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2024年2月25日 10:00

パームスプリングスでシナトラの「マイ・ウェイ」を熱唱 米国6600キロ第24回

2024年2月25日 10:00

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 カラオケで米国人を喜ばすにはどうすればいいか。恥ずかしがらずに歌い上げるしかない。

(テレビ朝日 デジタル解説委員 名村晃一)

 ニューヨークからロサンゼルスまで、途中いくつもの町に立ち寄りながら6600キロを走破して見えた米国のいま。毎週土曜日と日曜日に配信しています。

2日連続のすし 日本人なら付けない店名にウキウキ

ハッピースシの創作巻きずし。魚とアボカドは定番の組み合わせだ=筆者撮影
空腹を揚げ物で満たす=筆者撮影

 旅14日目の10月17日の宿は、カリフォルニア州パームスプリングスのダウンタウンにあるスリー・フィフティー・ホテルだ。部屋数10の小さなブティックホテルで、プールを囲むように各部屋がある。1950年の創業だが、2017年にリノベーションし、2023年にビバリーヒルズのホテルグループ、カークウッド・コレクションズが買収した。

 ダウンタウンのメインストリートからひとつ山側に入った道路沿いなので周辺は静かだ。チェックインして中に入ると、夕方にもかかわらず、他の部屋の客が泳いだり、プールサイドで本を読んだりしてくつろいでいた。「何もしない時間」を楽しんでいるようだった。

 空腹で、とにかく何か食べたかった。1ブロック歩いて華やかな道に出ると、間もなくハッピースシというすし店があったので、ふらっと入った。日本人ならこういう名前を付けそうもない店名のすし店は楽しい。前日のアリゾナ州ユマに続き2晩連続のすしとなった。

小舟皿の文字に苦笑 想像超えるペースで「和食市場」拡大か

プラスチックの料理皿に書かれた「おいしい」の文字。和食に使う皿も日本人以外の発想で作られ、広く流通している=筆者撮影

 創作巻きずしのほかに、豆腐の天ぷらとギョーザを注文した。料理の皿が小舟のような形をしていたが、ユマのニンジャスシでも同じ皿が使われていたことを思い出した。食べ進めると、小舟皿には「おいしい」という日本語がプリントされていた。

 日本人の発想ではこうは作らないだろうと、皿を見て苦笑いしてしまった。日本人以外のオーナーが経営するすし店が全米に広がり、店で使われる料理皿も各地に流通している。「和食市場」は日本人が考えている以上に早いペースで拡大しているようだ。

「いざ出陣」米国人の前でカラオケを歌いたい

人気カラオケ店のレトロルーム・ラウンジ。意気込んで行ったが、まだ開店までに時間があった=筆者撮影

 パームスプリングスでやりたいことがあった。米国人の前でカラオケを歌うことだ。腹を満たして、態勢は整った。「いざ出陣」と前もって調べておいた店に出向いた。

 カラオケは米国でも浸透している。大都市でなくてもカラオケバーは多く存在する。英語でも「Karaoke」と記すが、「カリオキ」と発音する米国人は多い。

 店名はレトロルーム・ラウンジ。パームスプリングスの人気店で、地元住民や観光客が集う。

 訪れた時間が早過ぎた。午後8時のオープンまで、まだ40分ほどあった。開店準備に忙しいランニングシャツ姿の男性スタッフに「もう少し待ってくれ。でも、今日は客で一杯になるぞ」と言われたので、近くのメキシコ料理店のバーでマルガリータを飲んで勢いをつけ、遅くならないように再び訪れると、既に常連客らしき人たちが歌い始めていた。それでも何とか席は確保できた。

ニューヨーカーの喝采を浴びたあの感動をもう1度

レトロルーム・ラウンジの男性スタッフ(写真中央)はランニング姿。自らも歌って店を盛り上げる=筆者撮影

 スマートフォンのアプリで歌いたい曲をリクエストする。アプリをダウンロードして指定した曲は、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」だ。小学生の時、小遣いをためてレコードを買った。少しためて歌うシナトラのくせまで知り尽くしている。

 以前、ニューヨークのバーで歌いニューヨーカーの喝采を浴びた。午前1時ごろのことだったので、ほとんどの客が深酒をしていたため、どんな歌でも上手に聞こえただけだろうと思ってはいるが、どこかでもう一度、米国人に自分の「マイ・ウェイ」を聞かせたかった。

 それがたまたまパームスプリングスになったのだが、実はパームスプリングスはシナトラと縁が深い。

きっかけはゴシップ記者から逃げるため セレブ集う地に

パームスプリングスのホテルで開かれたフランク・シナトラ(左)の65歳の誕生パーティー。多くのハリウッドスターが集まった=1980年12月12日、AP/アフロ

 カリフォルニア州内陸部の砂漠地帯にあるパームスプリングスには、ネイティブアメリカン(先住民)が居住していたが、18世紀から白人が往来を始め、19世紀後半に定住した。雨が少なく温暖な気候であるため、1900年代には病人の療養地として知られるようになり、1930年代からはハリウッドスターの保養地となった。

 当時、米国は大恐慌の只中だった。メディアは雑誌をより多く売るためにハリウッドスターのスキャンダル取材に血道をあげた。ゴシップ記者たちは安月給だったが、交通費は全額会社負担だったため、どこまでもスターを追いかけた。ただ、交通費の支払いにはロサンゼルスから100マイル(約160キロ)の地点まで、という条件が定められていたという。

 ハリウッドスターたちはここに目をつけた。パームスプリングスのロサンゼルスからの距離は107マイル(約172キロ)だ。ゴシップ記者が自由に取材に来られないパームスプリングスを「遊び場」にした。

 メアリー・ピックフォードやリリアン・ギッシュらサイレント映画時代の大女優だけでなく、ジョン・ウェイン、ビング・クロスビー、ボブ・ホープら多くのスターがパームスプリングスで羽を伸ばした。

下手でも平気 米国人を喜ばすには恥ずかしさ捨てて

歌っている筆者(左から2人目)。一緒に飲んだ客が撮影してくれた=レトロルーム・ラウンジで

 シナトラは1940年代からパームスプリングスを度々訪れ、その後、豪邸を建設し居住した。訪れたレストランで居合わせた客が誕生日だと知ると「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」を歌って祝い、愛読していた地元紙「デザート・サン」に困っている住民の記事が掲載されれば、そこに行って寄付をした。

 シナトラを慕う歌手や俳優が、次々にパームスプリングスを訪れるようになり、セレブが集う今のパームスプリングスの姿が確立されたとされる。シナトラを「ミスター・パームスプリングス」と呼ぶ人は多い。

 「マイ・ウェイ」を歌い始めると、満員になった店内のかなりの視線がこちらに向いたのを感じた。一緒に口ずさむ客もいた。4分35秒を歌い切ると想像以上の拍手が起きた。

 上手、下手にかかわらず、恥ずかしがらずに歌うことが、米国人を喜ばす唯一のコツだと確信した。

  • パームスプリングスのダウンタウンを徒歩で移動
  • ハッピースシの創作巻きずし。魚とアボカドは定番の組み合わせだ=筆者撮影
  • 空腹を揚げ物で満たす=筆者撮影
  • プラスチックの料理皿に書かれた「おいしい」の文字。和食に使う皿も日本人以外の発想で作られ、広く流通している=筆者撮影
  • 人気カラオケ店のレトロルーム・ラウンジ。意気込んで行ったが、まだ開店までに時間があった=筆者撮影
  • レトロルーム・ラウンジの男性スタッフ(写真中央)はランニング姿。自らも歌って店を盛り上げる=筆者撮影
  • パームスプリングスのホテルで開かれたフランク・シナトラ(左)の65歳の誕生パーティー。多くのハリウッドスターが集まった=1980年12月12日、AP/アフロ
  • 歌っている筆者(左から2人目)。一緒に飲んだ客が撮影してくれた=レトロルーム・ラウンジで