フェンシング・松山恭助 苦しみ続けた日々…主将を変えた“シンプルな一言”とは

報道ステーション

[2024/02/21 14:50]

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フェンシング・男子フルーレ団体のキャプテン・松山恭助選手(27)は太田雄貴さんが引退してから勝てず、苦しみました。なぜこんなに強くなったのでしょうか。それは、シンプルな一言でした。

■周囲の期待も…松山選手の苦しい日々

日本の男子フルーレは世界ランク1位です(2月19日放送時点)。チームを率いるのは、キャプテン・松山恭助選手です。

大きく躍進したのは去年の世界選手権団体決勝でした。日本はリードを許すなか、松山選手がジャンプして背中を突き、同点となりました。そして、もう一本。先手をとって逆転です。

 このままリードを守り、日本男子団体は初の金メダルを獲得しました。さらに、個人種目でも松山選手は銅メダルを獲得しました。 実は松山選手が団体のキャプテンとなったのは、なんと19歳の時でした。この種目の第一人者である太田雄貴さんの後継者として期待されていました。

 しかし、周囲の期待とは裏腹に、待っていたのは苦しい日々でした。

松山選手
「キャプテンを託されたり、太田さんのような活躍をしなくてはいけない。苦しかった。とにかく『勝たなくちゃ』という焦りが強かった」

■「未来の勝敗でなく、今何をするべきか」

世界選手権でも、メダルには程遠い成績ばかりでした。キャプテンの不調に引きずられるように、団体としても日本は長い間メダルを逃し続けます。

松山選手
「(Q.相当、苦しんだじゃないですか。どのように自分と向き合っていたんですか?)自分を客観視することを恐れていて、理想とする自分と現実とのギャップがありすぎた。もう1点取られただけで『やばい!』」

結果にとらわれ過ぎて、うまくいかない。一体、この状況をどう乗り越えたのでしょうか。

きっかけとなったのは、E・ルペシューコーチ(42)の就任でした。フランス代表として、世界の大舞台で何度も金メダルに輝いたレジェンド。松山選手を変えたのは、ある言葉だったといいます。

松山選手
「『フェンシングをしろ』。結果とかランキングとか、相手じゃなく、フェンシングをすることだけシンプルに考える」 「(Q.勝ちたい気持ちを捨てることができた大きな違いって何ですか?)人間なので勝ちたいっていう気持ちを捨てることは不可能。思わないようにすることは不可能なので、意識することを別に持つ。プレーのなかで自分が気を付けること、例えば足のステップ、足を動かし続ける、フェンシングで意識することに集中する」
ルペシューコーチ
「彼の意識を変えることが、私の最初の目標でした。彼はすべてに集中し過ぎていました」
「(Q.それでステップのアドバイスをしたんですね)その通りです。動けば思考は少なくなります」

意識するのは、未来の勝敗ではなく、今何をするべきか。なかでもステップは、ルペシューコーチの指導で大きく変えた技術でした。

松山選手
「(以前は)相手が作った距離をどうやって自分が点数取るかみたいな感じだったんですけど、今は自分からも前に行ったり、後ろに行ったりという、この辺で距離を自分で作れるようになったので。足のステップを使って、歩幅を大きくしたりとか、小さくしたりとか、スピードを緩めたり、速くしたりかなり磨いた。『幅が広がった』という感じです」

■パリ五輪でも「とにかくフェンシングをすること」

そうした意識改革をして1年後、ついに成果がでました。個人で出場したワールドカップで、松山選手は悲願の初優勝を果たしました。

松山選手
「(Q.初優勝した時のフェンシングってどうでした?)過去イチよかった。結果を考えていなかった。フェンシングを楽しんでいた」

松山選手は、団体でもキャプテンとして自分の気付きをチームに還元しました。それこそが、日本の世界ランク1位につながっていたのです。

松山選手
「みんな強くなるために、特別なことをやろうとする。とにかくやることを淡々とやることが、遠回りに見えて、一番の近道。自分のフェンシングをすることだけに集中して、襷(たすき)を次の選手に渡していく」 「(Q.パリ五輪では、どういう自分でいたいですか?)『自分ってこういう性格なんだ』『自分ってこういうこと考えてるんだ』。そういうのがもうよく分かったので、とにかくフェンシングをすること」

(「報道ステーション」2024年2月19日放送分より)

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