「原爆トライアングル」 忘れてはならぬニューメキシコの闇 米国6600キロ第14回

[2024/01/21 10:00]

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 宇宙人という「神話」と、原爆という現実。ロズウェルには2つの顔があった。

(テレビ朝日 デジタル解説委員 名村晃一)

 ニューヨークからロサンゼルスまで、途中いくつもの町に立ち寄りながら6600キロを走破して見えた米国のいま。毎週土曜日と日曜日に配信しています。

町にあふれる「宇宙人」と「UFO」 地域経済を潤す

ロズウェルでは毎年6月末から7月初旬にかけて「UFOフェスティバル」が開かれる。経済効果は日本円で2億円を超える。 写真はダンキンドーナツの宇宙人のオブジェ=筆者撮影
宇宙人やUFOはロズウェルの重要な観光資源だ=筆者撮影
地元の店舗で販売されている宇宙人やUFOをプリントしたTシャツ=筆者撮影

 ニューメキシコ州ロズウェルに到着したのは旅9日目、10月12日の夕方だった。ロズウェルの人口は約4万8000人。前日に宿泊したテキサス州サンアンジェロの半分程度だ。しかし、ダウンタウンを見る限り、ロズウェルの方が華やかだ。

 終戦後、間もなくのころに米空軍がUFO(未確認飛行物体)を回収したとされる「ロズウェル事件」は、この町を「宇宙人の町」として世界的に有名にした。宇宙人とUFOを目当てに多くの観光客が訪れ、地域の経済を支えている。

 ダウンタウンを歩けば、至る所に宇宙人やUFOのオブジェがある。地元の飲食店や雑貨店だけでなく、大手飲食チェーンのマクドナルドやダンキンドーナツも宇宙人やUFOの看板を掲げて客を招く。市内の街路灯も宇宙人の顔がデザインされている。

ロズウェル事件の経緯や目撃情報を紹介 収蔵資料は5万5000点

「国際UFO博物館・研究センター」は映画館を改造してつくられた=筆者撮影
館内に展示された宇宙人の模型=筆者撮影
資料に見入る入館者=筆者撮影

 「宇宙人経済」の中心のひとつとなっている「国際UFO博物館・研究センター」に立ち寄った。非営利団体が1991年に立ち上げ、ダウンタウンにあった映画館を改造して入居し、運営している。宇宙人やUFOの「目撃情報」や「ロズウェル事件」についての資料が展示され、入館者は宇宙人への夢を膨らませる。

 併設された図書館は約5万5000点の書籍や報告書、写真、動画などが収蔵されており、「研究施設」としての顔を持つ。娯楽の域を超えて、宇宙人やUFOについての研究や情報発信に貢献することが活動の目的となっている。

 「ロズウェル事件」は昔の話のように思えるが、米軍や政府、議会も巻き込んで長い間、検証され続けてきた。その余波は現在も続いている。

大量の金属片やアルミ箔 空軍将校「空飛ぶ円盤を回収した」

地元紙ロズウェル・デイリー・レコードの1947年7月8日付け1面。「空飛ぶ円盤」についてのトップ記事の見出しは横5段抜き=TopFoto/アフロ

 1947年6月14日、地元のランチ(放牧場)経営者が息子と一緒に、ロズウェルの北西約120キロの地点にある自分のランチの中を車で走っていたところ、金属片やゴム、アルミ箔などの残骸のようなものが、広範囲に大量に散らばっているのを発見した。しばらくは気にせずにいたが、行きつけのバーで知人がUFOの存在の可能性について話していたため、7月に入って、残骸のことを保安官に話した。

 保安官はすぐに、ロズウェル空軍基地(RAAF)に報告し、軍によって残骸が回収されることになった。回収には空軍高官の判断があった。

 7月8日、空軍の情報担当の将校が「空飛ぶ円盤を回収した」と発表し、地元紙のロズウェル・デイリー・レコードが1面トップで報じた。

 この時、既に米国ではUFO騒動が巻き起こっていた。6月24日、ワシントン州のカスケード山脈内で墜落した軍用機の捜索活動を手伝っていた民間パイロットが、不思議な物体を見たと証言した。パイロットは物体の動きを「水の上に皿を飛ばしたような感じだった」と説明したため、メディアはこの物体を「空飛ぶ円盤」と表現し、国民を驚かせた。

 そんな中でのロズウェル・デイリー・レコードの報道は、衝撃を伴って世の中に伝わった。

翌日「残骸は気象観測気球」と訂正 それでも世論は収まらず

回収された残骸について説明を受ける米空軍第8航空隊司令官のロジャー・ラムジー准将(左)=1947年7月、TopFoto/アフロ

 翌7月9日、空軍は、回収したのは通常の気象観測気球の残骸だと訂正したが、世論は収まらなかった。 

 「空軍は何かを隠している」と、かえって議論が噴出してしまった。これをきっかけに、宇宙人やUFOを巡る陰謀論や米政府による隠ぺい説、虚偽の目撃情報が社会にあふれた。地球外生命体への国民の好奇心は膨らみ、宇宙人をテーマにした映画やテレビドラマがヒットするなど、大衆文化にも大きな影響を与えた。

 本筋である残骸の正体については、ことあるごとに疑問の声が上がっていた。米政府は、メディアと世論の圧力に屈する形で、1994年になってようやく「ロズウェル・リポート」を公表し、残骸が通常の気象観測気球のものではなかったことを認めた。

 残骸が見つかったのは米国とソ連との核兵器開発競争が始まったころだ。米国は、ソ連が核実験を実施した証拠を上空から集めるための装置を、極秘に開発していた。「モーグル計画」と名付けられていたが、残骸は、この「モーグル計画」に基づいて開発された気球だった。

政府リポート発表後に宇宙人のフェイク映像が出回る

「国際UFO博物館・研究センター」に展示された宇宙人解剖シーンの再現模型=筆者撮影
ロズウェル空軍基地についての年表=筆者撮影

 米政府がリポートを公表しても「ロズウェル事件」は続いた。1995年には、ロズウェルに墜落した宇宙船に乗っていた宇宙人を解剖しているとされる映像が公表され、真偽を巡り論争が起きた。

 宇宙人の解剖は作り話だったことが明らかになったが、「国際UFO博物館・研究センター」には騒動があったことを記録するために、偽の映像を再現した展示がある。 

 また、センターには「ロズウェル事件」の主役のひとつであるロズウェル空軍基地の歴史についての記載がある。興味深く読んでいると、1945年8月6日に広島に原爆を落としたB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が米本土に戻った地がロズウェル空軍基地だという音声案内が聞こえてきた。

 恥ずかしながら、その事実を知らなかった。頭の中が宇宙人から現実世界に一気に切り替わった。

原爆投下した「エノラ・ゲイ」の本土帰還の地はロズウェル

ロズウェルに到着した「エノラ・ゲイ」の前で写真に納まる機長のポール・ティベッツ大佐。大佐の母親の名前が機体の名前になった=1945年、Everett Collection/アフロ

 米国立航空宇宙博物館などによると、「エノラ・ゲイ」は1945年5月18日、航空機メーカー、グレン・マーチン社のネブラスカ州オマハ工場から米空軍に引き渡された。原爆投下のわずか3カ月前のことである。

 ユタ州の基地を経由して、日本への原爆投下の任務を負った第509混成部隊の爆撃機として7月6日にマリアナ諸島テニアン島の基地に到着した。8月6日午前2時45分、テニアン島を出発した「エノラ・ゲイ」は同8時15分、広島に原爆を投下し、午後2時58分にテニアン島の基地に帰還している。原爆投下のためのフライト時間は12時間13分だった。

 日本が降伏し、第509混成部隊の所属基地が変更になった。テニアン島からの移転先はロズウェル空軍基地だった。11月8日、「エノラ・ゲイ」は原爆投下後の本土帰還の地となるロズウェルに舞い降りた。

 原爆を開発したロスアラモス国立研究所は、ロズウェルから車で3時間40分ほどの所にある。世界で初めて原爆実験が行われたホワイトサンズも、ロズウェルから3時間ほどの地点にある。ニューメキシコ州には、日本人として忘れてはならない原爆を巡るトライアングルが存在する。

 米国を語る際、日本人の口からニューメキシコ州の話が出てくることは少ない。日本人はもっと、この州のことを知るべきなのだと思う。

  • 旅9日目の夕方、ロズウェル市内を徒歩で移動する。
  • ロズウェルでは毎年6月末から7月初旬にかけて「UFOフェスティバル」が開かれる。経済効果は日本円で2億円を超える。 写真はダンキンドーナツの宇宙人のオブジェ=筆者撮影
  • 宇宙人やUFOはロズウェルの重要な観光資源だ=筆者撮影
  • 地元の店舗で販売されている宇宙人やUFOをプリントしたTシャツ=筆者撮影
  • 「国際UFO博物館・研究センター」は映画館を改造してつくられた=筆者撮影
  • 館内に展示された宇宙人の模型=筆者撮影
  • 資料に見入る入館者=筆者撮影
  • 地元紙ロズウェル・デイリー・レコードの1947年7月8日付け1面。「空飛ぶ円盤」についてのトップ記事の見出しは横5段抜き=TopFoto/アフロ
  • 回収された残骸について説明を受ける米空軍第8航空隊司令官のロジャー・ラムジー准将(左)=1947年7月、TopFoto/アフロ
  • 「国際UFO博物館・研究センター」に展示された宇宙人解剖シーンの再現模型=筆者撮影
  • ロズウェル空軍基地についての年表=筆者撮影
  • ロズウェルに到着した「エノラ・ゲイ」の前で写真に納まる機長のポール・ティベッツ大佐。大佐の母親の名前が機体の名前になった=1945年、Everett Collection/アフロ

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