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2025年5月16日 13:50

中原丈雄 熊本豪雨(令和2年7月)により球磨川が氾濫し、壊滅的な被害を受けた地元が舞台の映画に主演!

2025年5月16日 13:50

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1992年に公開された映画「おこげ」(中島丈博監督)の妻がいながら男性と愛し合う中年サラリーマン役で注目を集め、時代劇、現代劇を問わず多くの作品に出演している中原丈雄さん。特技の絵画でART BOX大賞展ギャラリー賞を受賞、プライベートバンド「TAKEO.UT☆MEN」でライブも行うなど幅広いジャンルで活躍。2013年に「ばななとグローブとジンベエザメ」(矢城潤一監督)で映画初主演を果たし、2024年には映画「おしゃべりな写真館」(藤嘉行監督)に主演。7月11日(金)に主演映画「囁きの河」(大木一史監督)が公開される。(この記事は全3回の後編。前編と中編は記事下のリンクからご覧になれます)

■郷土愛に溢れた地元ローカルテレビ局の番組ナビゲーターも11年目に

自身の出身でもある熊本の「球磨焼酎大使」を務め、郷土愛と食に対する造詣も愛も深い中原さんは、2013年から「中原丈雄の味わいの刻(とき)」(テレビ熊本)に出演している。

「あれは、熊本人吉で従兄弟というか、知り合いと飲んでいてベロベロになっているときに高橋酒造(株式会社)の社長が近くのホテルで飲んでいるから紹介するからと言われて。

『かなり酔っ払っているからダメだよ。勘弁して。こんな状態で挨拶できないよ、失礼だから』って言いながら行ったんですよ。

それで、3人ぐらいいたかな。酔っ払いながらも何とか一応挨拶が終わって帰ってきたときには、その従兄弟に、『俺は怒っているよ、相手にも失礼だし、多分俺のことを酔っ払いのひどいやつだと思ったに違いない。おそらくこれであとは飲むこともないだろう』って言っていました。

そうしたら、しばらくして高橋酒造の提供番組にいくつか出てくれって言われたんです。

それで、ある番組に最終回のゲストで出たら、終わったときに『中原さん、実は次に中原さんの番組を考えているんです』って言われて。

『高橋酒造の社長の前で俺らはあれだけ酔っぱらっていたのに?』って聞いたら、『社長にとってはそれが良かったみたいですよ。自然体で』って。だから不思議なものですね(笑)」

――「中原丈雄の味わいの刻」は毎週放送ですね。収録はどのようにされているのですか?

「ある程度まとめて撮るので、2カ月分で9軒。この番組は、もう11年やっていますからね。同じ高橋酒造の提供で、ラジオ番組も7年ぐらいやっているんです。

だから、毎月熊本に帰って撮っています。番組を始めた最初の頃はうれしいものだから、からだも強くて元気だし、昼の1時から飲んで2軒撮影して。撮影が終わってからまたみんなで飲みに行ったりしていましたね。

それで、翌日また昼の1時から飲んで撮影して、終わってからまた飲みに行く…みたいなことをやっていました。今はもうそんなことはしていませんけど、以前は熊本の街を赤い顔してフラフラフラフラ歩いているときがありましたよ(笑)」

■北海道の大自然の中で1年間に渡って主演映画を撮影

2024年、主演映画「おしゃべりな写真館」が公開。この作品は、最愛の妻を亡くし、生きがいを失ったカメラマンが行き場をなくした少女と出会い、この世に未練を残した妻と父の幽霊に見守られながら雄大な自然の中で再生していく様を描いたもの。

北海道・十勝平野の北部鹿追で100年近い歴史を持つ写真館の3代目・三國勘太郎(橋爪功)が亡くなり、彼の娘で2年前に他界した敬子(賀来千香子)の夫・カメラマンの松原雄二(中原丈雄)に「写真館を譲る」という勘太郎の遺言が届く。最愛の妻・敬子を亡くして以来、生きる気力を失い、緑内障も患っている雄二は写真館を処分するつもりで鹿追にやって来る。そこで行き場を失ったひとりの少女・麻衣と出会う…。

「この映画は、1年に渡って撮りました。日にちが空いていたので、やっぱり前の撮影のことを忘れちゃっているところがあったりして大変でしたけどね。そういう経験も大事だし、良かったですね。

ドアを開けて部屋の中に入るところまで撮って、部屋の中のシーンはそれから半年後に撮るみたいなこともありましたから、『あのときはどうだったかな?』って思い出しながらやっていました」

――ファンタジックな要素もあって心温まる展開でした

「そうですね。人の心を描いた作品だったのでうれしかったです。僕は、もともとチャンバラというか、切った張ったとか、暴力でどうのこうのという映画があまり好きじゃないものですから、そういう意味で良かったですね。静かなのがいいんですよ、本当に。

世界の映画で言うと、ハリウッド大作より地味かもしれないけれども、ヨーロッパの国の静かな映画を普段自分も見ているものですから。

ただ、俳優ですから、やれと言われたらどんな役でもやらなきゃいけないし、出なきゃいけないですけど。たまたま、最初の主演作の『ばななとグローブとジンベエザメ』もそうだし、昨年からの2作『おしゃべりな写真館』と『囁きの河』も人の心を描いた作品だったので本当に良かったと思いました」

――「おしゃべりな写真館」で中原さんが演じた主人公のカメラマン・松原雄二は、2年前に最愛の妻を亡くし、写真を撮る気力を失い、緑内障も患っている…切ない役どころでしたね

「はい。(北海道の)鹿追を中心に十勝でずっと撮影していたんですけど、俳優もスタッフもすごく雰囲気が良くて、地元の皆さんにもとても良くしていただきました。炊き出しもしてくださって。こういう地域的な作品は、地元の方々の協力がないとできないので、本当に感謝しています」

――撮影で印象に残っていることは?

「北海道は、春も夏も秋もいいですけど、冬の北海道は本当にすばらしいと思いました。雪の中での撮影は特に印象に残っていますね」

■災害の爪痕が残る故郷で主演映画を撮影

6月27日(金)から熊本県の熊本ピカデリーにて先行公開、7月11日(金)から東京及び、全国順次公開される映画「囁きの河」に主演。この作品の舞台は、2020年7月の壊滅的な被害を受けた熊本豪雨から半年後の人吉球磨地域。

中原さん演じる主人公・孝之(中原丈雄)は、母の訃報を聞いて22年ぶりに帰郷し、変わり果てた故郷の姿に衝撃を受ける。仮設住宅で暮らす息子の文則(渡辺裕太)は、かつて幼い自分を見捨て、母の葬儀にも戻らなかった父に心を開こうとはせず…。

「とてもいいポスターを作ってもらって、すごくうれしい。『人吉城』というお城の川下に昔はボート小屋があって、僕の家はちょうどそこのところにあったんです。だからこの撮影現場のすぐ前が僕の家だったんですけど、中学2年の時に大水害で家の前まで水が来て。でも、家までは来ないというのが何となくわかって、ホッとしました。

水害があると翌日から大売り出しがあるんですよ。洋服屋さんがびしょ濡れになった服を売らなきゃいけないからというので、売り出しをする。それでおふくろが買いに行って。夏だとTシャツを買ってきてくれたりしていました。

水害があっても、この川のそばから離れられない人たちが実際にいるんですよね。ここを離れてほかの地域で暮らせばいいじゃないかと言う人もいますが、『じゃあ、どこに行くの?』って。うちの土地はここなんだ…ということがこの映画の中でも出てきますよね。離れて暮らすわけにはいかない。これは球磨川だけの話じゃない。どこにでも繋がる話ですから。

この映画を撮るときに監督とも話して、もちろん地元の人は球磨川の話にしてほしいみたいなことを言うかもしれないけど、球磨川の話だけで終わってしまうわけにはいかない。

日本中の人が明日は我が身と思ってもらわなきゃいけない映画ですからね。

そういう意味で、話のほとんどは僕が演じる主人公と息子の住む地域の話ですけど、山の中で暮らす集落もあるわけですよ。小さい道が何本かあって、そういう集落には巡回のバスがいろんな食べ物や日用品を持って来て、それを買って普段は生活している。

巡回バスで取り扱っていない大きいものは、町へ降りて買いにいく。ところが、この間の水害で道が全部やられてしまったから、バスがまず通れなくなる。それで、そこの集落の人たちがバス以外の方法で下に降りなきゃいけなくなってしまった。そこも撮影現場になっているんです。

本当に悲惨でした。大きい家がずっとあって、今でも人がいそうな感じなのに誰も住んでいない。そこで撮影をしていたら、お寺の境内に釣り鐘しかないですけど、子どもの声で『夕方5時になりましたから、早く帰りましょう』みたいなアナウンスと、夕焼け小焼けの曲が流れるんです。それを僕たちはみんなで聞きながら、もう誰1人聞く人がいないんだなあって…。何だかもう悲しいというのを通り越して何ともいえない思いがしました。

水害の前は、おそらくこの境内の前で正月はみんなで集まったりしただろうになあって。水害というのは、その川のそばの人もそうだけど、山の中の人も同じように、家も全部捨てて、その土地を捨てて行かなきゃいけない。

熊本の震災の時もそうだったんですけど、そのときの仮設住宅が今でも残っていて、おそらくそこで最期を迎える人たちがたくさんいらっしゃると思うんですよ。僕らはどういう風に接して、どういう風に物を言っていいのかわからないような…。

でも、この映画を撮っているときも、皆さん『いらっしゃい、いらっしゃい』って、当たり前のように迎えてくれました。

僕らの子どものときもそうだったんですけど、『球磨川の水害で大変だ、大変だ!』って言うんだけど、球磨川を『この野郎!』なんて言う人は誰もいないんですよ。それがすごいなあって思いました」

――実際に被害にあったところでの撮影は精神的にもきつかったと思いますが

「そこで暮らしていましたからね。もう歯抜け状態。古い町だったところに仮設住宅ができているわけだから、町としてはちょっとちぐはぐな感じなんだけど、新しいどういう町になっていくのか。昔から閉ざされた山の中の町ですからね、これからがまた大変だと思う。試練ですよね。毎年の話なんです。毎年、洪水がありますから」

――劇中にも「(洪水は)また来る」というセリフがありますね

「そうです。僕らが子どもの頃は、これほどひどくなかったのは、まだ球磨川が深かったり、水位がそれほど上がらなかったということなんだけど、今では川底がほとんど歩いて行けるぐらい土砂が溜まっていて。

山の木を伐採したので自然災害で土砂が川に流れて、それが少しずつ溜まりに溜まって、この何十年の間に川底が上がってきたところに雨が降るから、当然水位が上がるわけですよ。

だからこの映画の撮影の最中も川底を何メートルも掘って。それだけ掘ってもどうなるかわかりませんけど、一番町に近いところに水害の被害が来るものですから何カ所も掘っていましたね」

■ベテラン船頭役に見えるように船を漕ぐ猛練習

(C)Misty Film

中原さん演じる孝之は、22年前に家を出て行くまではベテラン船頭として知られていたという設定。劇中、実際に船を漕ぐシーンも。

――船の操作は難しそうですね

「それは大変でした。1円玉の大きさで5mmぐらいの深さのところにオールが乗っかっているだけなんです。そこに乗っけて漕ぐんだけど、すぐ外れて落ちる。これがまた、ものすごく重いんですよ。持ち上げるだけでヒーヒー言うのに、外れないように操作するのがまた大変で。

最初は12月に行って、嫌になるぐらい練習したんだけど、あまりに大変だから『申し訳ないけど、穴をもう少し深く掘って、オールが絶対落ちないようにしてやってもらえないでしょうか?』って言ったら、『ダメです、そうすると危ないんです』って言われて。船頭はみんなこれで覚えるからこのやり方で覚えてくれと言われました。

それで、12月いっぱい練習して12月も終わる頃には何とか少しはできるようになっていたんですけど、2月にまた練習に行きました。僕より若い師匠の船頭さんに、みんなどれぐらい練習するのか聞いたら、だいたい半年だって言われたので、2週間ぐらいじゃダメですよね(笑)」

――中原さんは上手くなきゃいけないですものね。渡辺裕太さんの役は新人という設定ですけど

「それが裕太の方が上手くなっちゃってね(笑)。こういうものはやっぱり観客にもわかるんですよ。バレるから、やっぱり練習しなきゃいけないんです」

――ギクシャクしていた父子関係が少しずつ変わっていく様も自然でいいですね。何だかんだ言ってもお父さんのことが好きなんだなあって。

「父子そろって不器用な人間ですよね。いろいろなことが同時に考えられない。彼女(清水美砂)と別れるのも、自分にはとてもこういう人が嫁さんになっても養っていけないと思って…というか。

22年間故郷に戻っていなかったけど、いつか戻らなきゃいけないと思っていたんですよね。息子のこともあるから。故郷のその水害のこともあるけど、その水害が自分を奮い立たせてくれたということでしょうかね。

ただ、嫁さんが亡くなって、お母さんに息子を預けて故郷を出たまま戻らない。その辺のことを他の人がどういう風に見るか…ということですよね」

――完成した作品をご覧なっていかがでしたか

「実は心配だったんですけど、見たら非常に映像の深さというか、僕の大好きな映像の姿がそこにありました。自分の芝居がどうのこうのというのはわからない。それは人が見て思うことで、自分がいいなんてことはないけど、いいなと思ったのは、それぞれの人をちゃんと撮っているということ。これは僕が一番好きな映画の一つです。

どんな小さい役の人も、ちゃんとその人を捉えてあげているということが監督の温かさで、それがやっぱり映像に出ている気がして、それはうれしかったですね。それと音楽がとても良かった。非常にシンプルで、余計な気持ちを見る人に作らせないという音楽も僕は大好きで、音楽もセンスのいい作品だなと思いました」

――冒頭のシーンから神秘的で美しいですね

「球磨川の霧のような映像で、深い静かな映画だなと感じました。台本を読んで思ったような作品に仕上がっていたので、非常にうれしかったというか、ホッとしました」

――6月に熊本で先行公開、7月に全国順次公開になりますね

「はい。正直な話、僕もよく知っている地元の人吉や熊本の人たちが見てくれるというのはわかるんですよ。でも、映画というのは、やっぱり全く関係ない場所の人たちの見た意見がとても大事になってくる。人吉のみんなは、地元ということもあるので、いいことを言ってくれると思うんですよね。

それは僕もうれしいですけど、東京とか、離れたところの人たちが見た感想が知りたい。東京の劇場の『池袋シネマ・ロサ』さんは、固定客の人がついていますし、『カメラを止めるな!』(上田慎一郎監督)や『侍タイムスリッパ―』(安田淳一監督)など、ここからいろんな作品が生まれていますからね。同じようになってくれればいいなと思っています」

――今後はどのように?

「これから先の俳優人生もマネジャーとタッグを組んで死ぬまで僕は仕事をするつもりでいます。まだまだこれからだという気がしていますから」

――70代で主演映画が立て続けに公開という俳優さんはほかにいないですよね

「そうかもしれないですね。だから、そういう人がいてもいいんじゃないかなって(笑)。まだまだ自分の思うところに行ってないということがわかっているんですよ。

まだ階段がたくさんあると思っていますからね。頂上に登ると、あとは下がるだけじゃないですか。そこにずっと居続けるわけにもいかないでしょうから、なるべく頂上に近づくまで上がっていきたい。どこが頂上か分からないですけどね(笑)」

プライベートバンド「TAKEO.UT☆MEN」でライブ活動も行っている中原さん。歌を作ってCDも出したいと思っているそう。ライブでの姿も見てみたい(津島令子)