
京都造形芸術大学映画学科在学中に高橋伴明監督の映画「MADE IN JAPAN〜こらっ!」のヒロイン役に抜擢されて俳優デビューを果たした大西礼芳さん。連続テレビ小説「花子とアン」(NHK)、映画「嵐電」(鈴木卓爾監督)、映画「痛くない死に方」(高橋伴明監督)、映画「夜明けまでバス停で」(高橋伴明監督)、映画「STRANGERS」(池田健太監督)などに出演。映画「初級演技レッスン」(串田壮史監督)が公開中の大西礼芳さんにインタビュー。
■映画に携わりたくて京都造形芸術大学映画学科俳優コースへ

三重県の山のそばの自然豊かな田舎町で生まれ育った大西さんは、子ども時代は山登りやチャンバラ、ドッジボールなどをして遊んでいたという。
「芝居をやろうと思ったのは大学からですけど、何となく中学、高校くらいから人前に出て、英語のこのセリフを使って寸劇してくださいみたいなことはあって。
人と話したりするのはちょっと苦手だったのですが、そういうときに何か面白いことをするのが好きで、人前に出たら面白いことをやりたいという気持ちが湧いて、新喜劇の芸人さんとかに憧れたこともあります。
映画ももともと好きだったので、ちょっとお芝居をやってみるかということで京都造形芸術大学映画学科俳優コースに行くことにしました」
――三重県から京都にある大学に行くことについてご家族は?
「大反対でした。『いきなり何で映画とか言い出すんだ?』って言われて『確かにそうだよな」と思って。でも、親戚の叔父で日本画を描いている方がいて、当時京都造形芸大で先生をしていたんです。
それで映画学科があるということを知って。三重県から東京ほど離れていないし良いかなと思って、その大学を選びました」
――俳優になろうと思って俳優コースに?
「いいえ、そのときにはまだ役者とか芝居に対しての情熱みたいなものは、それほど持ってなかったかもしれません。芝居もやったことがなかったですし、全く自信もなかったので、何かやりたいことを、映画の勉強をしていくうちに見つけられればいいかなという程度でした。
でも、映画に携わりたいという思いはありました。音楽も好きなので、自分の好きなことがすべて試せるお仕事なんじゃないかなと思って」
――入学していかがでした?
「授業は楽しかったです。座学とか、いろんな映画の歴史、映画の成り立ちとか、いろいろ教えていただいて。でも、芝居、演技の授業が一番嫌でした。恥ずかしくて。人前でセリフを言って、もしかしたら正解があるみたいな空気が嫌だったのかな。
正解は多分ないんですけど、何かいいなって思う人もいるじゃないですか。その理屈が全く分からなかったので、とにかく人前で恥をかくということばかりを積み重ねていた演技初心者でした」
――俳優コースというと、中高時代、演劇部でバリバリな感じの人が…というイメージがあります
「そうですね。実際、高校演劇とかをやっている方が多かったです。ちょっと空気がまた違
う。みんな上手ですごいなあって思っていました」
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■映画のオーディション期間中に自転車でコケて…■映画のオーディション期間中に自転車でコケて…

2009年、大学の教授でもある高橋伴明監督の映画「MADE IN JAPAN〜こらッ!〜」に主演(松田美由紀とW主演)。大西さんが演じたのは、何事にも無関心な18歳の雛子。祖母(松原智恵子)の死をきっかけに父(山路和弘)が家に引きこもるようになり、次第に家族がバラバラになっていく…という展開。
「入学してすぐオーディションがあって。本当は、1年生は受けられなかったみたいですが、伴明さんが入学したばかりの新入生に映画学科について説明する場があって、そこで私のことをちょっと気にとめてくれたみたいで受けられることになりました」
――受かると自分で思っていました?
「思ってなかったです。でも、頑張らなきゃいかんなって。『親の反対を押し切って、高い授業料を払ってもらっているんだから、ここで頑張らないといかんやろ』という思いはありました。
でも、そんな中でホームシックになったり、人前で芝居をすることへの抵抗みたいなのが重なって、自転車でコケちゃったんですね。それで顔から落ちたので、頬の骨にヒビが入りました。オーディションの最中に、まさかですよね。
オーディションを週に1回授業中に結構長い期間やっていたのですが、そのときは湿布みたいなのをしたりしていました。骨がずれていたのであまり口を開けられなくて大変でした。近所のおばちゃんが病院に連れて行ってくれました」
――伴明さんもびっくりしたでしょうね。受かったと聞いたときは?
「うれしかったですけど、成り立つかどうかがわからなかったです。でも、何となくですけど、伴明さんが気にかけてくれているんじゃないかという接し方をずっとしてくれていたので、この役にハマって良かったって思いました。芝居ができるとかできないじゃなくて、合う役だったんだろうなと思ってうれしかったです」
――いろいろなものに対して憤り、フラストレーションを抱えている、あの年代ならではの微妙な空気感が出ていましたね。撮影はいかがでした?
「初めてだったのですごく楽しかったです。お芝居も、何度も稽古したものをカメラ前でやらせてもらうという感じでした。リハーサルみたいなことをびっちりやって、それから撮影という感じだったったので。
半年かけてオーディションをやっている中で、今日はこのシーンをやるという感じで、先輩方と一緒に授業を受けさせてもらっていました。先輩たちの芝居を見て、このシーンの意味はこういうことやったんだって気づかせてもらって…というのを繰り返しやっていたので、カメラ前にいるときはわりと落ち着いていたかもしれないです」
――伴明さんは、大学の教授であり、撮影現場では監督でスタッフにも生徒さんたちが加わっていたと思いますが
「その当時は、伴明さんはまだ怖かったですね。昔から優しい方ですけど迫力があって。でも、この人に付いて行きたいと思わせてくれる監督だったので、私のデビュー作の監督で本当に良かったって思います」
――監督には何か言われました?
「『芝居が下手だ』って言われました。あと、笑えない。役者の方って、お腹(なか)に力を入れて発声されるから、笑い声も上手に作れるじゃないですか。そういうことも、どうしたらそんな風に『ワハハハ、アハハハ』って出来るのか…というのもわからなかった。そういう技術もないから、脚本を書き換えてもらったりしていました」
――一緒にオーディションを受けた先輩たちもスタッフ、キャストとして参加されていたのですか
「先輩方もスタッフさんで参加されていたり、違う役で出演していました」
――デビュー作でいきなり松田美由紀さんとW主演でした
「はい。松田美由紀さんは優しかったですけど、キャリアもある方ですし緊張しました」
――出来上がった作品をご覧になっていかがでした?
「うれしかったです。でも、自分の芝居が(自分が)想像していたものではなかったので、
そのギャップにちょっとびっくりしてしまいました。
それは本当に基礎的なことで、瞬きが多いなあとか、そういうことだったりするんですけど、当時はどういう芝居が良くて、どういう芝居が良くないということがわからなかったので、そういう目に見えることでのギャップをすごく感じてショックでした」
――この作品に出たことによって、俳優としてやっていくという決意は?
「芽生えました。あの映画を撮り終わったときには、それは感じてなかったと思うんですけど、この映画を配給・宣伝するという段階で、俳優としてやっていかないといけないなって思いました」
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■一人芝居は誰も一緒に芝居をやってくれないと思われて■一人芝居は誰も一緒に芝居をやってくれないと思われて

映画「MADE IN JAPAN〜こらッ!〜」で主演デビューした大西さんは、ひとり芝居など俳優としての経験を重ねることに。
――主演デビューですからご家族も納得してくれたのではないですか
「いいえ、家族はちょっとショックだったみたいです。画面に映っているのは、雛子という役だったのですが、雛子じゃなくて私としか感じられなくて。私が芝居をしているところなんて見たことがないのでショックだったんだと思います。
(映画の中で)家族のことで思い悩んで泣いたり暴れたりしているのを見て、複雑な気持ちだったと思うし…。違う作品で大学生の時にひとり芝居をしたときには、祖母と祖父が見に来てくれて、ものすごく心配されました。『一緒に芝居をしてくれる人もおらん』みたいな(笑)。すごく単純で創作するということとは全くかけ離れたところで心配していました」
――在学中からいろんな作品に出演、お芝居もされて確実に歩んでこられているので、安心されたのでは?
「そうですね、その『MADE IN JAPAN〜こらッ!〜』を見ていただいた中に今の事務所のマネジャーさんがいらして、卒業したらすぐに東京へ来て仕事をやらせていただいています」
2014年には、連続テレビ小説「花子とアン」(NHK)に出演。このドラマは、「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子さんの明治・大正・昭和にわたる、波乱万丈の半生を描いたもの。
大西さんは、主人公・安東はな(吉高由里子)と寄宿舎で同室の同級生・畠山鶴子役。舞台演出などのリーダー的役目を務め、シェイクスピアの戯曲を研究するために高等科へ進学することに。
――わりと順調にお仕事をされてきて、「花子とアン」の知的な学級委員の畠山鶴子さんも印象的でした。初めての朝ドラの撮影はいかがでした?
「楽しかったです。女学校のセクションだったので、たくさんの女優さんたちがいて楽しくやらせていただきました。朝ドラはやっぱり見てくれる人がたくさんいるということを前提に作られているので、その高揚感はみんなが持っていたんじゃないのかなって思います」
――朝ドラに出ると声をかけられたりすることも多くなったのでは?
「そうですね。特に朝ドラは地方とかに行くとものすごいみんな見てくれているので、やっぱり変わりましたね。こんなに皆さん朝ドラを見ているんやと思って。誰かの生活の一部に入り込むというのは、こういうことなんだなって。それもすごい幸せなことだなって思いました」
同年、大西さんはアメリカ映画「トレジャーハンター・クミコ」(デビッド・ゼルナー監督)に出演。日本の撮影現場との違いに驚かされたという。次回はその撮影エピソード、女相撲の特訓を受けて撮影に臨んだ映画「菊とギロチン」(瀬々敬久監督)、映画「嵐電」の撮影裏話も紹介。(津島令子)
※大西礼芳(おおにし・あやか)プロフィル
1990年6月29日生まれ。三重県出身。2009年、京都造形芸術大学映画学科俳優コース1年生のときに大学の教授でもある高橋伴明監督の映画「MADE IN JAPAN〜こらっ!」のヒロイン役で俳優デビュー。連続テレビ小説「花子とアン」、「ペンディングトレインー8時23分、明日 君と」(TBS系)、映画「花と雨」(土屋貴史監督)、映画「夜明けまでバス停で」、舞台「みわこまとめ」などに出演。映画「初級演技レッスン」(串田壮史監督)が公開中。
スタイリスト:Lim Lean Lee
ヘアメイク:KOMAKI