旅の終わりはいつも寂しい。トラブルなく走り抜いた「相棒」のクライスラー・ボイジャーとの記念写真は、レンタカー返却の流れ作業にせかされて、せわしなかった。
(テレビ朝日 デジタル解説委員 名村晃一)
ちょっぴり寂しい最後の夜はダイナーでバッファロー・チキン
旅16日目の10月19日、最終目的地のロサンゼルスに到着した。木曜日の夕方、帰宅を急ぐ車の波に流されるようにアクセルを踏んだ。渋滞や信号で止まるたびに、群青色に変わってゆく西の空を眺めた。北米大陸を走り抜けたという満ち足りた気分だったが、「これで終わってしまうのか」という寂しさの方が強かった。
最後の宿はロサンゼルスに隣接するマンハッタンビーチのベストウェスタン・プラス・マンハッタンビーチにした。ニューヨークでレンタルしたミニバンのクライスラー・ボイジャーは翌朝、ハーツレンタカーのロサンゼルス国際空港(LAX)事務所に返却しなければならない。マンハッタンビーチからなら「ロサンゼルス名物」の渋滞に巻き込まれずにLAXにたどり着ける。
マンハッタンビーチは太平洋に面した町で、幅140メートルの砂浜が3.4キロに渡って続いている。横断最後の夕食は、そのビーチに近いダウンタウンのケトルにした。1973年創業の町を代表するダイナー(食堂)だ。24時間、休みなく地元住民や観光客を受け入れてくれる。
旅の締めくくりでもあり、典型的な米国料理を食べようとバッファロー・チキンテンダーを注文した。鶏胸肉の一部であるテンダーロインを揚げて、トウガラシとケチャップ、バター、ハチミツなどを混ぜた甘辛いソースをからめた料理だ。ブルーチーズソースに浸して食べるのが定番の1つだ。手羽で作るバッファロー・チキンウイングを食べたかったが、手羽がなかったのでテンダーにした。
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起源はニューヨーク州 わずか50年で「国民食」に起源はニューヨーク州 わずか50年で「国民食」に
バッファロー・チキンウイングは、ニューヨーク州西部のカナダとの国境に近い町、バッファローで1950年代後半から60年代にかけて誕生したといわれる。イタリア系レストランバーが起源だという説と、黒人のレストラン経営者が開発したという2説があり、現在も論争になっている。70年代には市内の他店でもメニューに採り入れられ、80年代には他州でも扱うレストランチェーンが目立ち始めた。
その後、スポーツのビッグイベントと大手ピザチェーンの新戦略が、バッファロー・チキンウイングを「国民食」に押し上げた。
地元のプロフットボールチーム、バッファロー・ビルズ(本拠地・オーチャードパーク)は1991〜94年、4年連続で王者決定戦の「スーパーボウル」に出場し、地元ファンはバッファロー・チキンウイングを食べながら声援を送った。
「スーパーボウル」は全米最大のスポーツイベントだ。テレビ中継は毎回、猛烈な視聴率を叩き出す。ゲームもさることながら、バッファロー・チキンウイングがニュースなどに登場し、全国から注目を浴びた。
宅配ピザチェーン大手のドミノ・ピザは、1994年にピザと一緒にバッファロー・チキンウイングの販売を始めた。その後、ピザハットも追随した。
バッファロー・チキンウイングが米国民の間に浸透し、全米のレストランの常連メニューになるのに、誕生してから50年とかからなかった。食文化の広がり方としては異例のスピードといわれる。
何が起きるか予想もつかないのが米国だ。そこが米国の魅力である。横断したいと考えたのも、米国のダイナミズムを体感したかったからだ。ケトルのバッファロー・チキンテンダーは、旅の原点を思い出させる味だった。
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17日間で給油20回近く カリフォルニアの燃料高に驚く17日間で給油20回近く カリフォルニアの燃料高に驚く
一夜明けて旅17日目の10月20日朝、カリフォルニア州道1を北上し、LAXに向かった。クライスラー・ボイジャーでの最後の走行だ。
ガソリンを満タンにする必要がない契約だったので、どこにも立ち寄らず走った。州道脇に目をやるとレギュラーガソリンの価格が1ガロン(3.785リットル)で6ドルを超える表示が飛び込んできた。車社会の米国では、かなり高い。表示の1ガロン=6ドル19セントを1ドル=150円で計算すると1リッター=245円31銭となる。
この旅ではガス欠を避けるため、燃料メーターが半分ぐらいになったところで給油した。17日間でガソリンスタンドに立ち寄ったのは20回近くになる。
1ガロン当たりのガソリン価格は、ペンシルベニア州が3ドル台後半、オハイオ州が3ドル台半ば、ケンタッキー州が3ドル台前半だった。ミシシッピ州は2ドル台後半で最も安く、その後のルイジアナ州、テキサス州、ニューメキシコ州は3ドル台前半だった。アリゾナ州では4ドル台になり、カリフォルニア州の内陸部で給油した時は5ドル台後半に跳ね上がっていた。カリフォルニア州では旅の1カ月前の9月に、平均価格が6ドルを超え、高止まりしていた。
米国のガソリン価格は州によって異なる。連邦のガソリン税は1ガロン当たり18.4セントで全州同じだが、これに州によって異なる州税がプラスされる。また、製油所からの距離や貯蔵施設の状況も価格を左右する。環境規制が厳しいカリフォルニア州は、環境に配慮した州独自の混合ガソリンの使用が義務付けられているため、さらに高くなる。
今回の旅のガソリン代の合計は581ドル38セントだった。1ドル=150円で計算すると8万7207円。横断の旅全体の燃料費として考えれば、納得がいく価格かもしれない。
レンタカー料金は1720ドル92セントだったので、同じく1ドル=150円で計算すると25万8138円だ。これにガソリン代の8万7207円を加えると34万5345円。有料道路通行料はほとんどなかったので、レンタカー料金とガソリン代が今回の旅の移動費用だ。
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「あいさつ」が生む互いの理解 人情に支えられ旅を終える「あいさつ」が生む互いの理解 人情に支えられ旅を終える
LAXのハーツレンタカーの事務所に到着した。米国のレンタカーの返却は流れ作業で手早い。「相棒」のクライスラー・ボイジャーとの別れを惜しむ時間はほとんどなかった。急いで車体の写真を撮り、急がすスタッフにボイジャーとの記念写真を撮ってもらった。
旅の途中の10月7日、イスラム組織ハマスがイスラエルを奇襲攻撃し、大規模な戦闘が始まった。訪れたアリゾナ州スコッツデールの市街地では、ハマスの人質となった米国市民の解放を求めるチラシを目にした。各地でパレスチナ支持派とイスラエル支持派の過激なデモが繰り広げられ、米国社会に暗い影を落としていた。
分断が進む米国の「本当の姿」に迫ることも横断の目的だった。しかし、「これが米国だ」という明確なものは見つからなかった。すべてが多様、さまざまな価値観ばかりが目に飛び込んできた。
顔形、体形、体臭、肌の色が違う人間同士が交わる時、「自分は敵ではない」ということを示すことがコミュニケーションの第一歩となる。米国で見知らぬ者同士のあいさつが日常となっているのはこのためだ。あいさつはやがて文化や習慣の壁を超えて互いの理解につながってゆく。
横断の旅で、いったい何人の見知らぬ人に笑顔であいさつをしただろうか。あいさつをきっかけに会話が弾み、地域の重要な情報を知り、旅の醍醐味を味わうことができた。知識だけでなく、多くの人の情に触れた。
米国を旅する際の最大のコツは、笑顔であいさつすることなのかもしれない。それは米国を理解するために最も役に立つ手段でもある。
次回は西日に悩まされずに運転したい。西海岸から東に向かいロッキー山脈を越えて、北部、中西部、北東部をじっくりと回りたい。東海岸を南下してフロリダ半島で風を切るのもいい。
米国は広い。どんなに走っても飽きることはない。