「輪島塗と同じ。壊れたら直せばいい」廃業を覚悟した漆器店社長に父は 輪島朝市火災
[2024/03/18 18:00]
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焼け落ちた朝市を見たとき、廃業しかないと思った。
輪島市で半世紀続く輪島塗の「大徹八井漆器工房」2代目、八井貴啓さん(54)は覚悟した。
能登半島地震で壊滅的な被害を受けた観光名所「輪島朝市」通りの東端に建つ店舗兼住宅の木造家屋は、かろうじて火災を免れた。だが、南に2キロ離れた工房は全倒壊。子どもの頃から育った朝市も変わり果てた姿となった。しばらく涙も出なかった。
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「人間というのは本当に想像を超えた、理解しがたいものをみると、なんの感情もなくなるんでしょうか」
地震が起きたときは、工房から自宅に戻る途中で車に乗っていた。突然の揺れの直後、ブロック塀がガシャーンと倒れる音で周りを見ると、家屋が倒れていた。自宅には両親がいる。朝市通りに急いだ。
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停電した店内、踏みつけた輪島塗の器停電した店内、踏みつけた輪島塗の器
「最初、おやじとおふくろを見たとき、下半身がびしょびしょだったんです。津波が来たのかと聞いたら津波じゃない、と」。水道管が破裂したらしく、水が噴き出ていた。液状化現象が起きていた。明かりはつかない。店舗の中の様子を確かめようと、商品を並べてある奥へと足を踏み入れたとき、足元でバキバキバキと音がした。
輪島塗の器たちだった。
「何が悲しくて自分が作ったものを踏みつけなきゃいけないんだろうって。でもこれ踏まないと奥に入れない状況だった。それが一番悲しかった」
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毎日、片づけをするために店舗と工房を往復した。そのたびに全焼した朝市通りを見ながら、だんだん「これが当たり前の光景なんじゃないか」と思うようになっていった。1カ月ほどたったある日、ふと、Googleストリートビューで震災前の朝市の通りを見た。懐かしい、と思っている自分がいた。
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「『え、懐かしいってどういうことだ?』と思って。ああ、もう1カ月以上、時は流れているんだって。自分の中ではずっと1月1日で止まったままなのに」。その時ようやく、涙がでた。
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好きだった「朝市」のにおい好きだった「朝市」のにおい
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子どものころから、朝市の香りが好きだった。
「輪島はかおり風景100選に選ばれるくらいにおいが独特の町だって言われているんです。干物とかあるからどっちかというと魚臭いにおいというのが正解なんですけど」と笑う。
今は、焼け焦げたにおいしかしない。
思い出すのは、割烹着を着た、露店のおばちゃんたちの陽気な姿だ。「昔はスーパーがなくて、いろんなものを売っているこの通り全体がスーパーマーケットみたいな感じで、それが楽しかった」
「フリフリの服を着たおばちゃんもいれば、早朝から歌を歌っている名物おばちゃんとかいろいろな人がいた。みんなに『たかくん、たかくん』って呼ばれていたんです」と目を細める。当時は「朝市ブーム」と呼ばれ、観光客も多く、一番賑やかな時間帯と登校時間が重なったため人をかき分けながら小学校に通ったという。
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父・八井汎親からの一言父・八井汎親からの一言
通りには、「石を投げれば漆器屋さんにあたると言われていた」ほど、輪島塗の店もたくさんあった。今回の震災で、火災を免れた漆器屋は、ほぼ自分の店のみだと話す。
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日本を代表する伝統工芸品、輪島塗は、100を超える工程があり、職人が1人でも欠けると作ることができないといわれる。「輪島塗は大きく分けると、木の部分と塗りの部分と加飾の部分に分けられるんですが、木の部分だけでも、5年や6年、下手すると10年くらいかけて寝かさないといけない木もあって、そのくらい時間がかかるんです。そこからお椀の形に削って、塗って研いで塗って研いで…を繰り返してようやくきれいな輪島塗ができるんです。1工程につき1週間くらいかかるものもあり、非常に時間がかかる」と八井さんは説明してくれた。
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途方もない作業を乗り越えなければ生産できない、それが輪島塗だ。
「町がこれだけ壊されて、職人さんたちもどこにいるか分からないし、工房も倒壊した」。店をたたむしかないと思った。
だが、父であり「大徹」を興した初代の八井汎親さんは違った。「建て直す気満々」だったという。「輪島塗って、壊れたら修理してまた新品のように直せるんですが、それと同じように父に会社が壊れてもまた、立て直して仕事すれば良い、と言われて」。
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当初連絡がつかなかった職人たちも徐々に無事が確認できた。金沢市などに避難していたが「ライフラインが整ったらすぐに戻って仕事するさけ」と言ってくれたという。
何より、同じように被災した漆器屋仲間たちはあきらめていなかった。「みんなに大丈夫やったか、と聞かれてダメだった、と答えたら、『うちも崩れた』『うちも崩れた』って」
倒壊した工房を片付けていたある日、瓦礫のなかから時計が出てきた。家じゅうの時計が「4時10分」で止まっていたなか、見つけたそれは秒針が動いていた。
「ああ、生きているんだ」
自分の中で止まっていた時間が、進みだした。
(取材:今村優莉 撮影:井上祐介)