
本宮泰風さんとW主演を務めるオリジナルビデオ「日本統一」シリーズが大人気を集めている山口祥行さん。刑事役からヤクザ役まで緩急自在に演じ分け、ダイナミックなアクションシーンにも定評がある。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK)、映画「覇王」シリーズ(小沢和義監督)、映画「BAD CITY」(園村健介監督)などに出演。俳優としてだけでなく、声優、ファッションモデル、ブランドデザイナーなど幅広い分野で活躍。11月1日(金)から崔哲浩さん、福士誠治さんとともにトリプル主演を務めた映画「ぴっぱらん!!」(崔哲浩監督)が公開になる山口祥行さんにインタビュー。
■スタントマンになりたくてジャパンアクションクラブへ

東京で生まれ育った山口さんは、小さい頃は天真爛漫で元気な子どもだったという。
「わりととぼけた子どもだったみたいです。『宇宙刑事ギャバン』(テレビ朝日系)が好きで。(キャラクターの)中に入る人になりたいって言っていました。変身した後の方が子どもの時は好きじゃないですか」
――お母さまに薦められてジャパンアクションクラブ(JAC)にというのはすごいですね
「そう。その当時JACが結構すごい時だったから、一般的にもJACが知られていたんじゃないのかなと思って。JACの養成所のオーディションがあったんですけど、俺が受けた時には何千人も来ていたんですよね。
でも、俺は千葉(真一)さんとか真田広之さん、志穂美悦子さん…誰のことも知らなかったんです。ただ、大葉健二さんがフラフラしているのを見て、『ギャバンだ!』って言っていました(笑)」
――運動神経も良いし受かりますよね
「いやいや子どもの時は良くなかったですよ。ただ、鬼ごっことかをよくやっていたから基礎体力はあったかもしれない。今は全然ないけど(笑)」
――オーディションに受かって行くことに?
「そう。何か凄そうなおじさんがいるなあと思ったら、それが千葉(真一)さんだったんですよ。『いくつなんだい?』みたいな感じで。それで行き始めることになったんですけど、まだ中学生でしたから大変でした。
みんな大人で僕だけ子どもで付いていけなくて。でも、養成所が学校から近かったから通えて、同期の人たちにもすごく優しくしてもらったし、楽しかったですね。いまだに交流もありますよ」
――スタントマン志望だったそうですね
「キャラクターの中に入る人になりたかったんです。でもある時、映画のオーディションを受けたら、受かって。それが小沢仁志と戦うという役だったんですよ」
――いきなりそれはきついですね
「中学校の時に『ビー・バップ・ハイスクール』(那須博之監督)を見ていたから、地元の友だちに『今日ヘビ次(「ビーバップ〜」での小沢仁志さんの役名の愛称)に会うぜ』って言ったら『ホントかよ、ヨシユキ。ヘビ次がどうだったか教えてくれよ』ってすごくて。『おーっ、分かった』と気を張って現場に行ったんですけど、すげえ怖いんですよ、あの人、顔も(笑)。
俺はちっちゃかったから、すごく大きく見えて。それに、殺陣師の言うことを全然聞かないんですよね、あの人。俺はバチバチひっぱたかれたり、バーのカウンターみたいなところにぶん投げられたり大変でした。
地元に帰ってみんなに『ヘビ次、どうだった?』って聞かれたから、『すげえこえーよ!』って言いましたよ(笑)」
――今もずっと一緒にやってらっしゃいますけど、小沢さんとはすごい出会いだったのですね
「本当ですよね。続いているんですもん。すごいですよね。あのメンバーになってから30年くらいになるのかな。本当、よく生きていますよね(笑)」
1986年、15歳の時に「十五少年漂流記〜忘れられない夏休み」(TBS系)に主演しドラマデビューを飾る。
「あれもオーディションです。昔は全部オーディションですよ。でも主演と言っても全然何にも思ってなかったです」
――撮影はいかがでした?
「楽しかったですよ。小笠原に行ってヘリコプターにも乗って。高い所が苦手で『こえーっ』って思ったけど、周りの人たちは全然怖くなかった。だって初めてが小沢仁志ですからね(笑)。何にも怖くないですよ」
■当時の事務所社長から「不細工なのか二枚目なのかわからないから語学を身に着けろ」と言われアメリカ留学したけれど…

山口さんは、19歳の時にアメリカ・ニューヨークに語学留学することに。
「その時所属していた事務所の社長に『あんたは不細工なのか二枚目なのかわかんないから英語ぐらいしゃべれるようになりなさい。留学して学んできなさいよ』って言われて。『費用は補助してくれますか?』って聞いたら『自分で頑張んなよ』って言われたから、自分で働いてお金を貯めて行ったんです。
ギャラも良かった時代で、多少の蓄えもあったんだけど、アメリカに行ったらお金がなくなっちゃって。3年ぐらい行っているつもりだったのに、全然もたない。結局1年くらいでしたね」
――それで一応英語はマスターされて
「いえ、全然ですね。生活はできるレベルというか、授業も受けられるレベルにはなりましたけど、帰ってきて使わないと、やっぱりダメですね。忘れちゃうのはすぐで、セリフと一緒です」
アメリカから帰国後、最初に出演したのが時代劇「鶴姫伝奇−興亡瀬戸内水軍−」(日本テレビ系)。このドラマは、戦国時代、三島水軍の総大将として勝利を収めつつもわずか18歳でその生涯を閉じた鶴姫(後藤久美子)の一生を描いたもの。山口さんは、鶴姫が将来を誓い合った矢先に殺害されてしまう越智鷹丸(石橋保)の弟・隼丸役を演じた。
――とても初々しい感じでしたが、帰国されて最初に時代劇というのもすごいですね
「何かカルチャーショックみたいなのがありましたね。タイムスリップしたみたいで」
――森繁久彌さん、若山富三郎さんなど大御所の俳優さんたちがいらっしゃいましたね
「すごかったです。ある時『挨拶の仕方がなってない』って若山さんに怒られたんですよ。それが千葉(真一)さんの耳にも入り、『ちゃんと挨拶するようにと教えただろう?』って千葉さんからも怒られて。いろんな洗礼を受けましたね」
――その時にはもうこの業界でやっていこうという意識はあったのですか?
「まだなかったかな。10代の時はバイト感覚に近かったですね」
――でも、10代で結構いろんな監督の作品に出演されていて、石井隆監督の映画「月下の蘭」もありましたね
「ありましたね。現場で寝ちゃって、『何で寝ちゃうんですか?』ってこれもまた怒られて(笑)。ダメですよね」
■下積み時代のアルバイトで基礎工事をした東京ディズニーランドでミッキーマウスに誕生日を祝ってもらう

数多くの作品に出演している山口さんだが、20代〜30代までは下積み生活が長く、建築現場などでアルバイトをしていたという。玉掛け免許(クレーンに吊り下げる特殊技術)、アーク溶接、高所作業車運転免許、コンクリート圧送施工技士など多くの免許を取得。
――いくつも免許を取得されていたのですね
「はい。免許がないとアルバイト現場に行けないから取りました。当時は、結構いい給料をもらえたんです。今は時間が経っているから、もう使えないんじゃないですかね」
――いろいろなビルの建設に携わっていたのですね
「それこそテレ朝が入っている六本木ヒルズの基礎工事は、俺やっていますよ。あと東京ディズニーランドやディズニーシー、銀座のエルメスのビルもやりました。個人の家よりビルなどの大きい現場のほうが日当が良かったんですよ」
――小沢(仁志)さんがディズニーランド好きなのは有名ですよね
「あんな顔してディズニーが好きって(笑)。でも、小沢さんが俺の誕生日をディズニーランドで祝ってくれたことがあって。ミッキーマウスが来てくれたんですけど、『自分が会いたかっただけだろう?』って思いました(笑)」
現在の事務所の前には竹内力さんの事務所「リキ・プロジェクト」に所属。竹内力さんには公私ともにお世話になったという。
「力さんとは昔の事務所で一緒だったんです。俺はアメリカに留学していた時に金がなくなっちゃって、当時の事務所が工面してくれていたんです。働いて借金を返した後、『リキ・プロジェクト』に行きました」
――竹内さんは、映画「彼のオートバイ、彼女の島」(大林宣彦監督)、とか「101回目のプロポーズ」(フジテレビ系)などではバリバリの2枚目でしたね。
「力さんには私生活でも面倒を見ていただきましたし、いろんなことを教えてもらいました。本当に勉強になりました。今も俺が出ている作品を見てくれて連絡くださいますよ」
「Vシネマ四天王」と称される竹内力さん、小沢仁志さん、哀川翔さん、白竜さんとの共演作品も多く、山口さん自身も本宮泰風さん、的場浩司さん、中野英雄さんとともに「Vシネマネオ四天王」と呼ばれる存在に。次回は大人気の「日本統一」シリーズ、満身創痍でのアクションシーンの撮影も紹介。(津島令子)
※山口祥行プロフィル
1971年8月6日生まれ。東京都出身。13歳でJAC養成所に入所。15歳の時に「十五少年漂流記〜忘れられない夏休み」(TBS系)でドラマ主演デビュー。「日本統一」(本宮泰風とW主演)シリーズ、「覇王」シリーズ、「大激突」シリーズ(港雄二監督)など主演オリジナルビデオシリーズ多数。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK)、「駐在刑事」シリーズ(テレビ東京系)、映画「罪の声」、「BAD CITY」などに出演。主演映画「ぴっぱらん!!」(崔哲浩・福士誠治とトリプル主演)の公開が11月1日(金)に控えている。
ヘアメイク:坂口佳那恵
衣装:1PIU1UGUALE3 RELAX