高校在学中に「大磯ロングビーチキャンペーンガール」に選出され、キュートなルックスと長身の抜群のプロポーションで話題を集めた佐藤江梨子さん。2002年、「サムライガール21」(及川中監督)で映画デビュー。2003年、「プレイガール」(梶間俊一監督)で映画初主演を果たし、多くの映画、ドラマに出演。2007年に公開された主演映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(吉田大八監督)で第29回ヨコハマ映画祭主演女優賞受賞。6月13日(金)に映画「きさらぎ駅:Re」(永江二朗監督)が公開される佐藤江梨子さんにインタビュー。(この記事は全3回の前編)
■ダンスを踊っているとイヤなことを忘れられた
東京で生まれ、千葉、仙台、神戸、大阪で育った佐藤さん。小さい頃は人見知りでおとなしい子どもだったという。
「小さい頃は、あまり自分から人に話しかけるようなタイプじゃなくて、本当に静かな子どもでした。しゃべったりすると『この子しゃべるんだ』って思われるくらいすごく静かだったんです。小学校5年生ぐらいまではずっとそんな感じでした。
東京で生まれたんですけど、その後千葉に行って、仙台、そして神戸に行きました。多分、みんな私のことは記憶にないんじゃないかな。家では普通にちゃんと話すんですけど、幼稚園とか学校でしゃべらなくていいんだったら、一言もしゃべらず帰りたいと思っていました。今もたまにそう思ってしまうこともあるんです。しっかりしゃべれる人がしゃべればいいんじゃないかなって。
何かをしゃべって誰かを傷つけてしまったり、何か余計なことを言ってしまったりしたら申し訳ないなっていう気持ちが強くて。子どもの頃すごく静かだった記憶もあるので。
父の転勤も多かったので、悪目立ちしたくないというのもあって。ただでさえ背が高くて目立ってしまうので、極力目立たないように…と徹していたと思うんですよね」
――阪神・淡路大震災のときは神戸で暮らしていたそうですね
「はい。中学1年生のときでした。その前ぐらいからバレエをやっていたり、ダンスを習っていたりしていたので、何かを表現するみたいなことはすごい好きだったと思います」
――その頃将来はダンサーとか、バレリーナに…という考えは?
「それはすごいありました。今もそうなんですけど、からだがすごく柔らかかったので、小さい頃はダンスの先生にも憧れました。ダンスを踊っているとイヤなことを忘れられるというか、何か楽しいなという気持ちになっていたので。
父がもともとフィギュアスケートをやっていたらしくて。それで私もわりと小さな頃から習わせてくれたんじゃないかなって思います。
今もそうですけど、このお仕事をしていてもダンスする人ってすごく多いじゃないですか。
しかもすごく上手だなって思う人が多いので、ダンスが上手い人には憧れますね。表現力が高くていいなって思います」
――阪神・淡路大震災のあと大阪に?
「はい。それで中学3年生のときに大阪から東京に引っ越しました」
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■グラビアアイドルとして絶大な人気を誇り、映画にも出演■グラビアアイドルとして絶大な人気を誇り、映画にも出演
東京で暮らすことになった佐藤さんは、芸能界に進むことを考えて堀越高等学校に入学したという。
「その前もいくつか仕事をさせていただいていたんですけど、本格的にグラビアの仕事を始めたのは16歳ですね。21歳くらいまで結構グラビアの仕事が多かったです。
小学校高学年とか中学の時も、体操やダンスをやっていたりしたので、華やかな格好で華やかなことをするのは好きなんですけど、すごい陽キャラの人みたいにはなれないと思うことはよくあります」
16歳で芸能事務所「イエローキャブ」に所属し、17歳のときに「大磯ロングビーチキャンペーンガール」に選出。グラビアアイドルとして注目を集め、19歳のときに「大磯ロングビーチキャンペーンガール」に再選出。その翌年、2002年、「サムライガール21」で映画デビュー。
2003年には映画「プレイガール」で映画初主演を果たす。この作品は、警察が手を出せない重要犯罪を捜査するために警視庁内部に結成された女性5人からなる特殊犯罪捜査チーム“PG(プライベート・ガバメント)”の活躍を描いたもの。PGのメインメンバーで主人公の三輪かおる役を演じ、アクションも披露。
「若い頃は本当に正直すごくありがたいことに忙しくさせていただいていたので、1年365日のうち360日ぐらいずっと仕事をしていました。
映画が決まったときは、『自分が映画に出られる。わーい、やったー!」みたいな感じでした。メインなものじゃなくても、ちょこちょこっていうのは何個か出させていただいて、ありがたいなって思っていました」
――主演と聞いたときはいかがでした?
「荷が重いというか、申し訳ないなっていう思いもありましたけど、うれしかったです」
――アクションシーンや開脚するシーンもあって、カッコ良かったですね
「ありがとうございます。アクションのレッスンもありましたね。空手とアクションレッスンにも昔は通わせていただいていました。でも、今もあまりうまくできてないなと自分では思いますけど」
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■漫画、アニメで大人気キャラ“キューティーハニー”に!■漫画、アニメで大人気キャラ“キューティーハニー”に!
2004年、映画「キューティーハニー」に主演。この作品は、“商社のOL”と“愛の戦士キューティーハニー”という二つの顔を持つ如月ハニー(佐藤江梨子)が謎の秘密結社に立ち向かう姿を描いたもの。佐藤さんは明るくてちょっとドジな派遣OLと無敵のパワーを持つアンドロイド・キューティーハニー役を演じた。
――「プレイガール」の翌年に「キューティーハニー」に主演されて
「『キューティーハニー』も呼んでいただいてありがたかったです」
――漫画とアニメが大人気だったのでプレッシャーはなかったですか
「そうですね。ビデオというか、その当時に流れていたものを見せていただいたんですけど、今の時代だと絶対放送できないような感じで(笑)。『ダメダメ、これ以上はPTAに怒られる!』みたいな、すごいキラーワードの連続だったのでびっくりした記憶はあります」
―― 撮影はスムーズにいきました?
「スムーズというか、やっぱりたくさんのこだわりがあって撮影していたので、すごく勉強になりました」
――キューティーハニーの衣装が良く似合っていてスタイルの良さが際立っていましたね
「ありがとうございます。あの衣装は全部細かく採寸して何センチで…という感じで作ってもらったんですよね。だから、結構ピタピタでした(笑)。でも、やっているときはもう無我夢中だったような気がします」
――グラビアに映画、テレビも…という感じで目まぐるしい毎日だったでしょうね
「そうですね。何か1個思い出したらいろいろ思い出すみたいな感じなんですけど。やっぱり忙しいときというのは、ちょっと眠たいというか、脳が多分100パーセント起きてない状態でやっていたのか、たまに記憶が曖昧なところがあったりしますね。申し訳ないんですけど」
――ハニーの七変化も画になっていましたね
「ありがとうございます。いろいろ楽しませていただきました。大変なこともありましたけど、面白かったです」
2007年、ホラー映画「口裂け女」(白石晃士監督)に主演。この作品は、1979年頃から広まった都市伝説を基に、子どもたちを襲う“口裂け女”の恐怖を描いたもの。佐藤さんは、子どもたちの失踪事件が起きた小学校の教師・山下京子役を演じた。
――きれいな水野美紀さんが恐ろしい口裂け女役に
「そうですね。今回の『きさらぎ駅:Re』も『口裂け女』もそうですけど、わりと子どもも見ていいホラー作品に呼んでいただけることは、とてもありがたいなと思いました。
今年と去年放送された『ウルトラマンアーク』(テレビ東京系)でラスボスみたいな役をやらせていたんですけど、そのときも自分の息子のリアクションとかも面白かったですし、やっぱり子どもが見て楽しめるコンテンツというか、そういう作品に出演できるというのはうれしいですね」
――「口裂け女」では、子どもを虐待したり、人を刺すシーンもありましたね
「今はダメなのかもしれないですね。そんなに激しく虐待するシーンはなかったですけど、『胸が痛いなあ』と思いながらやっていました。でも、『子どもにも見せるために撮っているんですよ』ということを監督に言っていただいていたので、それはすごくよく覚えています」
同年、映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」に主演。自己チューで超ワガママな主人公・和合澄伽役を体当たりで演じ、ヨコハマ映画祭主演女優賞を受賞。「鶴瓶のスジナシ!」(TBS系)、映画「秋深き」(池田敏春監督)など俳優として幅広いジャンルの作品に出演することに。次回はその撮影エピソード&裏話なども紹介。(津島令子)
※佐藤江梨子プロフィル
1981年12月19日生まれ。東京都出身。グラドルとして人気を集め、映画「プレイガール」、映画「キューティーハニー」、映画「すべては海になる」(山田あかね監督)、映画「リングサイド・ストーリー」(武正春監督)、映画「きさらぎ駅」(永江二朗監督)、「嵐の涙〜私たちに明日はある〜」(東海テレビ)、連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK)、「ウルトラマンアーク」などに出演。6月13日(金)に映画「きさらぎ駅:Re」の公開が控えている。
ヘアメイク:大森裕行
スタイリスト:奥田ひろ子
