倒され踏まれ…地震後の群集事故 “人口4倍増”東京でどう防ぐ【関東大震災100年】[2023/09/01 18:00]

「助からんと眼も眩んで押し寄せ来るに行逢ひ、橋の上に衝突して、押潰され踏み倒され、橋より落ちて、大河に沈むもあり、欄干に押付けられて絶息するあり、宛然白兵戦のそれに似て、物凄しとも恐ろしとも更に形容の言葉もなく、此處に命を殞(おと)すもの又幾許(いくばく)なるを知らない」
(「関東大震災写真帖」出典:国立国会図書館ウェブサイト)

関東大震災の3カ月後に出版された本に残されていたのは、地震でも、火事でも、津波でもない二次現象の犠牲者の目撃談だった。

100年前に起きたとされる「群集事故」は、首都直下地震でも起きる可能性があると専門家は指摘する。どう行動すれば自分自身に降りかかる危険を回避できるのか取材すると、判断次第で多くの人の命を奪う危険性があることがわかった。
(テレビ朝日報道局社会部災害担当 島田直樹)

■100年前にも発生していた「群集雪崩」

100年前の「群集事故」は、大震災の大火によって引き起こされた。1923年9月1日は台風の影響で、東京でも強風だった。昼食の準備で使用していたかまどの火などが風に乗って広がり、人々は火災から逃げた。しかし、適切な場所に逃げることができなかったため火災で死亡した人が多かったといわれている。冒頭の体験談は現在の東京・江東区の越中島から火に追われて月島方面に逃げようとした人たちが相生橋に差し掛かったところ、対岸の中央区・佃から逃げてきた人たちと鉢合わせた場面である。

現代語訳するとこうなる。「助かろうと目がくらんで人々が押し寄せ、橋の上に衝突し、押しつぶされ、踏み倒され、橋から落ちて川に沈む人もいた。橋の欄干に押し付けられて息絶えた人がいた。さながら白兵戦に似て、ものすごいとも恐ろしいとも形容する言葉がなく、このように命を落とす人は他にあまり知らない」

関東大震災では群集事故による死傷者について正式な記録は残っていないが、完成したばかりの旧・丸ビルや、横浜・中区の吉田橋の上などでも群集事故が起きたという目撃談がある。

これらの目撃談について東京大学 廣井悠教授は「関東大震災当時は今のように避難計画もなく、避難場所は指定されていなかった。人々が思い思いに逃げる形で移動して人が集中して密度が高まって群集事故が起きたとみられる」と指摘する。


■昼間人口は100年で4倍以上 都市構造が抱える雑踏リスク

現在の上野駅前で撮影された写真には数えきれない人が家財道具を持って避難している様子が収められている。今から100年前の東京府の人口は400万人、交通手段も発達しておらず隣県から通勤する人は多くなかった。

一方、現在の東京都の人口は約1400万人。さらに平日昼間には多くの人が関東近郊から通勤・通学で流入し、1675万人(2020年10月)が東京で過ごしている。平日の昼間ならば100年前の人口の4倍以上がいる形だ。

廣井教授は「関東大震災に起きなかった現象」として「地震の揺れで電車が止まって徒歩で一斉に帰宅するようになると、多くの過密空間が歩道で発生する可能性がある」と群集事故のリスクを指摘する。

このように交通機関がマヒして家に帰ることができない人を帰宅困難者と言う。実際に廣井教授らが算出したシミュレーションでは平日昼間に首都直下地震が発生し、帰宅困難者全員が一斉に徒歩で帰宅すると、1時間後には1平方メートルに6人以上が密集する歩道が多く発生する。1平方メートルは一般的な公衆電話ボックスと同程度であることからも身動きが取れなくなるのは容易に想像ができる。

過密空間が発生することで起きるのが群集事故だ。昨年11月に韓国・梨泰院で起きたハロウィンの事故で159人(関連死含む)が死亡したのは記憶に新しい。また、2001年の兵庫・明石市の花火大会では歩道橋に見物客が殺到し11人が死亡、183人が重軽傷を負った。

将来起きる首都直下地震でこのような群集事故を防ぐことが大事だと思い、廣井教授に帰宅困難者対策の取材を申し込んだ。しかし、廣井教授は「帰宅困難者の問題は一般的に、群集事故対策みたいなもので語られることが多いが、私は(帰宅困難者に付随する)別の被害対策の方が重要だと思う」と指摘する。

■群集事故だけではない…無理な帰宅で助かるはずの命を奪う可能性も

2011年の東日本大震災では東京の公共交通機関は当日中にほとんど復旧せず、およそ352万人が帰宅困難者となったと推計されている。実際にターミナル駅などに人が集まり混乱も見られたが、群集事故は起きなかった。

廣井教授らが首都圏の帰宅困難者に行った調査では、東日本大震災当日に帰宅できた人の84%が今後同じような状況になっても「自宅に帰る」と答えている。だが、「東日本大震災の時は大丈夫だったから」という経験をよりどころに首都直下地震で同じ行動をすると「2次被害につながる」と廣井教授は警告する。

では、東日本大震災と首都直下地震ではどのような違いがみられるのか。
廣井教授は東京での帰宅困難者の状況について「東京は震度5強なので都市は壊れていないし、帰った人の数も一斉帰宅と比べると多くなかった。そういう意味では東京の帰宅困難現象においては(東日本大震災は)『帰宅困難体験だった』という風に思う」と回想する。

一方、震度6以上となる首都直下地震が起きると、建物やブロック塀の倒壊で歩道を歩けなくなると想定される。そうすると横断歩道上で帰宅困難者は身動きが取れなくなり車道に大量の人があふれ出ることも考えられる。さらに交通機関の復旧が見込めない場合は無理をしてでも車で帰宅困難者を迎えに行く家族も出るだろう。このような車道の混乱について、廣井教授の研究では歩行者が多いと車の移動速度が遅くなり、都心の幹線道路で時速3キロ未満のノロノロ運転が起きると分析結果が示された。

廣井教授は「車道の多くで大渋滞が起きるということは、消防車も救急車も動けないということを意味するので、助けられるはずの命が助けられない、消せるはずの火災が消せない」「帰宅困難者の問題は一般的に、群集事故対策みたいなもので語られることが多いが、私は別の被害対策の方が重要だと思っていて、『車道空間を優先順位の高い活動に譲りましょう』ということをしないといけない」と警鐘を鳴らす。これが廣井教授のいうもう一つの被害対策だ。

首都直下地震では家に帰ろうとした一人ひとりの行動が、多くの犠牲者を生んでしまうかもしれない。そのような悲劇を生まないために廣井教授は「(車で)迎えに行かなくてもいい環境をどう作るか、帰らなくてもいい環境をどう作るか、環境作りが大事となる」と話す。


■帰宅困難者を受け入れる一時滞在施設が1000カ所以上

こうした指摘を受けて、官民が協力した環境づくりが進んでいる。

帰宅困難者が発災後72時間滞在できるようにする施設を一時滞在施設という。東京都では一時滞在施設の確保を進めていて、今年1月時点で1217カ所、約45万人分が確保されている。その一時滞在施設の1つ、高層複合施設「渋谷ヒカリエ」では2500人の帰宅困難者の受け入れを想定している。隣接する渋谷駅の近くでは1平方メートルあたり6人以上が密集する過密空間が起きる場所もあると想定されている。
多くの人が行き交うビルの中には備蓄倉庫があり、食料のほか、簡易ベッドや寝袋、簡易トイレが大量に積み上げられていた。

渋谷ヒカリエの管理担当 立川龍之介さんは「乳幼児のお客様も多いので液体ミルクや哺乳瓶、おむつなど用意している」と施設ならではの準備を明らかにした。

一方で、「どの施設も同様だが、帰宅困難者の一時滞在施設として経験が豊富ではない、地震がいつ来るかわからない中で万全な準備ができているとは限らない。そんな中でも考えられる準備をしたい」と話す。

首都直下地震が起きた場合に人は平静でいられると限らない。パニック状態が一斉帰宅を生み、雑踏や大渋滞を起こし、群集事故や大火災などにつながることも考えられる。

廣井教授は「地震が発生しても自分の家を安全にしておく、安否確認を家族と共有できれば無理して危険な中帰ることはない」「事前にどこに避難すればいいかどう逃げればいいかを確認することが必要」と事前の防災対策を呼び掛ける。

100年前に関東大震災が起きた9月1日は「防災の日」。改めて、首都直下地震が起きたらどのような行動をとるか考えて家族や職場で話し合う、そんな「防災の日」にしてほしい。

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