「本当にムリと思った」コロナ禍で4度転職したシングルマザー【ニュースの記憶2023】
[2023/12/29 17:00]
「どうやって生活していこう…」。
埼玉県川口市に住む女性(当時40)は通帳に書かれた預金残高を見つめ、途方に暮れていた。
6歳の息子(小学1年生)を育てるシングルマザー。新型コロナウイルス対策として初めての緊急事態宣言が出され、勤務先の観光バス会社は休業を余儀なくされた。手取りの収入は月5万円ほどに減り、家賃よりも少なくなった――
コロナ禍の3年間で、4度の転職を経験した女性。
彼女の取材を続けて見えてきたのは、社会が不安定になる中で、シングルマザーが仕事を維持しつつ、子どもを育てていくことの難しさだった。
「本当にムリ、と思った」… 女性が“心折れた瞬間”を振り返る。
(テレビ朝日報道局 笠井理沙・川崎豊)
■キャンセル相次いだ観光業 貯金も底をつき…
私たちが女性と出会ったのは、2020年6月。シングルマザー向けの食料配布イベントだった。てきぱきと動き、食料を配る女性。聞けば、彼女自身もシングルマザーで米やレトルト食品などを持ち帰っているのだという。
一見、生活に困っているような印象は受けなかったので、とても驚いた。
「もともと余裕のある生活ではなかったけれど、ここまでぎりぎりの生活ではなかった。普通の生活ができない。こんなことになるなんて考えてもいませんでした」
当時、緊急事態宣言で学校が休校となったため、女性は息子を学童保育に預け、飲食店でランチタイムのアルバイトをしていた。
収入は月3万円程度。数カ月前までの月給20万円からは激減した。
息子が1歳のときに離婚して以来、一人で息子を育ててきた。観光バス会社の契約社員として働き、養育費やひとり親世帯が受給できる児童扶養手当なども合わせ、慎ましく生活してきた。
そこに襲ってきた新型コロナの大流行。観光バス会社にはキャンセルの連絡が相次ぐ。次第に仕事がなくなり、4月、会社は休業した。再開の見通しは立っていなかった。
「家賃が7万円で、休業補償はあるけれどとても足りない。貯金もすぐに底をついてしまいました。年金暮らしの両親にも頼れないし…」
国の支援策として、家賃の補助を受けられる住宅確保給付金やひとり親世帯向けの給付金ももらうことはできた。しかし、学用品を買うお金なども必要になり、無利子の緊急小口資金を3カ月で60万円借り入れた。
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■「採用された!」 喜びつかの間、再び壁が■「採用された!」 喜びつかの間、再び壁が
高校卒業以来、バスガイドや添乗員など観光業ひと筋で働いてきた女性。
朗らかな人柄で、現役時代はきっと、客と気さくに話し、旅に彩りを添えていたのだろうと想像する。
しかし、新型コロナの流行で観光業は先が見えない状態に陥っていた。慣れた仕事を離れ、業種を絞らずに仕事を探す決断をする。
「本当は観光業を離れたくないけれど、いまはお金がないことが厳しくて…。収入も安定する正社員の仕事があれば一番だなと思います」
だが、求人情報を探しても正社員の仕事は少ない。派遣の仕事なども含め2カ月で20社ほどに応募したが、面接にまでこぎつけられたのは2社のみだった。
「毎日の残業はできないし、学童保育が休みの日曜日は働けない。そこで条件が合わないことや、自分のスキルが足りなかったということもある。このまま仕事が決まらなかったらどうしよう…」
2020年6月末。取材に答える彼女はとても不安そうに見えた。
その数日後、携帯に女性からメッセージが届く。
「たいへん!諦めていたら建設会社 採用の連絡が来ました」
面接を受けた建設会社が事務職として採用してくれたという。正社員で、給料は月20万円ほど。会社側もシングルマザーであることを理解して、日曜日の勤務はなく連日の残業などは求めないと言ってくれた。これまで経験のない仕事だったが、「スキルアップにもなる」と新しい仕事に胸は膨らんだ。
しかし、働き始めると思うようにはいかなかった。仕事に慣れると、残業する日も増えていき、午後8時から会議という日もあった。会社からは欠席してもいいと言われたが、毎回休むわけにはいかないと、友達や親戚に息子の迎えを頼んだりした。
次第に限界を感じるようになり、2021年1月、半年間勤めた会社を辞めた。
そこから今年の春までに、女性はさらに3度、転職をした。
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■「児童相談所に連れていこうか…」 抱え込んだ子育て■「児童相談所に連れていこうか…」 抱え込んだ子育て
2021年5月、2回目の転職先に勤め始めたころ。女性の自宅を訪れた。
午前7時過ぎに息子が学校へ行き、自身が仕事に向かうまでの1時間ほど。洗濯や掃除をしながら、自分のペースで過ごせる貴重な時間だ。
「つい子どもにイライラしちゃって…」と女性は、抱え込んだ思いを打ち明けてくれた。
小学校低学年、遊びたい盛りの息子は、何度言っても宿題を始めないなど、思うようにいかないことも増えてきた。気持ちや時間に余裕があれば怒らないで済んだことも、つい大声をだしてしまう。
「息子が寝たあとに、明日は怒らないようにしようと思うんですけど、また朝には怒ってしまう、の繰り返しで…」
3年間の取材の中で、その頃の女性は一番疲れ切っていたように思う。
実際、夜になっても眠くならない日もあったそうだ。この取材のときも精神安定剤や睡眠薬など、3種類の薬を飲んでいた。
彼女自身は当時のことを、こう振り返っている。
「息子には本当にかわいそうなことをしてしまったと思っています。毎日、どれだけ怒鳴ってしまったんだろうって…。息子が萎縮しているのも分かった。本当に、ムリだなと思っていた。児童相談所に連れて行った方がいいのかなと何度も考えていました」
安定しない仕事、悪化する体調。
折れた心を抱えながら、それでも、「息子と生きていくため」と女性は働き続けた。
仕事が変わるたびに、必要な資格の勉強をするなど、懸命に取り組んだ。バスガイドや添乗員として多くの人と関わってきた経験は、営業の仕事などにも活かされていた。
一方で会社からは、採用時に言われていなかった日曜日や祝日の勤務を命じられ、応じられないことを理由に給料を下げたいと言われたこともある。
結局、どの仕事も長く続けることができず、いつも悔しさを感じていた。
「本当はずっと同じ職場で働き続けたかった。仕事の募集自体も少ない中で、縁あって採用してもらったのに…」
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■コロナ禍でさらに追い詰められたシングルマザー■コロナ禍でさらに追い詰められたシングルマザー
コロナ禍で、多くのシングルマザーが、それまでの生活が維持できなくなってしまった。
「もともとシングルマザーたちを大変にしていたものが、コロナであらわになったに過ぎない」。そう指摘するのは、立教大学コミュニティ福祉学部の湯澤直美教授だ。
経済協力開発機構(OECD)のデータ(2018)によると、日本のひとり親世帯の就業率は9割近くにのぼるが、貧困率も5割を超え、他国と比較して割合は高い。多くの人が働いているにも関わらず、貧困率が高い理由のひとつは、女性の雇用の実態や収入の低さにある。湯澤教授らがNPOと行った調査では、働くシングルマザーの6割以上が非正規雇用だった。(2020年2月時点)
さらに湯澤教授は、20年以上前に行われた政策転換がシングルマザーたちを追い詰めてきたと指摘する。
「2002年、戦後の母子福祉の政策を見直し、就労を促して自立につなげようという制度改革がありました。ただ、仕事に就いていても女性が十分な所得を得られない構造がある中では、自らの努力のみで収入をあげていくには限界があります。教育費の私費負担や家賃負担も大きく、精神的に追いつめられうつ病などになる方は私たちの調査でも広く見られました」
■それでも「自分は恵まれている」という思い
コロナ禍の3年間で4度の転職を経験した女性は、今年春に再婚した。埼玉県内の別な市に引っ越し、夫と息子と3人で新しい生活を始めている。
再婚を機に、観光バス会社に就職した。ようやく動き出した観光業に、改めて携わりたいと思った。「5度目」の転職だ。
勤務時間はこれまでよりも短くした。共働きとなって経済的な余裕ができたことで、息子との時間を持ちたいと思ったからだ。最近は「ママ、優しくなったよね」と、息子に言われるのだという。
「私はすごく恵まれていると思います。転職を繰り返したけど、仕事もあったし、支援も受けさせてもらった。辛かった時にも支えてくれる友達もいた。周りの力がなければ、ここまで生きて来られなかったと思っています」
コロナ禍のような困難にシングルマザーが直面したとき、母親のがんばりだけでは限界があると、取材を通して強く感じた。
立教大学の湯澤教授は、シングルマザーが追い詰められることがないような環境づくりが必要だと訴える。
「日本では、シングルマザーになると、子どもと過ごす時間を犠牲にして、仕事にまい進しなければ生活が維持できないのが現状です。企業は子どもをケアする時間を保障し、社会は親がリフレッシュできるよう保育を提供するなど、ひとり親世帯も考慮したワークライフバランスを実現する視点が必要です」
シングルマザーの前に立ちはだかった仕事や子育ての壁は、コロナ以前から続いていたものだ。コロナ禍であらわになった課題を、社会全体で考えていく必要性を改めて感じた。