「被災地で性被害起こしたくない」女性医師の覚悟 能登半島地震の取材で見た支え合い
[2024/03/01 17:30]
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津波で自宅を流された女性は言った。
「泣いていても何も進まない、家が戻ってくるわけじゃないんです」
記者になって初めての被災地取材。自分に何ができるのか、何をすればいいのか?
考えながら取材を続ける中で出会ったのは、被災しても真っすぐ前を見つめる女性たちだった。
「被災地で性被害を起こしたくない」。女性医師は、そんな思いで被災地を駆け回っていた。
(テレビ朝日社会部 小俣茉央)
■「お手製セット」で女性支援…避難所を駆け回る女性医師
コンパクトな赤い車から出てきた白衣にジャンパーを羽織った女性。
根上昌子さん(57)。石川県七尾市にある「ねがみ みらいクリニック」の医師だ。
避難所を支援していると聞いて取材を申し込み、午後1時に待ち合わせていた。
根上さんは、私に向かって元気よく挨拶すると、こちらが返事する隙も与えず、大きい段ボールを抱えずんずんと進んで行った。
向かった先は、きょう初めて訪れるという、小学校に併設された避難所。
避難所の扉を開けながら明るく元気な声で中にいる人たちに声をかける。
その様子だけで根上さんの温かい人柄が伝わってきた。
ここは何人くらいの女の人おるけ?」
根上さんは能登半島地震の発災以来、クリニックでの診療の合間を縫って避難所を回り、医療面の助言をするとともに、女性には手ぬぐいで包んだ「お手製のセット」を配っていた。
お手製セットの中身は、「ウェット綿棒」、「体拭きシート」、「携帯ビデ」、「保湿クリーム」など女性が避難所生活で必要になるグッズ。
それに加えて「笛付きの防犯ブザー」を渡して、1人で行動しないよう注意を呼びかけていた。
女性たちに「お手製のセット」を渡しながら、根上さんは声をかける。
この笛付き防犯ブザーを吹いたら発見してもらえるから」
避難所の女性 「そうなの、私危ないと思いながら、行っとるんよ」
防犯ブザーは身動きできなくなったときに発見してもらうためだけではない。
平気で入ってくる人もいる。絶対持っていて」
根上さんはこの日、2つの避難所を車で回った。
避難所をあとにするとき、みんなから根上さんに「ありがとう!」という言葉と共に拍手が送られていた。
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■「手助けできるならしなくちゃ…」女性医師の思い■「手助けできるならしなくちゃ…」女性医師の思い
避難所を駆け回る根上さんは、自身も被災していた。
そう言って笑う根上さん。七尾市にある自宅には、ひびが入っていた。
それでも能登の人のために毎日、精力的に動いている。その原動力が私は気になった。
自身も大変な状況なのに、どうしてそこまで人のために動けるのか。
女性の性被害とか、子どもへのいろんな被害が起こるってわかっているんです。
なぜか日本ではそのことは声には出されない」
「今回の震災ではそういうことが起きてほしくなくて、何をしたらいいだろうと
考えたんです。声を出して、みんなに防犯ブザーを配って…」
自分と患者さんが住む能登で、女性の性被害が起きてほしくない。
それが根上さんを動かす原動力の1つだった。
実際、1月下旬に輪島市では避難していた車の中で、10代の女性にわいせつな行為をしたとして19歳の自称・アルバイト従業員が逮捕される事件が起きた。
この話をすると、根上さんは少し黙ったあと、
何かしら手助けできるなら、しなくちゃいけないなと思ってやっている」
能登では、数が少ないという「女性医師としての覚悟」が垣間見えた瞬間だった。
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■クリニック2階に休憩所 “人の繋がりができる場所を”■クリニック2階に休憩所 “人の繋がりができる場所を”
根上さんは避難所を回るだけでなく、地震発生翌日の2日から「ねがみみらいクリニック」の休診日に、2階を「女性用の休憩所」として開放している。
近くに住む女性たちが訪れ、気兼ねすることなくくつろぎながら、断水や避難所生活での悩みや不安を共有しているという。
クリニックでは、石川県外から届けられた生理用品やサプリメントなどを無料で配布もしている。
なぜ休憩所として開放したのか。
人の繋がりができる場所になったらいいなと思っています」
■「1月1日で泣くのはやめました」 29歳女性の決意
私が根上さんにインタビューしていると、「え?撮影中?」と女性が休憩所にやってきた。
根上さんとは、小学校のころから20年以上の付き合いだという山田さん(仮名、29歳)。山田さんは、休憩所の中に設けられた自習スペースで勉強している。
「津波で家が全部のまれちゃって、教材は全部流されちゃったんですけどね。
だから今は学校から教材を借りて勉強しています」
七尾市の北側にある能登町の白丸地区にあった山田さんの自宅は津波にのまれてしまったという。(※能登町白丸地区には津波が4.7メートルの高さまで到達)
あまりのことに言葉を失っていた私に山田さんは笑いながら話してくれた。
「今まで聞いたことない音とか、車のサイレン、家がバキバキと崩れていく音も耳に残ってて」
「その時は涙が止まらなかったけど、泣いていても何も進まない。
家が戻ってくるわけじゃないんです。じゃあ、何ができるのかなって。自分ができることを。今は目の前の勉強を頑張ろうと」
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■それぞれ被災した女性2人…前を向いて■それぞれ被災した女性2人…前を向いて
山田さんの家族は今も避難所に残るが、山田さん自身は勉強するために能登町を離れた。
家族からは「あんたは試験のことだけを考えて」と背中を押されたという。
そんな中、国家試験に向けて、“理学療法士になるという夢”を後押ししてくれた根上さんのところで勉強するために休憩所を訪れていたのだ。
いずれ先生のお手伝いになればいいなと思っています」
この話を横で聞いていた根上院長は微笑みながら、目にはうっすらと涙を浮かべていた。
そして、取材者として話を聞いていた私までも、涙が溢れていた。
山田さんは「何で2人が泣くの!」と笑っていた。
私は、「ねがみみらいクリニック」の2階の休憩所は、まさしく根上さんが目指していた「お互いが支えたり、支えられたりしながら、人の繋がりができる場所」だと感じた。
帰り際、私は休憩所を利用した人が何でも自由に書き込んでいいノートをのぞいた。
そこには、山田さんの書き込みがあった。
初めての被災地取材に、何ができるのか、何をすればいいのかと臨んだが、被災者から教えられることばかりだった。
「そうだ。こうした被災者の言葉、思いを伝えていけばいいんだ」