劇団「大人計画」の旗揚げ公演に参加し、舞台、テレビ、映画、CMなどで独特の存在感を放っている超個性派俳優・温水洋一さん。「竹中直人の恋のバカンス」(テレビ朝日系)、「BOSS」シリーズ(フジテレビ系)、映画「次郎長三国志」(マキノ雅彦監督)、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズ(山崎貴監督)などに出演。5月23日(金)に映画「ゴッドマザー〜コシノアヤコの生涯〜」(曽根剛監督)が公開される温水洋一さんにインタビュー。(※この記事は全3回の前編)
■引っ込み思案なのにモノマネでウケて…
宮崎県で生まれ育った温水さんは、小さい頃はからだが弱く引っ込み思案な子どもだったという。
「親が心配するぐらい引っ込み思案で、からだも弱くてすぐに風邪をひいたりする病気がちな子だったらしいです。ものすごい恥ずかしがり屋だったので、親に『ほら、みんな公園で遊んでいるからお前も行けよ』って無理やり外に出されたりしていました。
病気がちだったので、からだを鍛えるために小学校3年生から剣道の道場に無理やり通わされたんですけど、こっちはイヤイヤでした。3年間やりましたけどね。でも、それで風邪も引かなくなって」
――ご両親が剣道を習わせたのは正しかったんですね。お芝居に興味を持ったのはいつ頃からですか
「高校生になってからです。中学のときは恥ずかしがり屋だったので、人前に出るのも嫌だったんです。
高校のときに同級生から、『お前、教頭先生に顔がちょっと似ているからモノマネしてみろよ』って言われたんですよ。ちょうどテレビでモノマネブームだったりしたので。だから教頭先生のモノマネとかも、自分から積極的にやる方ではなく、『ちょっとやってみてよ』って言われてやってみたら『似てる、似てる!その感じでしゃべってみて』みたいな感じで(笑)。
自分で積極的に出るわけじゃないですけど、またそうやって言われたときのために、家で密かに鏡を見て練習したりしていましたね(笑)。だんだんそうやって人に喜んでもらったり、笑ってもらえるようになって。
そうすると他のクラスからも女の子が見に来たりするんですよ。それで、いやいやながらやっているんだけど、人に喜んでもらえたらうれしいという気持ちが芽生えてきて。
演劇というか、お芝居にはまだその時点では興味はなかったですけど、高校1年生のときに、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)という番組が始まったので、そういうひょうきん者がウケるみたいな感じだったんですよね。
だからクラスでもみんなバカをやったりして…そういう時代だったので、僕もだんだん友だちとコントを作ったりするようになって、放課後のホームルームが終わった後ぐらいにみんなでやっていましたよ。ギターを弾いたりしてね(笑)。
それでも内心はすごい引っ込み思案で恥ずかしがり屋だったんですけど、僕の後ろに座っていた女の子のことが気になっていて。その子が美術部の子で、美術部の隣の教室で演劇部が稽古していたので、『演劇に興味ない?』って彼女が聞いてきたんですよ。
あの当時の演劇部って男の子が少なかったんです。今はもう大人気で、みんなやっていますけど、あの当時は女子が多くて男の子はあまりいなかったんです。だから文化祭の発表会やお芝居の演劇の発表のとき、大道具を作ったりするのにいつもクラスや他のクラスから臨時で借りてきたりとか、人を集めるのに苦労しているというのを聞いたんですよね。
僕が想いを寄せているこの子が言うんだったら、ちょっとやってみようかなって思って(笑)。それが高校2年の終わりぐらいだったんです。高校3年になったら受験勉強をしなきゃいけないのに、今から演劇部に入るなんて何を考えているんだという感じなんですけど、高校2年の終わりに演劇部に入って。
演劇部の帰りに、美術部に彼女が絵を描いているところを見に行ったり、一緒に帰ったりして。その子のおかげで演劇部に入ったんですけど、ハマってしまって(笑)。
発声練習から早口言葉、エチュードで即興芝居を作ったり…結構ちゃんとやっている演劇部だったので、いろいろ教えてもらいました。
それで、別役実さんとか、つかこうへいさんの本が学校の部室にあったので読んでみたら、さらにどんどんハマっていって。3年生の文化祭のときに、その町の大きな市民会館で軽音楽部とか、朗読などいろいろあって、ラストが演劇の発表だったんですよ。
僕の役は村人Bとかだったんですけど、ウケましたね(笑)。
当時は、やっぱり面白いことをやっている人が人気者になれたんですよ。村人の衣装は、袴みたいなズボンで一応作ったんですけど、それが破けてコケちゃって。わざとやったわけじゃないんですけどね。そうしたら、すごいウケちゃって、それで『エヘヘ』みたいな感じで(笑)。
最後のカーテンコールで、舞台挨拶をしている途中なのになぜだかわからないけど緞帳がワーッと降りてきてしまって。まだ喋っているのに緞帳が降りてきちゃったから、俺だけがバッと(緞帳の前に)出てきたらすごい大ウケだったんです。
学校の先生からも、『お前面白いな』とか言われたので、大学に行っても演劇部に入ろうかな…みたいな思いが強くなりました」
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■浪人中は親の仕送りで舞台三昧■浪人中は親の仕送りで舞台三昧
演劇にハマっていった温水さんは演劇の道に進みたいと思ったが、両親や先生に反対されたという。
「母親は高校の時の演劇の発表を見ているんですよ。父親は『お前みたいな引っ込み思案で恥ずかしがり屋が通用するわけがないだろう』って反対されました。
学校の先生にも、『大学に行って演劇、例えば日大の芸術学部とか演劇学科をちょっと考えているんですけど』って言ったら、『今からお前がそんなことを言っても相当厳しい世界だぞ』って反対されて。結局大学はそういうところには行けなかったんです。
実は、僕は東京で2浪して予備校とかにも行っていたんですけど、初めて東京に出て来たときに『東京乾電池』とか『夢の遊眠社』の舞台を結構見ていましたね、親の仕送りで(笑)。勉強しないでよく見に行っていました。
たまたま親戚が、昔フジテレビが曙橋にあったときにその真ん前で中華料理屋さんをやっていて、僕がアルバイトをさせてもらっていたんです。
それで、夜フジテレビにどんぶりをさげに行ったりして。あの当時、『オレたちひょうきん族』を局の周辺
でよくロケしていたので、『高校のときによく見ていた(明石家)さんまさんがあそこで撮影している』って。ますます芸能の世界に憧れるというか。
そういうのが見られるので、そんな感じで夜は親戚の店でバイトばかりしていましたね。
その当時『ドリフの大爆笑』も撮っていたので、『志村けんさんの出前に行くか?』って言われて『はい、行きます!』って行ったりね(笑)。
出前を持って行ったら、マネジャーさんがお金を払ってくれたんですけど、カーテンの奥から志村さんの声が聞こえるんですよ。そういうので憧れもだんだんだんだん膨らんでいきましたね」
――大学は愛知県に行かれたのですか
「そうなんですよ。東京に憧れて行ったのに、2年間も浪人していたので、ちょっといろいろ見失っていたときでしたね」
――芸能界に進もうという思いはまだなかったのですか
「漠然とはありましたけど、現実的じゃないじゃないですか。東京でオーディションを受けに行ったりとか、どこかに弟子入りさせてもらうような勇気もなかったので愛知の大学に行って。
もちろん大学のサークルでもどっぷり演劇にハマっちゃうんですけど。何カ月かに1回、高速バスに乗って東京まで出て来て、友だちの家に居候させてもらって、そこでまた舞台を見まくったりしていました」
――劇団「大人計画」には、旗揚げ公演から参加されていたそうですね
「はい、そうです。最初の創設メンバーではないんですけど。たまたま昼間友だちと見に行ったお芝居があまり面白くなくて、飲もうかという話になって歌舞伎町の居酒屋で飲んでいて、そのときに『ぴあ』という雑誌を持っていて。
次はどの舞台を見ようかって話していたら、その日22時から『タイニイアリス』という50人ぐらいしか入らない劇場で、1日限りの実験公演のレイトショーがあるというので、それを見に行ったんですよ。そのときにそこで松尾(スズキ)さんと出会って。
だから、もしそれに行かなかったら、今の自分はないという感じですね。たまたま新宿で飲んでいて、『ぴあ』を持っていて、その日にレイトショーがあって…。
それから愛知に戻るんですけど、その折り込みチラシの中に、(大人計画が)『9月に旗揚げする』というチラシが入っていて。ずっと迷っていたんですけど、愛知に1回戻って、3カ月ぐらいたってから、9月に公演をやるというので、8月にまた東京に行って。
『この間すごく面白かったから、ここにちょっと電話してみようかな』って友だちに相談したら、『電話した方がいいよ』って言われたので『まだ募集していますか?』って電話したんです。そうしたら松尾さんに『明日来て』って言われて。
当時はまだ人数も少なかったので、オーディションというのもなくて、今までの経歴とかを聞かれて。そのときは劇団員は女性が3人、男が2人の5人しかいなかったので、『とりあえず様子を見るから明日来て』って、次の日からもう普通にズルズルと入っていました(笑)」
――それは大学何年生のときですか
「大学4年生のときです。9月の旗揚げ公演の次の公演が3月だったので大学に戻って卒業しました。まだみんなアルバイトをしていた時期だったので、公演が終わったらまたアルバイトに戻るという感じで。
劇場を借りるのにお金がかかるから、公演も4日間ぐらいしかやらなかったですね。火曜日に劇場入りして仕込んで、水曜日に通し稽古、木金土日に公演という感じでした」
■全裸になったり、生のサンマを入れたストッキングを被ったり…
温水さんは、「大人計画」の舞台がきっかけで、他のプロデュース公演などにも出るようになり、結構過激なことにもチャレンジしていたという。
「『大人計画』のお芝居を、お亡くなりになった宮沢(章夫)さんという『シティボーイズ』の演出をされていた方が見に来て『ターザン』という雑誌のコラムに『すごい面白かった』と書いてくれたんです。
その方は演劇とかに影響力があったから、そのコラムを見てすぐに『WAHAHA本舗』の村松利史さんが見に来たんですよ。それが初めての公演で、2回目の公演も村松さんが見に来てくれて、面白いってなって。
それで村松さんがやられていた『人生の意味』という、客いじりはするわ、全裸になるわというようなゲテモノの危ないシリーズに僕も出るようになって、全裸にされちゃったり…。田口トモロヲさんとか、いろんな人がいっぱい出ていて、今だったら絶対に出来ないようなことをやっていましたね(笑)。
オムニバスの舞台だったので、ストッキングを被って出てきて、その中に生の生きたサンマをたくさん入れて、それをワーッと振り回してサンマの水しぶきが客席に飛んでギャーギャー言われたり…。そんなことをやっていたのを竹中直人さんが見に来てくれて、『あいつは誰だ?』と。
それで、すぐに竹中さんの舞台に呼んでいただいて、そのあと映画『119』(竹中直人監督)で、それから『竹中直人の恋のバカンス』(テレビ朝日系)でしたね」
――「竹中直人の恋のバカンス」は片桐はいりさんやふせえりさんも一緒で結構ブラックな笑いでしたね
「はい、そうです。かなりブラックでした。今だったらちょっとできないですね。でも、あの頃は竹中さんもとがっていたので、構成作家がいたんですけど、『つまんねえな』って即興で作っちゃうんですよ。
竹中さんとかふせ(えり)さんは慣れているからすぐにできちゃうんですけど、僕と片桐はいりさんは俳優じゃないですか。だから即興で…というのは大変でした」
――でも、鍛えられますよね
「はい、鍛えられました。みんなものすごく面白かったです。『温水をフィーチャリングしたい』という構成作家の方がいらっしゃって、僕のために“いじめられるサラリーマン”とか、そういうキャラをどんどん作ってくれたんです」
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■ゴールデンタイムの連ドラ初の大役は誘拐犯■ゴールデンタイムの連ドラ初の大役は誘拐犯
1998年、村松利史さんらと現在の事務所を創立。同年、「ハルモニア この愛の涯て」(日本テレビ系)でゴールデンタイムのドラマに出演。中谷美紀さんを誘拐する犯人役を演じた。
「このドラマの監督が堤幸彦さんで、よく小劇場とか見に来てくれていたんです。すごく好きだったので、よく一緒に飲みに行ったり、カラオケに誘ってもらったりしていました」
――あの頃は舞台の方をテレビや映画に…ということが多かったですね
「そうですね。ちょうどその頃でした。そういうのが流行り始めて探していましたね。
深夜のドラマも今では当たり前にやっていますけど、当時は始まったばかりで、11時台のドラマに呼ばれたりしていました。
『ハルモニア〜』の前にも、深夜の怖いドラマに何本か呼んでもらっていて、それでゴールデンが初めてだったので、『うわーっ』と思ったけど、僕の役もちょっと危ないやつで。中谷美紀ちゃんを誘拐する役で。その後、堤さんはTBSで中谷美紀ちゃんと『ケイゾク』を撮りますからね。僕も呼んでいただいて。
堤さんは『トリック』シリーズ(テレビ朝日系)もありますね。『トリック劇場版2』にも呼んでいただきました。堤さんは小劇場の人をいっぱい使っていましたよね、佐藤二朗さんとか。
あと、僕は(明石家)さんまさんと出会ったのが大きかったなあ。僕は98年頃に所ジョージさんと『ゼナ』(大正製薬)というドリンクのCMをやっていて、これがシリーズで3本ぐらい続いたんです。
それを見たさんまさんが、ディレクターから『今度やる舞台にこの人どうでしょう?』って聞かれたら、『ああ、所さんと出ているやつやな。ええやんか』って言ってくれて、それで2000年にさんまさんと舞台で一緒になって、それからバラエティー番組に呼ばれるようになったんです。
さんまさんとの舞台公演の期間中に『さんま御殿の話がきた』って言われて。舞台が日曜日にパルコで終わって火曜日に収録。もうひな壇に座っていたんですよ。
『どうしよう?どうしよう?』と思ったんですけど、さんまさんが『大丈夫やで。俺が何とかいじるから、お前は座っているだけでええわ』って言ってくれて心強かったです。結構ドキドキでしたけど(笑)」
バラエティー番組でも注目を集めた温水さんは、俳優としても映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズ(山崎貴監督)、映画「次郎長三国志」(マキノ雅彦監督)、「BOSS」シリーズなど話題作に次々に出演。個性派俳優として広く知られていく。次回は撮影エピソードなんども紹介。(津島令子)
※温水洋一(ぬくみず・よういち)プロフィル
1964年6月19日生まれ。宮崎県出身。
劇団「大人計画」、「WAHAHA本舗」の舞台に出演。「竹中直人の恋のバカンス」にレギュラー出演したことがきっかけで多くのテレビ番組に出演することに。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズ、映画「ダメジン」(三木聡監督)大河ドラマ「真田丸」(NHK)、DVD「ザ・プロローグ ぬくみ〜ず7」、「タカトシ&温水が行く小さな旅シリーズ」(フジテレビ系)、「温水洋一と行く ラーメン完食旅」(GAORA SPORTS)などに出演。5月23日(金)に公開される映画「ゴッドマザー〜コシノアヤコの生涯〜」では天使役を演じている。