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2025年4月11日 14:49

温水洋一 津川雅彦さんから自身の監督映画にLINEでオファー「僕でいいんですか?って(笑)」

2025年4月11日 14:49

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「竹中直人の恋のバカンス」(テレビ朝日系)、「BOSS」シリーズ(フジテレビ系)、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズ(山崎貴監督)、舞台、CMなどで独特の存在感を放っている超個性派俳優・温水洋一さん。「大田クルーと温水洋一」のPV「マハラジャスーパースター」ではHIP−HOPを歌って踊り、「タカトシ&温水が行く小さな旅シリーズ」(フジテレビ系)ではリポーターなど幅広いジャンルで活躍。2017年には、第52回紀伊國屋演劇賞個人賞受賞。5月23日(金)に映画「ゴッドマザー〜コシノアヤコの生涯〜」(曽根剛監督)の公開が控えている。(※この記事は全3回の中編。前編は記事下のリンクからご覧になれます)

■あわやお蔵入りになりかけた映画も…

明石家さんまさんの舞台に出演したことがきっかけで「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ系)に出演。独特の個性が注目を集め、バラエティー番組にも多く出演することに。

2005年、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に出演。この作品は、西岸良平さんの漫画を基に、昭和33年の下町に暮らす人々の悲喜こもごもを描いたもの。温水さんは自転車屋の吉田役。

2007年に「ALWAYS続・三丁目の夕日」、2012年には「ALWAYS 三丁目の夕日‘64」も公開された。

――映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズは豪華なキャストの大作でしたね

「そうでしたね。山崎貴監督も年齢が一緒で、堤真一さんとも年齢が一緒だし…何か偶然が重なって。東宝の映画には、ゴジラとかいろいろで出ていたんですけど、『ALWAYS〜』の話が来たときは、まさかあんな大作になると思ってなかったんです。

撮っていたときもブルーバックで撮影していたので、堤(真一)さんと『これは後ろに何が映っているの?上野駅かな?』という感じで。最初はそんな風だったので、みんなわけがわからなくて、『これずっとブルーバックでしょう?』というのが多かったんです。

でも、日活にものすごく大きなセットを建てて商店街を作って。それで出来上がったら、あんなにすごい作品だったので、出られて本当に良かったと思いました。すごくうれしかったです」

――シリーズになって、そのあと2作作られましたね

「はい。(全部で)3本作られました。2007年と2012年に公開されて。うれしかったです」

2006年、映画「ダメジン」(三木聡監督)に出演。この作品は、働かずに生きていける方法を真剣に考えている“ダメジン”3人組、リョウスケ(佐藤隆太)、ヒラジ(緋田康人)、カホル(温水)の日々を描いたもの。3人は近所の老人に「ダラダラしたいならインドに行け」と言われ、インドに行くことを考えるようになる…という展開。

「三木(聡)さんの初監督作品でした。三木さんも小劇場時代から繋がりがあった『シティボーイズ』さんとかの横の繋がりでお互いに知ってはいたんです。だからあの作品は、企画の段階から参加していました。

最初のタイトルがちょっと放送できないようなものだったので、『ダメジン』になって。

三木さんは初監督だし、力も入っていて演出も結構厳しくて、本当に三木ワールド全開の作品で面白かったですね。ただ、あの作品はお蔵入りになりかけたんですよ。

2002年に撮ったんですけど、映画製作会社が潰れちゃって、公開は4年後2006年にようやくという感じで。よくある話で、撮影してまだ編集もしてない状態で会社が潰れてしまって…いろいろありますよね。

3週間ぐらいかけて贅沢に撮ったのにお蔵入りか…と思って。それが3年後くらいにようやく公開できそうになったんですけど、撮影したときに『ここは、あとでアテレコになります』って言われていたのももう忘れていて。アテレコ録りましたね、佐藤隆太くんと」

――諸事情で公開できなくなった映画もいっぱいありますから公開できて良かったですね

「本当にそうですよね。スキャンダルとかで問題になったり…みんなヒヤヒヤですよね」

■津川雅彦さんに「僕の誘いを断ろうとしたよね?って…」

2008年、温水さんは、津川雅彦さんがマキノ雅彦監督名義でメガホンを撮った映画「次郎長三国志」に森の石松役で出演。

「津川さんと初めて出会ったのは、役所広司さんと香取慎吾くんのドラマ『合い言葉は勇気』(フジテレビ系)でした。そのときに初めて気の弱い男の役だったんですけど、実は一番ひどい奴で(笑)。みんなに希望を持たせたのに最後は裏切る…というやつでしたけど、それはそれでやっていて面白かったですね。

それで津川さんが面白がってくれて。津川さんは、(明石家)さんまさんの舞台も見にいらっしゃったので、『この間はドラマでお世話になりました』って言って。

僕がさんまさんにいっぱいいじられているのをご覧になって、そのあと津川さんから食事に誘われたり、津川さんのお仲間たちがいっぱい集まる横浜の花火大会にも誘われて。『僕なんかが行っていいのでしょうか?』という感じだったんですけど、是非招待したいからと言ってくださって。

でも、誰も知り合いがいないし、人間国宝の方とかすごい顔ぶれだったので、すみっこの方でおとなしく飲んでいました。

それからしばらくしてLINEで連絡があって、津川さんの叔父さんであるマキノ雅弘監督の代表作で、清水の次郎長の話を中井貴一さんで撮るって言われたんですけど、僕は昔の次郎長映画はあまり見てなくて。

『何の役ですか?』って聞いたら『温水くんに“森の石松”の役やってもらいたい』って言われて。あまりに良い役だったから『いやあ、僕でいいんですか?』という感じだったんですけど、『温水くんに1回断られたよね?僕の誘いを断ろうとしたよね?快く引き受けてくれるものだと思っていたから僕はちょっとショックだったよ』って、亡くなる直前まで津川さんに言われていましたね。

その後、快く引き受けたんですけど、本当にいい役でした。でも、大変でした。いろいろご迷惑もおかけしました。ずっと吃音でうまくしゃべれなかったシーンとかも何回もNGを出してしまって。

最初は『ドンマイ、ドンマイ!はい、もう1回』って言ってくれていたんですけど、だんだん『日が暮れちゃうから、そろそろ決めようよ』ってなって来て。本当にやばかったらしくて、もう周りも空気が変わって来るんですよ。

あと、僕のいる長回しの立ち回りのシーンがあって。水にポンと落ちるのを長回しでずっとクレーンで撮っていたんですけど、僕が失敗するたびに、また後ろで立ち回りから始まるんですよ。ここは長回しで撮りたいからって。

いやあ、本当に迷惑をかけてしまいました。今でも見ると『ここは迷惑をかけたシーンだなあ』って思いますよ。津川さんはお亡くなりになるまで、すごくいろいろ言ってくれました。

『温水くんね、セリフはちゃんとからだに染み入るまで入れないとね。どんな状況でどんな現場になるのか。ここは長回しでいくかもしれないとかっていうのを想像してね』とか。

『僕も昔、どうせ現場に行ったら衣装に着替えるから、パジャマのままガウンを羽織って行く。マネジャーの車に乗って現場に行って、現場で初めてセリフを掘り始めて、メイクして現場でやろうとしたら、伊丹十三にそれを見透かされていてね。

そのセリフのときに、コーヒーをこうやって入れて、それでこうやって、そこのセリフのときに椅子に座って…って言われたんだけど、僕はセリフをさっき入れたばかりだから、動きが入ったらもうボロボロで。伊丹十三なにくそ!って。

それから、僕はもう絶対どんな状況になっても演出家に負けないようにしようと思った。だからね、温水くんもそれは肝に銘じて、これから役者人生を歩まないとダメだよ』って言われて。

本当に肝に銘じて、それからもう絶対に迷惑をかけないようにしようと思いました。もともとセリフはきちんと入れていくほうだったんですけど、『次郎長三国志』のときは、『こんな長回しの後ろで立ち回りも…』って、だんだん緊張してきて『もう1回、もう1回』ってなっちゃって…」

――「いけない」と思うとハマっちゃうんですよね

「そう、そうなんですよね。だから、そうならないために、役者という仕事はどんな状況でも、例えば、ここは雨が降りながらとか、ここはみんなでカレー食べながらのシーンになるので、カレー食べながらでもセリフが出るように…とか、そういうのは本当に意識していますね。それがやっぱりプロの仕事だと思ってやっています」

■歌って踊って、二丁拳銃で撃ちまくり…

映画「次郎長三国志」が公開された2008年、映画「伊藤の話」(秋原正俊監督)に主演。映画「GSワンダーランド」(本田隆一監督)では歌手・大河内宗雄役で歌を披露。DVD「ザ・プロローグ ぬくみ〜ず7」を発売。仲間由紀恵さんとのauのCMも話題に。

DVD「ザ・プロローグ ぬくみ〜ず7」では、温水さんが7つの短編に出演。それぞれ違う物語の序盤部分のみ全7話を収録し、インターネットとDVDの視聴者による人気投票で1位に選ばれた作品のみ完結編を撮影するという斬新なもの。温水さんは、気弱な俳優、伝説の殺し屋、時代劇のエキストラなどさまざまなキャラを演じた。

――後半の展開がわからないまま冒頭部分のみ撮影ということですか

「そうです。予告編だけを7本撮って、結局その中の1本『北京飯店』の完結編を撮りました」

――あれはすごく新鮮でした。温水さんが二丁拳銃を撃ちまくっていて

「ありがとうございます。あの当時、ジョン・ウー監督の『男たちの挽歌』が流行(はや)っていたので、ああいうのを僕にやらせてみたいという感じで。両手を横に上げてスローモーションで飛んで二丁拳銃を撃っていましたね」

――撮影はいかがでした?

「ものすごく気持ち良かったです。スローモーションで見たら、『こんなにカッコ良く撮ってくれている』って思ってうれしかったです(笑)」

――いろいろなことにチャレンジされていて、「大田クルーと温水洋一」のPV「マハラジャスーパースター」では、HIP−HOPを歌って踊って話題に

「あれは2006年でしたね。ちょうど42歳で厄年だったんですよね。僕はお話をいただいて面白そうだと思ったら、よっぽど無理だというものじゃなければ、基本的にやらせていただくので(笑)。

2007年は『ロス:タイム:ライフ』(フジテレビ系)、2008年は吉高由里子ちゃんと『トンスラ』(日本テレビ系)もあったので、かなり忙しかったですね」

――「タカトシ&温水が行く 小さな旅シリーズ」(フジテレビ系)も始まったのは、その頃ですか

「そうです。2007年に始まったんですけど、最初は特番で3カ月に1回くらいだったんです。当時『欧米か!』でブレイクして飛ぶ鳥を落とす勢いで大人気の『タカアンドトシ』と僕ですからね。『何でこの組み合わせなんだろう?』って思いましたけど、今年で18年目に入りました。

旅番組とかもいろいろお話をいただいていますけど『何で、俺?』というようなオファーもいただくようになりましたね(笑)。やっぱり、(明石家)さんまさんと一緒に2000年に舞台をやってから、この人バラエティーもやる人なんだと思ってくれるようになったみたいで。

その当時は、役者さんはバラエティー番組を断ったりしていたのですが、『バラエティーやるんだったら呼べるわ、番宣してくれるからさ』みたいな感じで。ドラマが始まる前に、『ごきげんよう』(フジテレビ系)とか、テレ朝のドラマだったら『徹子の部屋』、TBSのドラマだったら『はなまるマーケット』など、とにかく『何で?俺?』って思いながら、よくやっていました(笑)」

「BOSS」シリーズ(フジテレビ系)も始まり、バラエティー番組、ドラマ、映画、舞台に引っ張りだこに。次回は「BOSS」でも共演した西田敏行さんとのエピソード、ダニー・デヴィートの吹き替え、5月23日(金)に公開される映画「ゴッドマザー〜コシノアヤコの生涯〜」も紹介。(津島令子)