ケンタッキー州のバーボン蒸留所では、ウイスキーを目で楽しむだけで終わった。テネシー州に入り、テイラー・スウィフトゆかりの町に向かう。
(テレビ朝日 デジタル解説委員 名村晃一)
宿泊のためだけに州をまたぐ 「オハイオ川越え」繰り返す
旅3日目の宿に行くのに、オハイオ川をまた渡った。ケンタッキー州ルイビルはオハイオ川をはさんでインディアナ州と向き合っている。インディアナ州の方が、ホテル代がぐんと安かったので、宿泊のために州をまたいだ。この旅で7つ目の州になった。
これまでの旅で既に2回、オハイオ川を渡っている。ウェストバージニア州からオハイオ州に入る際と、オハイオ州からケンタッキー州に入る際だ。今回で3回目の「オハイオ川越え」となる。
オハイオ川はペンシルベニア州ピッツバーグに源を発して、南西方向に流れる。イリノイ州カイロでミシシッピ川に注ぎ込むまでの全長は1582キロ。長さでは全米で10位だが、流量では3位の主要河川だ。ここまで、オハイオ川に抱かれるように旅を進めてきたということになる。
米国では大都市が州境にあることが多い。内陸部の大都市の物流はかつて河川が担っていた。その河川が州の境界線になっているケースが多いからだ。米国は州の独立性が高い。交通ルールが異なるなど州によって市民の暮らしぶりの違いが鮮明だが、経済圏が州をまたぐことは各地にあり、州境には他州との融合が見られる。
金曜日の夜なのにバー閉店、レストランも品切れ 夕食は出前のピザに

インディアナ州クラークスビルは、ルイビル経済圏にあるので「ルイビルノース」と呼ばれる。
宿泊したラディソンホテル・ルイビルノースは、フロントロビーに連なる1階フロアに大きな室内プールがあった。塩素の臭いがロビー中に広がっていた。チェックインをしながらスイミングクラブに迷い込んだようだった。館内を見渡すと、ホテル内に理髪店があった。個性的なホテルだったが、金曜日の夜だというのにバーは閉店、レストランも品切れで食べられなかった。ルイビルとつながる橋のたもとに近い所なので、歩いて行ける距離にレストランはなく、夕食はピザのデリバリーに。ショッピングモール近くでホテルを探さないと、こういうことになるという典型例だった。
トウモロコシの香り広がる 「五感が大事」日本の酒蔵を思い出す
10月7日、旅の4日目を迎えた。早朝にホテルを出て4回目の「オハイオ川越え」をして、再びケンタッキー州に入った。ケンタッキー州にいるからには、バーボンウイスキーの蒸留所を見ないわけにはいかない。ルイビルから南南東に車で約50分のバーズタウンには、多くの蒸留所がある。次の目的地となるテネシー州ナッシュビルに行くのに、方向的に無理がないことから、エバン・ウイリアムズなどを生産するヘブンヒル蒸留所に向かった。
林に囲まれた住宅街を抜けて坂道を上がると、蒸留所が現れた。丘の上は日の光がさんさんと降り注いでいた。施設周辺には主原料のトウモロコシの上品な香りが漂っていた。
テレビ朝日に入社する前、毎日新聞で記者をしていた。駆け出しに毛が生えたぐらいのころ新潟県内に4年以上勤務した。いくつもの酒蔵を取材したが、どの酒蔵でも到着するとコメの甘い香りが出迎えてくれた。
日本酒とウイスキーの違いはあるが、原料の品質がいかに重要かを真っ先に気付かせてくれる瞬間である。取材は五感が大事だ。酒蔵で学んだことをバーボンの香りで思い出した。
連邦法で製法定める 全米どこでも作れるが95%はケンタッキー州産
バーボンウイスキーは、米連邦議会が定めた法令で製造方法などが決められている。米国産であること、原料の51%以上がトウモロコシであること、内側を焦がしたオーク材の新しい樽で熟成することなどがバーボンを名乗れる条件だ。
米連邦議会は1964年、「バーボンウイスキーは米国生まれの唯一のスピリッツ」だと宣言した。米国ならどこでも製造できるが、約95%はケンタッキー州産である。水と原料のトウモロコシがバーボンウイスキー作りに適しているからだ。
ケンタッキー蒸留所組合によると州内には現在、95の蒸留所がある。2009年は19カ所だったということで、急成長を遂げている。
ストレートなら先端の細いグラスで ロックは大きい氷で
土曜日だということもあり、蒸留所には、午前中からバーボン好きがバスで続々とやってきた。どの顔も「さあ、飲むぞ」という意気込みがみなぎっていた。
バーボンウイスキーを選ぶ場合、多くのバーボンファンは「ストレートバーボン」を薦める。樽の中で2年以上熟成し、他の樽のウイスキーと混ぜていないもののことだ。瓶のラベルに記されているのでチェックしやすいという。
バーボンは、スコッチよりも香りの幅が広い。鼻から感じる味わいも重要で、何も入れず生(き)で飲むならば底が広く、先端が細いグラスを使うと、より香りが引き立つという。ロックで飲むなら、氷は大きめにした方がいい。ゆっくりと水と混ざり合うと、まろやかになる。
バーボンに一家言あるファンの話が、次々に耳に飛び込んでくる。長居をすると、車を置いたまま、この町に泊まらなければならないことになりそうだったので、琥珀色の液体を目で楽しむだけにしてナッシュビルへの道を走り出した。
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手前で左折 テイラー・スウィフトゆかりの町に向かう手前で左折 テイラー・スウィフトゆかりの町に向かう
インターステート65(I-65)を南南西に進んだ。この旅の8つ目の州であるテネシー州に入ると、ナッシュビルの手前でI-65を降りて東に走り、ヘンダーソンビルに着いた。
ここは人気歌手テイラー・スウィフトが、カントリー音楽を学ぶためにペンシルベニア州から家族と共に引っ越してきた町だ。カントリー音楽発祥の地であるナッシュビルまでは車で約20分。テイラー・スウィフトはヘンダーソンビルの高校に通いながら、ナッシュビルにレッスンを受けに行っていた。
旅はテイラー・スウィフトの長期コンサートツアー「ザ・エラズ・ツアー」の最中だった。運転中、ラジオの周波数を頻繁に変えたが、5分に1回はテイラー・スウィフトの曲が流れるほどの人気だった。ヘンダーソンビルはテイラー・スウィフトゆかりの地として、ことあるごとに注目が集まっていた。
ただ、ここを訪れた目的はテイラー・スウィフトの足跡をたどるためではなかった。大統領選を少しでも理解するために、どうしても行きたい所があった。