬢さん無事に誕生して良かったですね
「はい。ありがとうございます。おとなしい子なので、暴れたりすることはあまりないですけど、最近運動量が増えてきました。
でも、一人っ子あるあるかもしれないのですが、一人遊びが上手なんですよ。だから私が家のことをやっている時は必然的に一人で遊んでいてもらっています」
――ご出産された時は49歳ですか
「はい。なので、娘が20歳になる時に70ですね。そのことは妊娠を計画したときから夫婦で話し合ってきたことなので、本人が自立していけるようにフォローしていきたいです。
妊娠を計画したら婦人科で検査を受けて、からだのケアを始めて欲しいと思います。からだが丈夫じゃないと、まず妊娠の継続ができないと思うんですね。つわりもあるし、吐くし…その状態で動かなきゃいけないわけですし」
――つわりはひどかったですか
「ひどかったですね。主人がぐったりしている私の気を紛らわすように『今日も朝から盛大に吐いていたね』って笑って言っていたりしました。私は食の偏(かたよ)りが酷くて、ずっと氷ばかりかじっていたり、1カ月ほぼ毎食グレープフルーツの時期もありました」
子どもが生まれて、今までにない経験をさせてもらっています。子どもでいる時間は短いと思うので、子育ては大変なんですけど楽しみたいと思います」
――今後はどのように?
「子どもが生まれて、今までにない経験をさせてもらっています。子どもでいる時間は短いと思うので、子育ては大変なんですけど楽しみたいと思います。
今は子どもが優先になっちゃうのかなと思うんですけど、もう少し大きくなったらお芝居のお仕事や、自分のいろんな経験をお伝えできるようなお仕事もできたらいいなと思っています」
保護猫活動でも知られている小松さんは自宅に猫部屋を作り、現在は20歳以上のシニア猫も含む18匹の面倒を見ているという。超多忙な日々を送っている小松さんだが元気はつらつ。明るいステキな笑顔に充実感があふれている。(津島令子)