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2025年4月25日 13:42

村上弘明 東日本大震災で実家が半壊、大腸がん発症、大手事務所から独立…海外ドラマなど新たな挑戦も!

2025年4月25日 13:42

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法政大学在学中に「仮面ライダー(スカイライダー)」(TBS系)の主役に抜擢されて俳優デビューした村上弘明さん。185cmの長身と端正なルックスで人気を集め、現代劇から時代劇まで幅広いジャンルの作品に出演。「腕におぼえあり」(NHK)、「八丁堀の七人」(テレビ朝日系)、「銭形平次」(テレビ朝日系)、「津軽海峡ミステリー航路」(フジテレビ系)、「柳生十兵衛七番勝負」(NHK)など主演シリーズ作品も多数。映画「陽が落ちる」(柿崎ゆうじ監督)が公開中。(この記事は全3回の後編。前編、中編は記事下のリンクからご覧になれます)

■明智光秀を逆賊にはしないと言われて

大河ドラマの出演作も多く、「春の波涛」、「武田信玄」、「炎立つ」、「秀吉」、「元禄繚乱」、「八重の桜」など6作品に出演。

――大河ドラマ「秀吉」の明智光秀もすごく印象的でした

「僕が光秀の打診を受けたのは、タイで『メナムは眠らず』(NHK)というドラマの撮影のときでした。3カ月間日本に帰れなくてずっとタイで撮影していました。

そんなとき、前編を撮り終えた演出家が大河(ドラマ)の準備をしなきゃいけないから、日本に帰るというわけですよ。『村上さんに明智光秀役をやってほしいんだけど、これを読んでもらえますか?』ってシノプシス(あらすじ)を100何十ページも渡されて。『明日東京に帰るので、今日中に読んでください』って言うんです。

僕は翌日も朝からまた撮影なのに…と思いながらもそれを全部読んでみたら、明智光秀役が面白かったんですよ。ただ、やっぱり逆賊だからマイナスのイメージがつくんじゃないかと思っていましたけど。

『メナムは眠らず』のスタジオ撮影をやっているときに楽屋にNHKの偉い方が『本当ご苦労さん。タイでは本当にすばらしい、良かったって俺の耳に聞こえてきているよ。それで、ちょっと変な噂を聞いたんだけどさ、明智光秀やるの?あれは逆賊だぞ。お前には太陽がパーッと上がるような爽やかな役の方が合うと思うんだけどな。あれは逆賊だから』って。

僕のことをいろいろ買ってくれている人が、そういうことを言いに来るわけですよ。それで、そのことをマネジャーを通して伝えてもらったら、そのときの大河(ドラマ)のプロデューサーとディレクターと焼肉屋で会うことになって。

『今回の大河の明智は、村上さんにオファーするということは逆賊にはしません。逆賊にするんだったら村上さんにはオファーしない。これまでの逆賊というイメージを払拭したい。光秀にもちゃんと理屈があって、それでやむなくああいう風な行為に出たのだと。そういうふうに描きたいんだ』って言われたんです。

そうしたら、マネジャーも『いいじゃん。やろうよ。じゃあ乾杯!』ってなってね(笑)。メインのディレクターが4人ぐらいとプロデューサーと…その中で決まって。受けた以上は自分が納得して演じたいと思ったので、戦国時代の資料を徹底的に読み込んで撮影に臨みました」

――現代劇もですが、時代劇の主演シリーズも多いですね。「八丁堀の七人」の青山様もカッコ良かったです。べらんめえ調のセリフが印象的でした

「『髪結い伊三次』(フジテレビ系)のときに、本物の江戸っ子の先生が付きっきりで教えてくれて、それが好評だったので、『八丁堀の七人』の青山様を江戸弁でと決まったのです。

所作とか雰囲気も江戸弁のセリフだと自然にああいう風になりました。皆さんが青山久蔵は粋だと言って下さってうれしかったですね。僕自身も楽しみながら演じることができました」

■東日本大震災で実家が半壊、両親と連絡が取れず…

2011年3月11日に発生した東日本大震災で岩手県陸前高田市にあった村上さんの実家は半壊し、両親とも連絡が取れなかったという。

「すごく自然豊かなところだったんですけど、あの地震で大幅に変わってしまって…。

両親はたまたま出かけていて無事でしたけど、4日間連絡が取れなくて心配しました。

伊豆にいる妹から電話があって、連絡がつかないって。母親とおやじが一緒に買い物をしているときに地震があって、帰る途中、家に向かっているときに津波が来たみたいなんです。

市街地から自宅へ向かっていると、高台から1回下り坂になるところで車が数珠つなぎに7、8台停まっていたのでどうしたんだろうと思ったって。

そこから海を眺められるんだけど、波が渦巻いていて、家屋とかが海の上に浮かんでいるのが見えて、早く家に帰りたいと思ったけど津波が来ていて戻れなかったから、次の日に波が引くまで知り合いの倉庫に避難させてもらっていたと言っていました」

――連絡はいつ取れたのですか

「全然取れなかったので、どうなったのか全くわからなくて、ようやく連絡がついたのは4日目でした。だから、その4日間は眠れなかったですよね。

地震が起きた日は長女の卒業パーティーでホテルに行っていたんです。最初にテレビで見たときは、津波のことは言っていたけどそんなに被害が大きくないところが映っていたので、あんなに被害が大きいということはまだわからなかった。

ただ、両親と連絡が取れないから、それがちょっと気がかりだったんですけど。それが次第にいろいろな映像が入ってきて、陸前高田の光景が映ったときにびっくりして…。そのときからですね。これは大変なことになった。僕の心も穏やかではなくなりました。

そうしたら4日目に電話がかかって来て。避難場所に自治体の方が電話を持っていってくれたみたいで、母親の声を聞いてやっと一安心したという感じでしたけど、母親の弟夫婦と従兄弟が亡くなってしまいました。

亡くなった僕の叔父は、建設会社を引退して悠々自適に暮らしていたんですよ。子どもたちや孫に囲まれて一家団らんでね。川に行っては鮎を釣ったりして、親戚やみんなに配って『俺はこんな楽しい人生はない。もういつ死んでもいい。思い残すことはない。すばらしい人生だった。俺みたいな幸せな人生はない』って言っていたんですよね。そう考えると、ふるさとの海で亡くなったんだから叔父は本望だったのかもしれないなって…」

――村上さんは、わりと早く支援物資を持って故郷に入られましたね

「3週間後ぐらいですね。東北自動車道が復旧したと聞いて避難所に支援物資を持って行ったんですけど、まだ工事中のところもあって、ものすごく時間がかかりました。2日がかりでようやく着いたという感じでしたけど、変わり果てた故郷の姿にただただ呆然としました」

2012年にはNHK東日本大震災復興応援ソング「花は咲く」にボーカルとして参加。復興支援活動も積極的に行っており、「いわて☆はまらいん特使」、「みなと気仙沼大使」もつとめている。

「岩手の魅力を全国に紹介して、多くの方に足を運んでもらおうと動画撮影とかトークイベントを東京や大阪、名古屋、広島などいろんなところでやっています。そんなに岩手のことに詳しいわけじゃないから、あとは自分の役者人生やエピソードなど、そんなことも話しています」

――岩手のPR動画では漁師さんに扮してらっしゃいますね

「はい。漁師役をやっています。漁師に囲まれて育ってきましたからね。まず漁師の歩き方、雰囲気というのは自分も一緒におやじの手伝いもして見ているわけですよ。

だから、他の作品で漁師役をやっている俳優さんを見ると、やっぱり歩き方やしゃべり方がちょっと違うなという思いがあったんですよね。なので、自分が子どもの頃から見て来て知っている漁師をやりました」

2013年の大河ドラマ「八重の桜」は、東日本大震災から復興のために作られる側面を持つことから出演を決めたという。

■大腸がんを発症、手術を受けることに

実生活では1990年に結婚し、2男2女も誕生。仕事、私生活、復興支援活動で多忙な日々を送っていた村上さんだが震災から7年後、2018年に大腸がんと診断され手術を受けることに。

「50歳を過ぎてから妻の奨めで人間ドックを受けるようになって、大腸内視鏡検査を受けたらポリープが見つかったので、2年に1回くらい検査をやっていたんですよ。

仕事の忙しさとかにかまけてしばらく検査を怠っていた頃、妻が『しばらくやってないから、行った方がいいんじゃない?』と言うので検査に行くと、いつもと違う先生で『ひょっとしたらがん化しているかもしれない。転移してなきゃいいんだけど』って言うんですよ。

それで、いつもの先生にもう1回検査をしてもらったら、『村上さん、手術しましょう。今は腹腔鏡手術でできるし、簡単ですよ』と。

そして、『そんな深刻な顔をすることはないですよ。早期だし、良かったですよ。一応念のために切っておきましょう。その方が安心だし、村上さんもこれから30何年と役者をやっていく中で、ラブシーンだってできるから。穴を開けるだけで跡がつかないようになるから』って。

僕は手術だと聞いてショックで頭を抱えていたんだけど、先生は『良かったですよ、村上さん。こんなに早く見つかって』って、温度差が全く違うんですよね。結果的にはステージ0の早期発見で良かったですけどね」

――奥さまのおかげですね

「本当にそうです。彼女に言われなかったら人間ドックにも行ってなかったですしね。結果的に妻が僕の命を救ってくれました」

■大手事務所を退社!自分で新たな挑戦も

(C)2024 Kart Entertainment Co.,Ltd.

現在、切腹を命じられた夫とその妻の一夜を描いた映画「陽が落ちる」が公開中。武家の妻・良乃(竹島由夏)は、江戸城在番の折に将軍の弓に不都合が生じた罪により蟄居(謹慎)を命じられた直参旗本である夫・古田久蔵(出合正幸)と幼い息子とともに静かに暮らしていた。しかし、久蔵の沙汰が切腹であるという知らせが届く…。

村上さんは、武士社会の秩序を体現する立場でもある松平讃岐守(松平康秀)役を演じた。

「この映画は切腹の話も描いていて、僕が演じた松平康秀は、切腹に立ち会う、見届け人。

僕もそれをきっかけに、300年ほど前に山本常朝が唱えた武士道の書物『葉隠』とか、いろんな武士道の本を読みました。

僕は時代劇多かったでしょう?例えば江戸時代だったらその時代の人々の考え方とか、価値観は今の時代の人たちの考え方と全然違うわけじゃないですか。

切腹に関しても、今だととても残酷で野蛮だなという思いがあるけど、当時は家の為、名前の為、名誉ある死に方と見なされていました。

どのような暗愚な殿様であれ、切腹を命じられたら、潔く成し遂げるのが武士というもの。お殿様が死んだ時点で自分も腹を切りたがった。お殿様のために腹を切るのがうれしいというか。そのことが主君のためになるのだったら喜んで切腹させてくれって、だから殉死禁止令が出たくらいなんですよね。

その覚悟がなかったら、いざ戦になった時に敵陣に突っ込むなどどうしてできるのであろうかということ。当時の武士道は、武士にとっては理念であり、宗教、哲学でもあったわけです。

そこには『肉体は死んでも、魂は生き続ける』という考え方があるんですよ。武士道というのは、私事を考えてはいけない。とにかくお殿様のため、藩のため、あるいは仲間のために。侍というのはそういうものだと。

ただ、太平の世の中になって、死に対してびくびくするような侍が増えてきた。とんでもないって。だからそういうある種の戒めで書いていると思うんだけれども、この作品に出てくる武士は、言ってみたらその戒められるほうの人たちなんですよね。幕末の時代には、こういう人たちが増えてきたということだと思うんですよ

ただ、やっぱりその武士道の考え方、魂は生きているって。そういう中で僕が演じた松平康秀は、(久蔵に)少しでも武士らしい死に方をさせてやりたいと家臣への配慮を、表には顕さずにどう醸すか意識して演じました」

――今この時代に、この映画が作られたということに関しては?

「非常に残酷だとは思うんだけれども、切腹というのは非常に象徴的なわけでしょう?日本の文化のある種一つの極みだと思うんですよ。日本が本来築き上げてきた文化というのは、こういう世界。

この身を捧げるというか。神様に捧げるという、そういうものをもう一度立ち返ってそこになれというわけじゃなくて、こういう時代を経て今の現在があるということを知るというか。もうちょっとニュートラルな部分で、昔の日本の文化というのを何かのきっかけで、紐解くというか、そういうことも必要なんじゃないかなって。そういうきっかけになる作品だと思います」

2024年、村上さんは大手事務所を退社して独立。新たな事務所と業務提携しつつ、個人の部分も残しているという。

「僕はずっとマンツーマンでやってきたわけですが、そのマネジャーが亡くなってしまって。芸能プロにはなかなかそういう人はいないんですよね。世の中も変わってきたし、いろんなことに挑戦したいと思ったんですよね」

――昨年は海外のドラマ「Pachinkoパチンコシーズン2」(Apple TV+)にも出演されましたね

「オーディションに合格して。昔からオーディションには強いんです。1カ月間カナダ(トロント)に行って撮影をしてきました。日本人の役で日本語のセリフでしたが、それで、やっぱり英語はしゃべれた方がいいなって思いました。

通訳の方がついたんですが、ワンクッション空いちゃうじゃないですか。30年ほど前に向こうの作品に出て、ある程度は英語を勉強してしゃべれるようになったんですけど、まだまだですね。娘たちは留学経験があるので流暢ですが、僕はせいぜい日常会話ぐらいですね。だから、これからもっと勉強したいとは思っています。

監督と直接やった方がお互いにいい。向こうの監督って意見を求めたがるんですよね。日本の監督は、意見を言うと嫌がる人も結構いますけど、向こうの監督は聞きたがる。だから直接英語で喋ることができたら、もっと思いが伝わるだろうな…というのはありますね。

それに海外の作品は日本の撮影とスケールが全然違う。お金の掛け方やスタッフの人数、機材、カメラの台数も。機会があったら是非また行ってみたいですね。楽しかったですよ」

――海外作品のほかに今後やってみたいことはありますか

 「自分でシナリオを書いて作品を作りたいという思いはあります。いつか僕が生まれ育った故郷の岩手県陸前高田市の震災のことを作品として残せたらと思っています」

自分がやりたいことをやりやすい状況になったという村上さん。俳優としてだけでなく、作品製作にも意欲満々。期待が高まる。(津島令子)

ヘアメイク:宮本由樹

スタイリスト:村上都