避難先から戻り経験した離婚 「なかったことにしたくない」と女性が探し続ける答え
[2024/03/09 17:00]
「あの時、避難先から戻ってこなければよかったのか…」
福島県の沿岸部に住む女性(42)は、今も自問自答を続けている。女性は、福島第一原発の事故後、息子とともに避難した。避難指示が出ていない地域からの「自主避難」だった。
避難先から戻ると、夫との関係は大きく変わっていた。離婚し、シングルマザーとなった女性が直面したのは、一人で子どもを育てていくことの難しさだった。
13年前の東日本大震災・原発事故を経験し、それまでの生活が一変したという女性は少なくない。専門家は震災前からあった“女性の不自由さ”があらわになったと指摘する。
(テレビ朝日報道局 笠井理沙)
■変わってしまった家族の形
2011年の震災当時、女性は夫と小学2年の長男と福島県郡山市に住んでいた。学校の友達などが「自主避難」を始めたことをきっかけに、女性も長男とともに関東へ避難した。
原発事故後、福島県内では、放射線による被ばくを避けるため、避難指示区域以外に住む母親と子どもが自主的に避難するケースが相次いだ。
女性も幼い長男の被ばくを避けるため、また妊娠中の次男への影響を考え、避難することを選んだ。次男の出産を機に一度は郡山市に戻ったが、その後、2人の息子とともに西日本へ避難した。
慣れない土地の生活に苦労もあったが、学校や地域の人たちがあたたかく受け入れてくれたことで、徐々に地域になじんでいった。
しかし、2年半が過ぎるころ、夫から突然「帰ってきてほしい」と言われた。原発事故から、6年が経とうとしていたころで、福島県内の除染も進んでいた。避難先から福島に戻る人たちも増え始め、夫は「家族で一緒に過ごしたい」と考えていた。
しかし、女性は転校など子どもの環境を変えてしまうことにはためらいがあった。避難先で築いてきた生活を手放したくない。持病のある次男のケアのため仕事をしていなかった女性。夫と別れ、仕事をしながら一人で子ども達を育てていくことも考えたが、難しいと感じた。思い悩んだ末、郡山市に戻り、夫と生活することにした。
だが、離れて過ごした期間を経て、夫との関係は変わってしまっていた。
家の中の日用品や食べ物は夫が指定したものを買うように言われ、どんどんお金が出ていく。夫から渡された生活費では足りず、子どもに必要なものも買えない。泣きながら買い物をしていた時期もありました」
女性たちが避難していた間、夫は仕事を変えていた。女性は、そのことで夫がストレスを溜めているように感じた。身体的な暴力はほとんどなかったものの、夫の言動に追い詰められる日々が続いた。
「夫もいつか変わってくれるのではないか」、そんな期待をしながら2年が過ぎたころ。夫から離婚を切り出された。3年後に離婚が成立し、改めて2人の子どもとの生活が始まった。
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■一人で子どもを育てる難しさ■一人で子どもを育てる難しさ
シングルマザーとなった女性。実家とは疎遠になっていたため、誰の手も借りずに一人で子どもを育てていかなければならなかった。
夫と別居後、女性は仕事を見つけ働き始めた。しかし、一人で子どもの面倒を見ながら、安定した仕事を続けていくことには、想像以上の苦労があった。
子ども達にも変化があった。転校を繰り返したりしたことで気持ちが不安定な様子も見られた。次男は不登校になった。
女性は、離婚したタイミングや避難先から戻ると決めたことが間違いだったのではないかと、自問自答を繰り返している。
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■責任を感じやすい女性達■責任を感じやすい女性達
そう指摘するのは、NPO法人ウィメンズスペースふくしま(福島県郡山市)の後藤美津子代表理事だ。ウィメンズスペースふくしまでは、震災と原発事故の翌年から女性のための電話相談を受け付けている。
相談件数は窓口を始めた年の約2200件をピークに年々減ってきているが、いまも年間1000件を超える相談が寄せられている。震災と原発事故から月日が経ち、相談内容は子育てや家族の問題など、女性が責任を感じやすいようなケースが多くなったと感じている。特によく表れているのが、「自主避難」を経験した女性達だという。
後藤さんは、震災や原発事故をきっかけに子育てのほとんどが女性に任されていることや、女性が一人で子どもを育てていくことの難しさが露呈したと指摘する。
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■声をあげる■声をあげる
息子達との自主避難を経て、離婚をした女性。3年前、福島県沿岸部の被災地に移住した。不登校になった息子の環境を変えたいと、少人数の学校を選んだ。働く時間を自分で決めながら、被災地の街づくりに関わることができる仕事にも魅力を感じた。
慣れない土地に不安もあったが、女性と同じようにシングルマザーとして移住してきた仲間もでき、子育てや仕事の苦労を共有しながら支えあっている。
街が整備され、被災地の復興は進むが、女性は避難を経て悩んだ日々を「なかったことにしたくない」という思いを強くしている。
同じような状況で苦しんでいる友達もたくさんいるのに、社会から無視されているように感じます。子ども達に課題を残さないためにも、声をあげていきたいと思っています」